15

「ダメですよ!絶対無理ですっ…!」
「うるせェ、黙ってベッドに入れ。」
「だ、ダメですって!」

私が断じて抵抗すれば彼は眉間にしわをいくつも作った。そして言う事を聞かぬのならばと私の腕をやや強引に取るとあれよあれよという間に寝室へと連れて行った。もちろん抵抗など無意味である。男女差はもちろん体格差も歴然である。未だにわーわー言う私はこんな夜中に全くの近所迷惑であり、そのことは自分自身痛いほどわかっていたが、この異常事態では仕方があるまい。

「ほら、入れ。」
「ひゃ、」

彼は私をぽんとベッドに放った。何しろ素晴らしい弾力のベッドで、私が動くたびにスプリングが体を押し返す。シワ一つない真っ白なシーツはおろしたてのようで、お父さんの体臭のような匂いは全くせず、むしろローさんがいつもつけているフレグランスの香りで満ちている。配置された落ち着いた橙の明るさの間接照明は大変おしゃれだし、枕もふわふわだし、なんといってもシックな大人の男の色気を感じさせるセンスのいい寝室だ。ローさんの匂いでいっぱいで、もうすでに胸がいっぱいである。

「(ああ、やばい。なんか、ムラムラしてきた…)」

ぐっと顔を近づけたかと思えば至近距離でローさんと目があった。薄暗い間接照明だけの部屋で男女が二人。窓からは美しい夜景が広がっていて、思わず息を飲んだ。いつも着てらっしゃるパーカーなどの格好ではなく、完全に薄い部屋着一枚の目の前の男をまじまじと見てしまう。薄いTシャツの合間からは男のいやらしい首筋がくっきり見えて、ここぞとばかりに喉仏だの鎖骨だの、その下の胸板だのをまじまじと見てしまう。ああ、こんなにも自分は男に飢えていたのかと、今更認識した。そりゃそうだ、一年も彼氏が居ないんだもの、ドキドキだってするわ。それにしてもこの人のフェロモンがムンムン過ぎるのも私の下心を助長させているに違いなかった。イケメンエロパワー恐るべし…。

「…みかん
「ろーさ、ぶっ」

男の名を紡ごうとした刹那、視界が突然真っ暗になったかと思えば、私の体に柔らかなもふもふが覆いかぶさった。うわああと思ってなんとかそのモフモフをどかせば、間近にいたはずの彼はすでに寝室の入口におり、ベッドに横たわる私を見ていた。

「俺に構わず黙ってベッドで寝とけ。どうせ俺はまだまだ起きてる。」
「いや、でも!だからって部外者なのにベッドを占領するなんて申し訳なくて…」
「いつもソファで寝てるから構わねえよ。むしろ客をソファで寝かす方が可笑しいだろうが。」
「………でも、」
「気にするな。何かあったらリビングにいるから声かけろ。」

ちゃんと寝ろよ、と一言彼はそう言うとそのままパタンとドアを閉めてしまった。あまりの展開にしばらく間抜けヅラのまま彼のいた扉を見ていたが、ため息を吐くと彼が掛けてくれたモフモフ(ブランケット)を被りそのままベッドに倒れ込んだ。息をするたびに彼の匂いが肺いっぱいに入ってくる。広いベッドにキレイな部屋過ぎて、全然落ち着けない。ぼんやりと窓を見れば先ほど見た美しい夜景。

「(…はあ、なんでこんなことになったんだっけ。)」

事の発端は数時間前に遡る……――







「………。」
「………あの、これ、やっぱり人工的なものですよね。」

背の高い彼を覗き込むようにして問いかければ彼はすでに刻んでいたはずの眉間のしわをより一層克明に刻んだ。男基ローさんは黒のフリフリが付いたブラジャーを手に持ったままそれをものすごい剣幕で凝視している。その絵面は傍から見れば彼は変態として囃されても仕方がないが、これはれっきとした異常事態であった。

「完全に人為的なものだな。かなり鋭利なハサミだろう。これだけ綺麗に切られてるなら、烏や鳩が噛みちぎったなんて考え難い。」
「やっぱりそうなんですね……。」

お気に入りのブラだったのに、はあ、と思わずため息をつく。ローさんは依然表情を変えることなく、ブラジャーをテーブルに置くと、手を顎に添えてなにか思案する様子であった。テーブルには何者かに切られたらしい例のブラジャー二枚が鎮座している(流石にパンティーは恥ずかしくて置いてきた。口頭では伝えたが)。二度目のローさん家訪問がまさかこんなことになるとは、人生とは分からぬものである。

「あの、これってやっぱ例の監視している謎の組織の方の仕業ですかね?」
「十中八九間違いねェ。俺が甘く見てたんだ。……済まなかった。」
「……いいえ。ローさんが謝ることじゃないですよ。」
「…………。」
「…………。」

折角彼が出してくれたコーヒーを飲むも、この状況では正直味気ない。彼は今までとは段違いに深刻そうにブラジャーを見つめている。そろそろ恥ずかしいなとぼんやり思い始め、とりあえず物的証拠だからそろそろ持ち帰ろうかなあと思った矢先に彼が口を開いた。

「普通に考えれば、ありえねえな。」
「はい?」
「ここは何階だ?」
「14階、ですね…。」
「そうだ。登ってくるのは不可能だ。仮に登ってきたにしても大通りに隣接してるし、普通なら下の奴らがそんな変態直様気づく。そうだろ?」
「そう、ですね……。」
「ならば可能性として、真っ先に疑われるのは隣の部屋の奴だ。先に言っとくが俺はやってねえ。」
「そりゃもちろん疑ってませんよ!」
「隣のベビー5はどうだと思う?」
「ありえませんよ!だって、彼女は一昨日から仕事で出張ですもん。」
「そうだな。さっきメーター見たが動いてなかったところを見ればアイツは実際不在らしい。」

メーターまで見たのかこの人と思わずギョッとしたが、このような事態では致し方がない。ケースバイケースだ。

「つまりはだ、これをやった奴はどっから侵入してお前のこの下着を切りつけたと思う?」
「…それは、」
「考えられるのは二つだ。一つはベビー5の部屋から侵入し、お前のベランダに入り込んだ。」
「ふ、二つ目は、」
みかんの部屋から侵入したか、だ。」
「ひえっ」

それはあまりにもひどい、キモすぎる。思わず鳥肌が立ったところですかさずローさんが続けた。

「だが、俺は後者は可能性として低いと思う。」
「というと?」
「お前の部屋から侵入できたなら、わざわざベランダの下着だけを切りつけるか?」
「あ、たしかに。タンスにはもっと多くの下着があります。下着だけじゃない。ほかにももっとやろうと思えばやれたはず……。」
「そうだ。」

一応安心とまではいかないが、自分の家からは未だに侵入されている可能性は低いようで不幸中の幸いである。もちろん不安は拭えないが。ベランダでも十分に驚異である。もし相手が本気で私を襲おうとすれば窓だって破れるのだから。

「…俺が甘く見ていた。正直、お前にまで危害を加えるとは思ってなかったんだ。」
「…ローさん?」
「あいつらの狙いは俺で間違いない。隣に住んでる越してきたばっかのお前が監視されているのは、俺の身近な人間だからこそ、素性を調べているだけだと踏んでいた。だからお前には派手な被害はないんじゃないかと、鷹をくくってたんだ。」
「………。」
「だが、どうやら違うらしい。あいつらはお前にも危害を加えると警告している。」
「ま、まじすか……。」
「ああ……。」

この人は嘘をつくような輩じゃない。どうやら本気でまずい状況に陥ってるらしいことは、頭の足りない私でも十二分に理解できた。まさか、私の人生においてこのようなピンチに遭遇するとは、ひと月ほど前までは夢にも思わなかった。素敵なイケメンとイチャラブライフなんて、そう簡単にトントン拍子と行くなんて、やはりあり得なかったらしい。

「せ、せめて命だけは……!そ、そうだ、警察!警察に言いましょう!」
「……そうだな。あんまり意味ないと思うが相談はしよう。」
「え、意味ないんですか…?」
「相談したところで警察のできることといえばこの辺のパトロール強化ぐらいだ。傷害事件だの、そういうことが起きねえ限り本気で動かねえもんだ、警察なんてな。」
「……なるほど。」
「(警察に伝えたところでなんとかなる奴らじゃねえがな……)」
「(警察も使えんなあ……)」

全く、忙しいのはわかるしこの手の事件は数多で対応に困るのはわかるが、警察にも本気で向き合って欲しいものである。だからこの手の事件で悩み苦しむ被害者は一向に減らぬのだなと恐怖から今度は怒りがこみ上げる。傷害があってからじゃ遅いじゃないか。そんなことになってたまるか!

「管理人にも伝えておく。監視カメラに犯人が写ってるかもしれねえしな。」
「はい。…じゃあ、今日は私そのまま帰ってもいいですかねえ?」

そろそろと然りげ無く持ってきた物的証拠(ブラジャー2ケ)を手に持ちジップロック(家から持ってきた)に入れつつそういえば、ローさんは待て、と私を制した。

「たしかにお前の家には侵入してないかもしれないが、犯人はベランダにはいつでも侵入できる可能性があるんだ。」
「そう、ですね……。」

たしかに施錠したところでさきほど危惧したとおり破られれば緊急事態である。

「お前がいないあいだならまだしも、寝ているあいだにガラス割って入られたらやべえ。」
「やっぱりそうですよね……。」

ああ、どうしよう。安全安心の我が家が危険地帯になろうとは。やっぱり誰かの家にとまるしかないか。実家は無理だし。夏休みだけどバイトがあるので無理である。

「とりあえずめぼしい友人に連絡して…「ここに泊まれ。」
はい、ローさん家に泊まります……ん?」
「よし。とりあえず必要な着替えとかもって戻ってこい。」
「あれ……?」

なんか今すごいことまたいつもの調子で流した気がした…。

「あの、今なんて?」
「着替えもってこい。ここに泊まるだろ。」
「いえ、あの、いつからそんな話になりましたっけ!?」
「さっき。」
「はい!?」
「だから、侵入されてから助け求められても手遅れになるだろ。ここにいれば、俺がなんとか守ってやれるからな。」
「いや、だからっていいんですか!女を安易に家に泊まらせて!っていうか女として見てなかったらアレですけど!」
「安易じゃねえよ。言ったろ、何とかするって。責任果たさせろ。」
「いや、だとしても……」
「俺の家セ●ム入ってるしな。」
「なるほど。」

確かに安心だとぼんやり思ったものの、流石に彼の家に泊まるのは迷惑をかけすぎなのではないか。当のローさんはこの話はもう終わりと言わんばかりにもうすっかり冷めてしまったコーヒーのマグカップに口をつけ、傍にあったメガネをかけるとノーパソに向かい始める。あっけにとられた私は物的証拠(ブラジャー2ケ)の入ったジップロックを持ったまま暫時動けずにいた。しかしローさんが早く荷物持って来いと再度促したので、観念してのろのろソファから立ち上がった。

「(ああ、なんだかなあ…嬉しいんだか悲しいんだかもう分からんわ…。)」
みかん、」

リビングから出ようとドアノブに手をかけた刹那、名前を呼ばれ反射的に振り返る。なんだ、物的証拠はおいてってか。置いてかないぞ、恥ずかしいんだから(カップ数モロバレたし)。

「はい?」
「ちゃんとお前を女として守ってやるから、心配すんな。」

ふっと笑ってそう宣うローさんを見届けると、静かに扉を締めた。じいいいんと耳たぶが熱くなるのが分かって、思わず物的証拠(ブラジャー2ケinジップロック)をぎゅうううう、と胸のまえでめいいっぱい抱き締めた。

「(ああああああ!!ダメだよこんなイケメンと夜を過ごすなんて私の方がダメだあああ!関係ないけど黒縁メガネ似合いすぎだろおおおお!)」


一陽来復



むしろ心配しかないんですけど!!


執筆 2015.10.22.





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