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「西口にこんなお店あったんですねー。」
「ああ。ビルの中だから分かりにくいがな。」


ローさんの広い背中を頼りに細い路地裏を抜けて、怪しげな雑居ビルへとたどり着いた。言われるがまま、そのビルの螺旋階段を登り、後ろのローさんの指示で一気に四階まで上がると、廊下の突き当りにガラス張りの扉が見えた。良かった、変な事務所ではないらしい。ローさんが慣れたように扉を開ければチリン、とベルが鳴る。そうすればウエイター姿のお兄さんが二名様ですねとにこやかに私たちを一番奥のテーブルへといざなう。存外中は広く、このフロアの大半の面積を占めているらしい。中は意外にも人が多く、おしゃれな大人が多い気がした。店内は喫煙可で、どこかしらもくもくし、幽かに聞いたことのないジャズの音が聞こえるこの雰囲気さえ既に酔ってしまいそうだ。

「悪ィ、タバコダメだったか。」
「いいえ。吸いませんが、父がよく吸う方なので全然慣れてます。」
「そりゃ助かる。」

ローさんも普段はそこまで吸う方ではないらしいが、お酒の場だと時折無性に吸いたくなるのだという。適当にローさんが注文をしている間、私は窓の外の景色を見ていた。やや駅から離れた場所に経つが、この辺はスナックとか多いらしく、窓の外に広がる通りにはフィラメントがよく目に付いた。存外面白そうなお店が多いもんだと今更感心する。

「(…じゃないじゃない、今はそんなこと思ってる場合じゃなかった……)」

本当にどうしてローさんは今日に限って私を誘ってくれたのだろうかと今までずっと頭の隅で考えていた。もちろん私としては願ったり叶ったりだが、どうにも自分から気さくに誘うタイプにも彼は見えないからだ。何か裏があるにはあるが、それは私にとっていいことなのか、それとも否かが問題である。

「ローさんはいろんなお店を知ってそうですね。」
「ここに住んで結構経つからな。大概この辺は見知った店が多い。」
「…その、今日はどうして誘ってくれたんですか。」

私が問いかけば彼はじっと私の目を見た。彼の鋭い双眼に見つめられると蛇に睨まれた蛙並みに動けなくなるというか、呼吸さえ苦しくなる。時間にして多分十秒もなかっただろうが、彼と目を合わせた時間は途方もなく長く感じた。二人の間の静寂を打ち破ったのは、あいだに入ってきたウエイターの食前酒を運ぶ朗らかな声であった。

「そんなに辛くないワインだからそう構えるな。」
「あ、いえ、済みません、ワインには疎くて。」

ローさんはひとまずグラスを手に持ち傾けるとそれを緩やかな動作で口につけた。私もそれに続く。お酒というか、実年齢以上に様々なことに対して精通してそうなこの人のことだから、ワインにも詳しいに違いなかった。

「随分単刀直入だな。」
「え、」
「俺も単刀直入に言うが、お前に関して知りたいことがある。」
「知りたいこと、ですか?」
「ああ。少しばかり気になったことがあってな。別に嫌なことは答えなくてもいい。」
「いいえ、私でよければお答えしますよ。」

私のことが知りたいってあれか、王道少女漫画で言うところの『君のことをもっと知りたい……』的なあれか?思わずグラスを握る手が汗ばむ。たしかにこれまでタンデムしたり世間話したりと仲は良好とは言えたが、ここに来て急展開かと心臓がどきりと高鳴る。たかなりすぎてもはや痛い。前菜が運ばれ、それを啄みながら、話は緩やかに進んでいく。

「みかんはなんであのマンションに引っ越してきたんだ。」
「はい。実はひょんな事なんですが、オーナーのドフラミンゴさんのご好意といいますか……。バイト先のダイニングバーによく飲みに来られる方で、私の身の上を聞いてくれて、それでちょうどあの部屋の空きがあるからと誘われたんですよ。とんでもない破格の家賃で。」
「……そうか。そいつとは親しいのか。」
「親しいというか…最近親しくなり始めたって感じですね。とはいえこちらから誘ったことはないです。たまにいつもお世話になってるからお礼に実家の梨とか野菜をあげたりお店でお話したり、そのノリでたまーにご飯ご馳走になるくらいで。私自身ドフィさんの身の上とか全然知りません。なんのお仕事してる人か、未だにわかんないし。」
「……随分可愛がられてるんだな。」
「ええ?可愛がられてますか?ベビー5さんほどではないと思いますが…」

黙々とご飯を食べながらもローさんはきちんと聞いているようで、時折眉間にしわを寄せたり、何やら思案するように私の話を聞いていた。彼は出来るだけ詳しく私の話を聞き出そうとしているようにも見えたが、その真意は未だ定かではない。

「そうか…。現時点ではまだ問題はねえんだな。」
「問題?」
「いや。なあ、変な事きくかもしれねえが、」
「はい。」
「最近誰かに見られてる気はしねえか?」
「見られてる?……あ、」

思わずフォークでさしたニョッキを落としそうになる。思い当たる節がいくつかあって、思わずローさんの目をジッと見た。彼は目を細める。

「あの、私の気のせいかもしれないんですが、最近たしかに視線を感じるっっていうか、もしかしたら気のせいかとは思うんですが……。」
「それはいつ頃から感じるようになったんだ。」
「いつ?えーっと、テスト始まる前ぐらいからだから…一ヶ月前…?」

自分で指折り数えて思わず驚く。そんなに前からそんな現象が起きていたとは自分でも初めて気がついた。気のせいがひと月も続くのだろうかというかすかな疑問を浮かべると同時に薄気味悪さを覚える。彼は何故知っているのだろうか。それを尋ねるまでもなく私の表情に見えていたらしく、ローさんは続けた。

「俺が何故知ってるか知りたいんだな。俺もお前と同じような境遇にあるからだ。」
「同じ?」
「最近誰かに監視されている気がする。以前も何度かあったんだが、最近またそれが始まったんだ。」
「監視って、す、ストーカー!?」
「違ェよ。そんなのよりある意味たちが悪ィかもしれねえな。」
「え、怖!」
「いや、そこまで怖がる必要もなさそうだ。今はまだあぶねえ事にはならねえだろう。」
「今は、ですか…。てか私たちって監視されてるんですか本当に…」
「ああ。多分俺の見当はほぼ当たってる。だが、そうだな、今お前に教えたところでどうにもならねえ。とりあえず今のところ怖がる必要も心配する必要もねえから安心しろ。」
「安心できんわ!!」

思わず突っ込んでしまったが、ローさんはこれまでと同じく何事もなかったかのようにワインを優雅に飲み干した。

「なんとかする。」
「な、なんとかって、ていうか私はその監視してる人のこともまだ知らないし……。」
「とりあえずこれからも普通に暮らしてりゃあ平気だ。これは間違いねぇ。だが、仮にみかんが無闇矢鱈と警戒してビクビク暮らすんなら、あいつらも何か仕掛けてくるかもしれねえ。だからむしろ気にせずいたほうがいいんだ。」
「なんか全然よく分からないし分かりたくないんですけど、すごく嫌なものに巻き込まれてることはわかりました。」
「それでいい。」

なんだか一気にテンションが下がりどっと疲れが出てきた気がした。これから夏休みだというのになんという展開であろうか。挙げ句の果てに結局核心は分からずじまいである。安心感よりも恐怖を植えつけられた感が強い。

「その、今日はそれを伝えるために私を…?」
「ああ。」
「さようですか……。」

おまけに全然フラグが立たないというダブルの止めである。うなだれる私を見たローさんはしばらく私を見つめた後に何か不憫に思ったのか、突然手を伸ばすと私の頭を包んだ。

「心配するな。さっき言ったとおり、なんとかする。」
「ローさん……」
「この件が落ち着くまで、どっか行ったり帰ってきたりするときは極力俺に連絡しろ。あと出来るだけ一人でいない方がいいかもな。」
「は、はあ」
「俺も極力送迎ぐらいはしてやる。」
「!?」

ということで、よくわからない奴によくわからない目的でよく分からぬうちに狙われているらしく、そのおまけにローさんに私の足取り等を報告することとなったのだった。



柳の下の泥鰌



「(アニメイトに行く時も報告必要なのかな……)」


執筆 2015.09.24.




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