21

みかんみかんみかんみかん




「……は、」

と、息をを吐き出せばその刹那呪縛が一気に解けたようにまぶたが開いた。視界には大きな手のひらが見えて、鳥のさえずりとごおおう、と波と潮が唸る音が鼓膜を震わせる。瞳をめいいっぱいに見開いて、思わずだらしなく背を預けていたベンチの背もたれから離して、背筋を伸ばす。そして視線を前に向ければ、私を覗き込むようにしている彼と随分至近距離で目があったので思わず退いた。

「わっ、…ローさん?」
「ああ。寝てたのか。」
「…そう、みたいですね。」
「そんなとこで寝ると風邪ひくぞ。のんきだな。」

彼はそう言って安心したようにため息を吐くと、私の右隣に腰を下ろした。私は何が起きたのかと一瞬思い出せなくて、頬をポリポリ掻きながら、眠りに落ちる前のことを懸命に思い出そうとしたが、なかなか思い出せない。ほんの少しの時間だったはずなのに、なんだかずいぶん長い間眠っていた感覚である。

「あの、私、誰かと話してました?」
「は?…誰かいたのか」
「あ、いえ…夢か。」

うーんと首をひねりながら思わず伸びをする。なんだかヘンテコな夢を見た気がしたのに思い出せない。普段は寝つきがいい方なのであまり夢は見ないし、見ても必ず覚えているのだが、と奇妙な心地になる。なんだかあまりいい印象じゃなかったことだけは覚えている。横でうんうん唸る私に対してローさんは首をひねったが、徐に白い袋の中から何かを取り出した。

「緑茶でよかったか。」
「あ、ありがとうございます。」
「あとこれな。お前好きだろこういうの。」

そう言って緑茶とともに差し出された紙袋の中には、可愛い包装紙で包まれたクレープが入っていた。

「わあ、クレープだ!さっきのお店のですね!」
「ちょうど三時すぎで混んでたからずいぶん遅くなった。」
「好きです!ありがとうございます。」

一口食べて咀嚼すれば大好きなチョコレートの味がして、恐怖心も疑念もすぐにどこかに行ってしまったが、何か引っかかる気がしたのも事実だ。彼はパン生地も甘いものも好きではないのか、となりで静かにお茶を飲んでいた。クリームもたっぷりで、小腹もすいていた頃合なのでちょうど良かった。勢い余って鼻にクリームが付けばとなりから笑った声が聞こえてちょっと恥ずかしい。三時を過ぎてますます賑やかになってきた広場には、夏休み真っ只中の真っ黒に日焼けした小学生たちが各々ボールやかけっこをしてはしゃいでいる様子が見れた。なんだか懐かしいなあ、とつぶやけばとなりで黙っていた彼も頷いた気がした。

「…今日のところはこれぐらいで帰るか。お前も疲れてるみたいだしな。」
「あ、いえ、すみません。お気を遣わせてしまって。」

そんな言葉も今更なような気がする。やはり私に気を遣ってこうして連れてきてくれたのかもしれない。そう思ったらなんだか申し訳なくてそれ以上何も言えなかった。最後の一口を咀嚼し飲み込むと、緑茶を流し込んだ。包装紙を綺麗に小さくして、ローさんがそれを預かると袋の中にいれてくれた。さすがは几帳面な彼故に抜かりはない。時計を見れば四時過ぎになっていた。立ち上がって帰ろうと徐に私が脚を動かした刹那、ローさんが何やら地面に手を伸ばしたので思わず視線をしたにする。

「どうしました。」
「…いや、どうせ捨てるならこれも拾おうと思ってな。多分この辺のガキが捨てたんだろう。」

彼はそう言って私が座っていた足元の方に転がっていたひとつの紙くずを拾った(実は女子力高いっぽいところも好きだということは口が裂けても言えない)。私が食べたクレープ屋さんと同じ包装紙がくっちゃくちゃに丸まったそれ。彼が拾って手に持った瞬間、思わずあ、と声が漏れた。なんだとても見覚えがある気がして、呼吸が乱れた。彼はそんな私の様子を見逃さず、どうした、とすかさず声をかけた。

「いえ、あの、ゴミ箱どこですかね。」
「あっちだな。」

彼と出口に歩きながらちらりと先ほど座っていたベンチを振り向きざまに見たが、やはりそこには誰もいなくて、木漏れ日の優しい日差しがベンチを照らしているだけであった。







バスに揺られて再びコテージに戻った時は5時を回っていたが、未だに太陽は顔を見せていた。あの例の「ジ○リの小径」(勝手に命名)を歩きながら、ローさんの背を負うと、何だか異世界に向かう冒険者か、或は世の中とは隔離されたふたりだけの世界へと向かう異端者みたいでドキドキするということがわかった。我ながら阿呆な想像に笑えて、ニヤニヤしていたらローさんにちょっと引かれた。どんなに打ち解けても刺を指すことを忘れない彼に思わずキュンとする私はもう末期なんだろうな。知ってた。







「風呂先に入るか?」
「あ、今沸かしますからローさん先にどうぞ。」
「いや、お前が先でいい。」

ローさんはそう言いながらソファに座ってテレビをつけたかと思えばノートパソコンを開いた。私は仕方がなく夕飯のお皿の片付けを終えると先にお風呂の準備をした。時刻は何だかんだ八時を回っていないのでもう少しのんびりもできたが、今日は早い所済ませて早めに休もうと思った。先ほど私が夕飯の支度をしている間、ローさんはお風呂掃除をしてくれていたのでお湯を入れればもうすぐにでも入れる状況であった。二階に上がって寝巻きとその他もろもろを持って風呂場へと行く。もわんとした水蒸気は心地の良い檜の匂いが混ざっていて思わず裸のまま深呼吸を数回繰り返してしまった。

「(はー、温泉宿みたいだなあ…)」

ちゃぽんとお湯に使って体をほぐせば自然とぐてん、脱力する。虫が入るから窓は開けるなと言われた。頭上に見える小さな小窓からは暗い森の中にも木々が風に揺れる様子が見て取れた。覗きなどはもちろんいない。月が見えたり消えたりするのをぼんやり眺めていた。ローさんのおうちでもお風呂はお借りしてたけど、今度の場合はこの家の周りにはほとんど人がいなくて、本当の二人きりなんだと考えたらなんだか恥ずかしくて思わずお湯を顔にかけた。今度は本当に何かあるかもしれない、いや、あるとしたら彼が仕掛けるよりももわたしのほうが大に危ないと言えよう。このコテージは一回は広いけど二回は狭く、ベッドルームも大きなベッドがひとつだけなのだ。

「…ローさんまたソファで寝る気なのかな…」

さすがにそれは申し訳ないなあ、と思いながらのぼせぬうちにお風呂をあとにした。







「(…あれー、ボディクリームどこだ。)あ、」

髪の毛を乾かして寝る前にうるおいを得ようとカバンの中からガサゴソとボディクリームを探しておれば、突然ベッドルームの扉が開かれて、外からフェイスタオルを肩にかけた、ルームウェアのローさんが見えた。その片手には雑誌がある。そして私を尻目にどっかりとベッドに腰を下ろした。思わず目を見開いたが、ああ、と合点がいくとそそくさとカバンをまとめた。

「あの、そういえば寝室ってここひとつでしたよね?」
「ああ。」
「でしたら、私下で寝ますね」
「馬鹿言うな。ここで寝ろ。」
「え。でも、ローさんはここで寝られるんですよね…?」
「ああ。」
「じゃあ、やっぱり私は、」
「ここで寝ろ。」
「……あの、言ってる意味がわからないんですが…」

思わず米神を抑える。そうすればごろりとベッドの上で横になった彼と目があった。今となっては別段特別なことではないが、思わず過剰に反応してしまう。それを見た彼は口角を上げた。

「別に襲ったりしねえから安心しろ。」
「べ、べべっべべべ別にそんなこと思ってませんよ?まさかローさんが私なんかに興味なんてっ(平常心平常心)」
「動揺しまくってんじゃねえか。」

ぺらりとページを捲ってよくわからない専門誌を読むローさんの様子を伺いながら、どうしたものかと悶々とする。いくらベッドが大きいからといって、本当によろしいものか、いや、願ったり叶ったりなんて考えてないぞ!と平常心を保つ。がさがさとカバンをあさりながら目当てのボディクリームを手に取った。

「あの、やっぱり私したで寝ますよ。ローさん家でご迷惑おかけしたので、なので今回は…」
「そんなに俺が嫌なのか?」
「え、そ、そそんな滅相もない!」
「じゃあここで寝ろ。…それともそんなに溜まってんのか?」
「ぎゃあああ!何をおっしゃいますか!わたしはただ、恋仲でない男女が同じ床を共にするのは如何なものかという事をですねえ!」
「取り敢えずうるせえから落ち着け。」
「お、落ち着けませんよ!ローさんが変なこというからっ!確かに一年近く男性とはお付き合いしてませんがそれほどまでに私は落ちぶれてはっ…!」
「悪かった、取り敢えず落ち着け。」

思わず取り乱してぎゃあぎゃあ喚きながらローさんの目の前で慌てれば思わずすぽーんと握っていたボディクリームが彼の方へと放物線を描きながら飛んでいってしまった。あ、と思って手を伸ばすももちろん手は届かず、ローさんはそれをまたもや綺麗にキャッチした。

「あっ、すみません。」
「いい。」

落ち着かねばと呼吸を整える。彼は掴んだボデクリームを私に渡そうとして、それをちらりと見たが、思わずギョッとしたように目を見開いた。その反応に思わず私もえ、と声を漏らしたが、そういえばこのボディクリームは例のマツ●ヨのいかつい店員さんにおすすめされたやつだったけっとふと思い起こされた。

「…みかん、これ、どうしたんだ…」
「え、ボデローションというか、ほら、クリームですよ。ローさんはあまり塗りませんか?」

手渡されたそれをよく改め、そして思わず彼と同じように目を見開いてぴしりと固まってしまう。よく見ればそれはローションはローションでも、

「………ぬ、ぬ、ぬ、………ぬるぬるローション…」

ギギギギギという鈍いブリキの音をたてながら視線をローさんの元へと向ければ青めた表情でこちらを見たドン引きするイケメンのご尊顔を見ることができた。ひやりと背中位に冷たい汗が滴る。思わずもう一度自分の手の中の“ローション”を改める。何度も確認したが残念ながらこれは間違いなく“大人のローション(ロイヤルゼリーの自然成分配合の仄かなフレッシュベリーの香り付き)”であった。なんということだ…。

「あ、あの、ローさん、これは、ちがくてですね、えっとその、これは、おすすめされてっ…!」
「おすすめ……。」
「あああその決してそう言う風な意味ではなくて!」

わたわたと再び我を忘れて慌てだせば彼はとりあえず落ち着けとドン引きながらもいってくだすった。かくかくしかじかと事のあらましと購入に至ったいきさつを話せば誤解を解けようと思いマツ●ヨでの武勇伝を語ったが、なぜかローさんは安心するどころか眉間のしわを一層濃くなされた(ひいい)。

「…それを売ったのは頬に目玉焼きをつけたサングラスの男なんだな…。」
「は、はい。」
「それ以外は何もされなかったのか?」
「ええ。」
「本当か?」

ベッドから降りて私の前へわざわざずいっと来るとローさんは私を怖い顔で見下ろした。あまりの剣幕に思わずこくこくと小刻みに頷けば彼は微妙な顔で私の手の中からローションを取り上げた。そしておもむろにそのキャップを取ると、なんとこれ見よがしに私の目の前でとろとろとそれを掌に適量垂らした。とろとろのそれは彼の大きな掌を滑り、指の隙間からだらりと数筋垂れた。思わぬ刺激的なシーンに度胆を抜かれて声にならない叫びをあげておれば、彼はふむ、と一体何を納得したのか頷いた。

「…本当にただのローションなんだな。」
「…ふ、フレッシュベリーの香りだからおすすめだそうです(震え声)」
「……そうか。」
「…………あ、あの。」
「なんだ。」
「…もしかしてその目玉焼き店員さんって、その、“悪い人”、ですか?」
「…………。」

彼は私をじっと見たので見上げた私は思わずびくりと肩を震わせればはあ、とため息を吐いた。

「深読みしすぎだ。これは預かるが、いいな?」
「は、はあ、」
「ボディクリームは明日買ってやるから今日は我慢してくれ。下に使いかけだが、缶のニ●アがあるはずだ。ついでに取りに行ってくる。」
「あ、私が取りに行きます!」
「いい、どうせこれも洗わねえとだからな。」

そう言ってローションでてらてらのとろとろになった自身の左手を見せつけるとにたりと笑った。思わず「ひええええっ!(ありがとうございます(!?))」と再び取り乱した私を見て大層お喜びになられているらしい。とりあえずこの商品のせいでとんだ恥をかいてしまったと思わずへこむ。

「(あの店員さん、何を勘違いしたんだろうなあ……。それにしてもローションとローさんは危ない組み合わせだわ…そもそも“ローさん”と“ローション”って似てるし…)」

目玉焼きとさっきのローションが交互に頭の中で浮かぶ。目の前でローションをおもむろに垂らす彼の色香の破壊力と言ったらスカ●ターが壊れてしまうのではという程の戦闘力と破壊力を持っていたので、私はこの先もずっと忘れないであろう…と顔を赤くして悶々と思いながらソファに広げた荷物を片し始めた。


お医者様でも草津の湯でも




執筆 2015.12.02.





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