18

「…………」

バックミラーをちらりと覗けば、後部座席を倒して丸くなっているものが視界に写った。もこもこのブランケットをかけてすやすや眠る様子は小動物か毛玉のようである。つい先程まで鼻水を流して泣いていたとは思えぬ程の安らかな顔である。これからどうなるのやら本当にコイツは分かっているのか正直わからぬが、存外楽観的な奴で救われたと心底この寝顔を見て思う。右腕は疼くが運転に支障を与えるほどではない。暗闇の高速をひたすら飛ばす。夜の高速は嫌いではない。免許を取ってしばらくは一人で何とはなしに高速を走ることはあったが、今は一人ではないし、状況も全く異なっている。時計を見れば午前三時を回っていた。いつもならこの時間でも余裕で起きていられるが、今日はあまりにもいろいろ起きすぎて多少疲れているらしい。こめかみを抑えあくびを噛み殺す。とにかく眠いのだ。一時間仮眠を取ったらまた目的地に向かわねばならない。シートベルトを外し、重いまぶたと体を引きずって後ろに移動する。

「…んん、」

丸くなった毛玉を起こさぬように注意しながら少しずらして、隙間に自分の大きな体を無理やりねじ込むと、胸に溜まった息を吐く。息を吸えば、自分と同じシャンプーの匂いがする。人肌をこんなに近くに感じたのは久しぶりだ。

「……目玉焼き」
「(…寝言か)」

随分呑気な寝言を聞いて、自分の意識を手放した。







「ロー。」

目があった刹那、鼓動が早まって喉が渇いていくのを感じた。この人通りの多い時間帯の駅前の路上で、流血沙汰となればそれこそこいつらの思う壺だ。やむを得ず指示通りそいつのいる路地裏についていくと、適当なあたりで目の前の男は立ち止まった。舌打ちをして、思わずその男の風体に目を疑った。見たことのある白衣に黄色と黒のコントラストのエプロン。相変わらず人を舐めているとしか思えない。こいつには昔から借りがある。あの頃は容易に自分を潰せた存在かもしれないが、今は違う。対等に渡り合える自信がある。にやりと笑えば目の前の男は眉間にしわを寄せた。

「久しぶりだなヴェルゴ、」
「…“さん”をつけろ。」

プッツン、と男の血管が今にも切れそうな勢いだ。相変わらずこいつの地雷は健在らしい。ふざけた格好が随分お似合いだ。

「コソコソ嗅ぎ回りやがって、目障りだ。今度の目的は何だ。…それとも懲りずに前回の続きか?相変わらず暇なようだな、ヴェルゴ。」
「口の利き方には気をつけろ。今回はお前を傷つけるなと言われてるからな。あんまり俺を怒らせるな。」
「それはこっちの台詞だ。一体何がしてえんだ。ドフラミンゴはどこにいる。お前じゃ話にならねえ。」

苛々をむきだしてそう言えば目の前の男はフッと笑って口角を上げた。今度はこちらが眉間にしわを寄せる番である。路地の向こう側では相変わらず人々はこちらに気づくことなく通り過ぎていく。

「知る必要はない。今回はたまたまご機嫌伺いに来たようなもんだ。一応この格好をしているのも“潜入捜査”の一環だ。そのおかげで相変わらず礼儀も知らねえクソガキだということがよくわかった。」
「ふざけんな、俺だけならまだしも、関係ねえ奴まで巻き込むんじゃねえ!」
「関係ねえ奴、か……。」

そう言って男はこちらにゆっくり歩み寄って来たので身構える。懐にはこういった事態のために小刀を携帯していた。右手がその柄に触れる。

「そういや、お前にはあまり似合わないような娘だな。」
「…娘?」
「お前よりも礼儀はなっている上素直で、小柄で顔は可愛い。いい匂いはするし、お前のような男には至極勿体無い。……――那津みかんという女は。」
「っ!」

気がつけばすでに手が出ていて、銀色に鈍く光る刃は男の腕に突き刺さり、紅い無数の筋が放物線を描いた。傷のついた男は顔色ひとつ変えず自分の左腕を握ると、ナイフの刺さったままの右腕で殴りかかろうとする。相変わらずものすごい力である。それを避けると、なんとか男の腕を引き離す。そして男の左頬に拳をぶつけることに成功はしたが、今度は男が自身に刺さっていたナイフを片手に俺の右腕めがけて振り下ろす。身をよじって瞬時に身を引いたがタイミングが悪かった。ぐさりと右腕に激痛が走る。ここまで数十秒と経っていない。

「…怒らせるなといっただろう。いや、お前を怒らせたのはこっちか。」

くつくつと笑っている男は刃物を持ってこちらに近づいてくる。左手をそっとポケットに忍ばせる。

「少しでかくなったからって調子にのるんじゃねえぞ。」

そう言って刃物を振り下ろした刹那、左ポケットに入っていたスマホを投げつける。ヴェルゴは見事にそれを両断したが、その隙に男の死角に入り込み、攻撃を仕掛ける。男の刃物を握る腕が緩んだ刹那、刃物を取り戻すと、男の腹めがけて切りつけた。男は膝をついて腹を抑えて崩れた。それを確認すると、上着を着直して怪我を隠し息を整える。

「……安心しろ、あの娘には何もしていない。」
「…………。」
「……だがこれで終わると思うなよ。監視の代わりなんざいくらでもいる。…せいぜい、あの娘を可愛がってやるんだな……」

息を乱しながそう宣う男の言葉に返す必要もないだろうと眉間にしわを寄せてその場をあとにした。出血量が思ったより多いが、今は兎に角、この目でみかんを見なければ気がすまなかった。この男の言葉など信用できない。携帯はもう使えないし、今日はバイトもないのでおとなしく家にいるはずだ、という情報を信じるしかない、そう思ったら車の元へと走り出していた。







「……安心しろ、あの娘には何もしていない。」
「…………。」
「……だがこれで終わると思うなよ。監視の代わりなんざいくらでもいる。…せいぜい、あの娘を可愛がってやるんだな……」


そういえば目の前で自分を見下ろす青年は思い切り眉間にしわを寄せ、返事はよこさなかった。相変わらず腹が立つガキだ。じとじととした路地裏で腹の流血を抑えながら息を整える。背の高い走り去る後ろ姿を見届けながら、思わず笑がこぼれた。思っていたよりもあの娘とローは親密になっている。随分すんなり思い通りになっていることに驚いたくらいだ。これはいい報告ができそうだと、腹と腕の痛みをおさえつつ立ち上がりながら、がらぼんやり思った。

「………そのほうがジョーカーも喜ぶ。」


思えば思わるる



ん、おもい。」

ぼんやりとしょぼしょぼする目をこじ開ける。頭はまだ回らない。体に何かが乗っかっているような感覚だ。なんだろう。そもそもここはどこだっけ。

「(そうか、夕べはたしか…)」

ちらりと見えた車の窓の様子を見てだんだん覚醒し始めた頭の中で昨日のことを整理する。随分稀有な自体に見舞われたんだっけなあ、とまるで他人事のように思い出して、思わずん、と声を出してしまう。そういえばその場の雰囲気に流されて車に乗ったもののここはどこだろうか。今日バイトだけど戻れるかな、ダメならダメで連絡しなきゃだし。

「(あ、ローさんは?)」

そう思って上体だけを捻って寝返りをうった刹那、私の心臓は停止の危機に陥ることとなった。

「(ひっ)」

と声が出そうになって両の手で全力で口元を抑える。そのまま目を数度瞬かせて見たが、やはり見慣れたそのお顔であって間違いなかった。寝返りをうった瞬間、まぶたを閉じて静かに呼吸をするイケメンの顔と思わぬ対峙を果たしたのである。

「(ローさん…なぜに)」

通りで体が重いはずである。私の腹には彼のその長い御御足が乗っかっていて、抱き枕の役割を果たしていたのであった。そういえば彼の寝顔を初めて見た気がする。随分安らかで綺麗な寝顔をしているなあ、と思わず感心してしまうほどだ。それにしてもどうして彼は私を抱き枕にして寝ているのか。昨日、車に乗って尋問されて、目的地のこと聞いて、疲れ果てて後ろで先に寝てろと言われてブランケットをもらってまぶたを閉じて…までは思い出せた。では彼は私が寝たあとにこっちに来たのか。なんだ、やましいことしてないや、と嬉しいのか嬉しくないのかわからない心境に陥った。

「(いやあ、それにしてもきれいだわ。隈あるけど。)」

やっぱり整った顔なんだなあ、とここぞとばかりにひねった上体の痛みも忘れ、至近距離のローさんを堪能する。高い鼻の形も完璧だし(もちろん鼻毛なんか見えない)、唇の形も申し分ない。眉毛も整ってるし、首筋セクシーだし。同性でも嫉妬するほどなのではないだろうか。もう思わず激写してスマホの待ち受けにしたい、激しく。ていうかローさんの写真集が出たら絶対買う。いや、最早出したい。みんなに配るのでなくて私が個人的に楽しむやつ。

「…なんだ。」
「わっ」

突然すっとそのまぶたが開かれたかと思えば、至近距離で聞こえる低音に朝から鼓膜が幸せである、じゃなかった。

「あ、あの、近くにいらっしゃって吃驚しちゃって、」
「その割には随分人の寝顔ジロジロ見てたじゃねえか。」
「え、あ、それはですね……」

ちょっとまてこの人起きてたのか!?と思わず顔から火が出そうになる。もう随分ローさんの顔見ながら楽しんでたきがする。多分五分ぐらいはたっぷり見てた気がする、もう言い逃れできない。見とれてましたえへへ、なんて言ったら「変態野郎(否定はしない)」と真顔で言われそうで怖い。てかそもそも狸寝入りも意地悪なんではなかろうか。

「ローさんも起きてたなら足どけてくれたっていいのに……」
「いい抱き枕が目の前にあったからな。」
「い、意地悪だ…。」

小声でそういえばやはり至近距離だから聞こえたらしくくつくつ笑われた。何なんだこのイケメンは、かっこいいなくそう。ペットの次は抱き枕か。もはや生き物じゃない。せめて生き物であって欲しい。

「…今何時だ」

そう言って彼はようやく起き上がると私に乗っけていた足をどかしてくれた。私もゆっくり起き上がると伸びをする。彼は車の時計を見ると、やや驚いたような、腑に落ちないような表情を浮かべて頭を掻いた。

「六時か…寝すぎた。」
「何時に寝たんですか。」
「三時。」
「…三時間しか寝てないじゃないですか。」

相変わらずの彼のショートスリーパーぶりに思わず顔が引き攣る。

「あの、今日の予定は…」
「取り敢えずもう少ししたら車走らせる。あと二時間ぐらいで目的地だ。もう少し我慢できるか?」
「はい。取り敢えず、お手洗い行って顔洗ってもいいですか?」

私の問いに彼はこくんと頷くと彼もトイレなのか車の扉を開けた。朝の新鮮な空気が空気のこもっていた車中に入り込む。息を吸えばすこし湿っぽくて、夏だけど清涼感がある。朝方のこのサービスエリアはひっそりしていて、遠くからの車の走る音が響いている。お手洗いと簡単な自販機が並ぶ簡素なサービスエリアだ。私たちの他には遠距離トラックが数台止まっているだけだ。お手洗いを済まして助手席に乗れば、ローさんがぶっきらぼうに缶コーヒーをくれた。あの海に行った時と同じメーカーのやつだった。

「…なんだか夢みたいですね。」
「まだ寝てんのか。」
「いや、そうじゃなくて…。あのマンションにお引越ししてローさんに会えたことも、変な組織に監視されてることも、ローさんとまたこのコーヒー飲めたことも、全部夢みたいで。」
「…………。」
「こういうのって、なんなんですかね。そういう縁とか必然って、やっぱりあるんですかね。」
「…さあな。」

そう言って彼はエンジンをかける。朝の静寂な空気に車のブルブルとした音が響き渡る。

「………(あんまりこういうスピリチュアルめいた話はローさん嫌いなのかな)」

何となく気まずくてしゅんとしておれば、彼は私をじっと見て、かと思えばパチリと目があった。

「正直俺はあんまりそういうの信じねえし、よくわからねえ。」
「はあ(やっぱり)」
「仮にそれが必然だったとしても、お前にとって俺との出会いは最善とは言い難いだろう。変な奴等に追われて、今度は俺に連れ回されてる。」
「それは…」
「……だが、それでも俺はお前に出会えて良かったと思ってる。」
「えっ」
「何もしてなくても面白ェし、頭の形はいいし、抱き枕にもなる。」

ローさんはふ、と笑ってこちらを見ると、私の頭を優しくなで、それが終わるとゆっくりとした手つきでハンドルを握り、アクセルを踏み込んだ。サイドミラーから眩しい朝の太陽の光が見える。私はそれをぼんやり見ながら、赤くなった顔を冷やそうと窓を少しだけ開けようとしたけど、ローさんに怒られたのでやめた。

「(抱き枕かあ…)」

でもちょっとだけいいかもって思った自分って一体、と思わず脳内でナレーションしてしまった。


執筆 2015.11.11.





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