ベイビーと呼ばないで | ナノ


兄と妹のまま終わりたくない


「んじゃ、お疲れー」
「お疲れ様です」
 テーブルの反対側にマイクさんが居る。それだけならば見慣れた光景だが、今日のテーブルに並んでいるのはCM原稿ではなくビールジョッキやつまみ達。
「ッハァー、仕事終わりのビールはたまんねえな」
「今日は雄英からいらっしゃったんですか?」
「いんや。ヒーロー業のほうね。学校は夏休み」
「夏休みって――」
 とりとめのない話をしながらビールを飲み進める。今日は飲み過ぎてしまわないように、二杯目にはウーロン茶を注文した。
「飲まねえの?」
「このあいだ営業部の飲み会でハメを外しちゃって……それであの、酔っぱらってマイクさんにDM送ってしまってすみませんでした」
「あれ酔ってたんだ?」
 私は小さな嘘を吐いた。酔った勢いで『会いたい』と送ったわけではない。
「そんなところです……」
「ベイビー、酒は飲んでもまれんなよー」
「飲み過ぎたことは反省してます……でも、マイクさんにお時間作ってもらえたから今回は結果オーライかも」
 肩を窄め、太腿の上で握り拳をつくった。手は震え出している。自分の心臓の音が聞こえる。
 今が『その時』だ。意を決して鼻から息を吸い込むと、それと同時に、
「悪いけどベイビーの気持ちには応えられねえよ」
マイクさんが私の胸をぐしゃりと握り潰した。
 分かってはいた。私の片思いであることぐらい、ずっと前から。私は今日、マイクさんを諦めるためにここに居る。それなのにどうしてこんなにも悲しいのだろうか。マイクさんの言葉一つひとつが針のように私に刺さる。
「お前が俺のコトどう思ってるかはなんとなく分かってる。でもゴメンな、諦めてくれ」
 両目と頬の間がひくひくと震え動いている。このままだと泣いてしまう。私はウーロン茶のグラスを掴んで勢いよく飲み干すと、腹に力を入れて声を出した。泣きたくない。
「大丈夫です。分かってます。いろんな人からマイクさんは諦めろって言われてきましたし、マイクさんの答えも分かってました」
「オイオイ誰だそんなお節介なヤツ。シゲ?」
「はい。あとディレクターさんとか……副社長にもバレてました」
「HAHA、バレバレじゃねえか!」
 マイクさんは笑い声を立てて、ビールのジョッキを口元に運んだ。
「シゲにディレクターに副社長か。みんな優しいなァ」
「優しいって……?」
「そいつらは全員知ってんのよ。俺の女のこと」

 俺の女。

 マイクさんが再び口を開くまで、私はその短い一言を頭の中でリピート再生し続けた。俺の女。俺の女。不意に思い出す、重岡さんやディレクターや副社長からの忠告。マイクはやめておけ。
「――AFOとの戦争の時、ベイビーは何してた?」
「戦争、ですか……? 私は学生でした」
「だよな」
 マイクさんの視線の先には枝豆の山。だけどきっと彼が見つめているのは枝豆ではなく、私には見えない何かだ。愁いを帯びた眼差しで何かと向き合っている。
「ってことはシェルターに居たの?」
「はい。私が住んでた町も結構な被害を受けちゃって……でも何とかこうして生きてます」
「そっか。幸せだなあ、ベイビー。生きてるっていいよな」
「そう……ですね」
「仕事終わりに美味い酒を飲んでさ、イイ気分で一日を終えることができるんだぜ? 何の努力をしなくても明日は来て、また酒を飲めるなんて最高だよなあ」
 なんとなく、話の終着点が見えてきた。
 私の思い違いであってほしかった。「そりゃ深読みしすぎだ」と笑い飛ばしてほしかった。でも。
「俺の女はな――彼女とは婚約してたんだけど、結局俺はこんな歳まで独り身だ。意味分かるよな?」
「……はい」
 かける言葉が見当たらない。
 あの戦争は多くの人の命を奪った。でも私の身の回りではせいぜい友達の家族が亡くなったぐらいで、私の大切な人は皆、今も元気に生きている。
 婚約者を失ったマイクさんの気持ちは分からないけれど、想像ぐらいはできる。どれほど辛かったか、苦しかったか。
「だからってこの歳まで誰とも何もなかった、なんてこたァねえよ。彼女が亡くなってから何年も経ってるしな」
「そういえば……何回か週刊誌に撮られてましたね。私が入社する前でしたけど」
「そーそー。まァ、撮られた子達とは付き合ってたワケじゃねえんだけどさ」
「そうなんですか? プレゼント・マイク熱愛発覚、みたいなタイトルだった気が……」
「NAH、週刊誌なんてデタラメばっかだって。あの子達はただのセフレ」
「セフレ……ですか」
「YES。本気になりたかったんだけどサ、なれなかったんだよなァ」
 戦争で亡くなってしまった婚約者。
 週刊誌に撮られたセフレ達。
 私は前者にはなれない。なれるわけがない。なろうと思うことすらおこがましい。
 後者には……どうだろうか。
「適当な女と割り切った関係に、ってことなら俺はいつでもウェルカムだぜ? でもお前は違うんだよ」
「違う……んですか?」
「違うな。ベイビーは俺にとっちゃ泣き虫で危なっかしくて……歳の離れた妹みたいな? とにかく大事な存在なワケよ」
 マイクさんはようやく枝豆から視線を上げて、私を真っすぐに見据えた。
 その瞬間、好きだ、と思った。
 大きな瞳をこちらに向けてくれるマイクさんが好きだ。私を『大事な存在』と言ってくれるマイクさんが、やっぱり好き。先手を打つようにあっさりとフられてしまったのに、もう諦めなければいけないのに、諦めたくない。
「これから妹以上にはなれませんか?」
 マイクさんの首は縦にも横にも動かない。
「俺はもう二度と好きな女を失いたくねえ。だから次に誰かと付き合う時には……相当メンドクサイ男になっちまうと思うワケよ。まず別々に住むなんて有り得ねえし、四六時中連絡取り合って、その子が無事かどうか常に把握してないと気が済まねえ。でもさー、こんなおじさんなのに重いなんて嫌ジャン? 超ヘビー級だぜ? 嫌だよなァ?」
 私は首を横に振った。
「ベイビーが俺のこと好いててくれるのは嬉しいぜ。でもな、俺が嫌なんだ。お前みたいな若くて未来ある子を四十手前のおじさんに縛り付けたくねえの。来年の夏フェスは木椰子製菓さんゴールドスポンサーだろ? 仕事、頑張らねえと。まだ新規のクライアント取ってきてねえよな? 頑張って来いよ。俺にベイビーの初クライアントのCM読ませてくれよ」
 長い台詞を一気に吐き出すと、彼はビールのジョッキを空にした。
 もし私が十歳でも五歳でも大人だったら、なんて嘆いても何も変わらない。マイクさんと私の年齢差も、距離も縮んでいきやしない。
「年齢……ですか」
「それだけじゃねえけどな」
「私はマイクさんの彼女にはなれないんですね」
「ああ」
「じゃあ、適当な女と同じようにしてください」
「WHAT!?」
 マイクさんは眉を吊り上げ、声を張り上げた。
「適当な女と割り切った関係になれるなら、相手が私でもいいですよね?」
「あのさあ、俺の話聞いてた!?」
「聞いてました。私のことを大切に思ってくれてすごく嬉しいです。でも……私はマイクさんが好きです。兄と妹のまま終わりたくない。マイクさんの彼女になれないならせめて適当な女になりたい」
「ベイビー、俺はお前に手なんか出したくねえよ」
「私はマイクさんとどうにかなりたいし……なる想像だってしました」
 マイクさんはテーブルに肘をつくと、大きな手で両目を覆った。
「……おじさんを揶揄わないでくれ」
 その手は口元まで滑り落ち、彼の大きな溜息を受け止める。
「つまんねえジョークはやめろ」
「ジョークじゃないです。私は本気です」
「ベイビー、いい加減にしろ」
「聞いてください。彼女にして欲しいなんて言いません。割り切った関係でいいですし、セフレにしてもらえなくてもいいです。最初で最後でいいから抱いてください。それでマイクさんのことは諦めます」
 考えるよりも先に、矢継ぎ早に言葉が出てくる。
 この先マイクさんと気まずくなってしまうかもしれない。もう妹のように大切だと言ってもらえないかもしれない。それでも引き返すことなんてしたくない。年齢も距離も変わらないなら、せめて何か一つでも変えたい。
「お願い」
 マイクさんは両手で顔を覆い隠して、少しの間黙っていた。
 私はテーブルの下で手と手の指を組み合わせた。どうか断わり文句を考えていませんようにと、祈るように両手に力を込める。
「ベイビー、お前さあ……泣き虫の癖に、なんでこういう時は泣かねえんだよ」
「本当ですね」
「だいだいそのガッツがあれば新規クライアントなんて余裕で取って来れんじゃねえの? お前仕事中何やってんだよ」
「だって営業先は沢山ありますけど、マイクさんは一人しかいないし……営業みたいに簡単に諦められないっていうか……」
「ハァ……俺が経営者だったらコロっと契約しちまうだろうなァ」
 乾いた笑い声を漏らしたマイクさんは、伝票に手を伸ばして、呆れたように言った。
「適当なホテルでいいよな?」

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