Dream | ナノ



 クラスメイトに誘われて夏祭りを訪れた。集まったのは男女合わせて十数名、親しい友人から辛うじて顔と名前が一致する程度のクラスメイトまでじつに雑多な顔ぶれだ。缶ビールと酎ハイで乾杯し、ひとしきり盛り上がった後、誰からともなく席を立ち始めた。ある者は買い出しに、ある者は酔っ払ってトイレへ、そしてある者は意中の相手を誘い出して祭りの喧騒の中へと消えた。
 私はひとり、何の気なしに屋台の並びを歩いていた。かき氷、りんご飴、フライドポテト、射的――ふと射的の屋台の前で足が止まる。景品棚に並ぶ、小さなキーホルダーが目についたのだ。可愛い、と思った。それは私の好きなキャラクターで、弾けるような笑顔で両手を広げている。まるで「僕を取ってくれ」とでも言わんばかりに。
「一回三百円だよ」
 どうやら私の視線はキーホルダー一点に釘付けになっていたらしい。店主が、客を逃すまいと、射的銃をこちらに向けて差し出していた。キーホルダーがどうしても欲しいわけではないが、「結構です」と突き返すのはなんだか気が引ける。たった三百円なら失敗しても痛手とはならない。運良くキーホルダーが取れたら通学鞄に付けよう。私はそんな軽い気持ちで銃を受け取った。
 一ゲームにつき弾は三発。手のひらサイズのキーホルダーぐらい簡単に落とせるだろうと甘く見ていたが、弾は擦りもしなかった。三発の弾をあっという間に無駄にし、あえなくゲームオーバー。
「おじさん、もう一回」
 射的銃を返却しようとした、まさにその瞬間。背後から馴染みのある声が飛んできた。私の半歩後ろに立っていたのはクラスメイトの諏訪洸太郎。今日のメンバーの中では『親しい友人』にあたる。
 たしか諏訪は他の男子達とビールを買いに行ったはずなのに。一体いつから見ていたのだろうか。何度撃てども狙いを外す、なんとも無様な私を。
「もういいよ。また取れなかったらお金勿体ないじゃん」
「三百円ぐらい出してやるよ」
「なんで諏訪が」
 財布から小銭を出そうとした諏訪を制して、私はもう三百円を支払った。たかが三百円、されど三百円だ。諏訪に奢られる義理はない。
 成り行きで始まってしまった第二ラウンド。既に六百円も費やしてしまった。雑貨店で似たようなキーホルダーを買ったほうがよっぽど安上がりなのに。
「ねえ、諏訪のせいなんだけど」
「なにが」
「六百円も払っちゃった」
「だから俺が出してやるって言ったろ」
「奢らせるのは違うでしょ」
 水臭えな、と諏訪がぼやいた気がするけれど、聞き間違えたのかもしれない。私達はたった半歩分しか離れていないのに、祭りの騒めきが障壁となる。
「――だったら」
「え?」
「だったら素人でも的に当たる打ち方教えてやる」
「ちょっと。素人って呼ばないで」
「事実だろうが」
「事実だとしてもムカつく」
 素人呼ばわりされるのも、小馬鹿にされるのも良い気はしない。だが諏訪はボーダー隊員だし、(詳しくは知らないが)彼は銃を用いて戦うと聞いたことがある。素人か玄人かといえば後者だ。ここは諏訪に従うのが賢明だろう。
「絶対当てさせてよ」
 姿勢、銃の構え方、狙うポイント。全て諏訪のアドバイス通りにやってみた。……つもりなのに、二発連続で撃ち損じてしまった。チャンスはあと一発。
「素人でも的に当たる打ち方教えてくれるんじゃなかったの? 諏訪こそ素人なんじゃない?」
「俺がやったら一発で取れるに決まってんだろ」
「じゃあ諏訪が取ってよ」
「んなことしたら商売上がったりじゃねーか」
 銃の扱いに慣れているボーダー隊員が高額な景品を一発で仕留めたら大赤字ものだが、私の狙いはただのキーホルダーだ。六百円も支払ったのだから、キーホルダーの一つぐらいつべこべ言わずに取ってくれてもいいのに。
 意地悪をされているみたいで、むくれていると、
「ったく、しょうがねーな」
 諏訪は半歩、私に歩み寄ってきた。先程まで私達の間にあったはずの見えない壁は――スピーカーから流れる音楽や行き交う人々の話し声は突として存在感を失った。今、諏訪は私の背後にぴたりと張り付いている。私の嗅覚が彼の衣服に染み付いた煙草の匂いを察知できてしまうほどに。
「背筋」
 とん、と諏訪の手が私の背中を叩いた。
「脇はちゃんと締めろ」
 その手は肩に移り、やさしい力で私の腕を押す。
「銃口はもっと上。バーカ、行き過ぎ」
 キーホルダーに集中したいのに、思考はみるみるうちに逸れてしまう。的は視線の先にあるのに、背面ばかり意識してしまうのだ。
 今は大人しく白旗を上げることにする。
 諏訪洸太郎について考える。
 彼は『親しい友人』だ。入学当初から同じ授業をいくつも受けているし、学食や飲み会で同じテーブルに着いたことは一度や二度ではない。大学に入ってから付き合った元カレは諏訪の友達だし、私だって諏訪の元カノを知っている。そんな私達に添えられるキャプションは『親しい友人』が相応しい。だから親しい友人に少しぐらい体を触れられても、バカと言われてもなんとも思わぬはずなのに、胸の奥がじりじりと焼けるような感じがするのは何故なのだろう。たった二本しか飲んでいない缶酎ハイが今になって私の血流を良くしているというのだろうか。それとも私は、まさか、諏訪を意識しているというのだろうか。親しい友人を、友人ではない異性として。
「――おい」
 諏訪の声が私を射的の屋台へと引き戻す。
「下げすぎ」
 汗が一筋、こめかみのあたりから頬に向かって垂れた。夏の暑さで全身が茹だる。妙な考えを起こしてしまったことを、ここはひとつ、熱気のせいにしておこう。
 私はふっと小さく息を吐いた。
 的は真正面にある。気を引き締めなければ。
「もう何なの。上げろとか下げろとか」
「おめーがヘタクソだから言ってんだよ」
「ヘタクソで悪かったね。これでいい?」
「もうちょい」
「はい」
「怒んな」
「怒ってない。これでいい?」
「よし、いいぞ」
 諏訪の合図で思い切り引き金を引くと、弾は景品棚に向かって真っ直ぐに飛んでいき――キーホルダーが棚から落ち、なかった。



「なんかモヤモヤする」
「なにが」
「だってこれに九百円も払ったんだよ?」
 手のひらの中のキーホルダーは私を見上げ、勝ち誇ったように笑っている。この笑顔が可愛らしいと思っていたはずなのに、九百円も取られてしまったことを思うと憎たらしく感じてしまう。
 キーホルダーを打ち落としたのは諏訪だ。呆気に取られる私から射的銃を奪い取り、たった一度で撃ち落としたのだ。「俺がやったら一発で取れるに決まってんだろ」の言葉の通りに。
「誰かさんがヘタクソだから」
「しょうがないでしょ。素人だし」
「リベンジするか?」
「いい。射的なんて二度とやりたくない」
 私はそう言いながら、またしても素人とかバカとかヘタクソとか、嫌味たらしい言葉で笑われるだろうと身構えた。
 しかし、予想は大きく外れる。
「わざとだよ」
 諏訪はまるでひとり言つかのように、「暑いな」とでも呟くかのようにそう言った。
 諏訪の言葉が何を意味するのか、私には分からなかった。もしかしたら聞き違えたのかもしれない。「わざとだ」はスピーカーが奏でるポップソングの歌詞で、諏訪が口にしたのは別の言葉だったのかも。
 今なんと言ったのか、聞き返そうとキーホルダーから視線を上げる。と、諏訪の黒く小さな瞳は私を見下ろしていた。
「おめーにはわざと外させた。こう言えば分かるか?」
 今度は一言一句聞き漏らすことなく頭に入ってきた。
 諏訪は私にわざと外させたと。キーホルダーが取れるようアドバイスをしてくれていたと思っていたのに、私は諏訪の手のひらの上で踊らされていただけなのだと。
 ――でも、何の為に?
「分んなきゃいい」
 私の疑問を読んだのか。諏訪はそう答えると、外方を向いてしまった。そして着信音が鳴っているわけでもないのにスマートフォンを取り出し、誰かと通話し始める。
「今どこだ? 俺は戻ってる。いや、さっきナマエとばったり会って――」
 急に歩調を速めた諏訪は、私を突き放そうとせんばかりにどんどん歩いていく。諏訪との距離は急速に広がっていくのに、どういうわけか彼の背中はだんだんと大きく見えてくる。そんなおかしなことは起こり得ないのに。どうしてなのか、分からない。
「分かんなきゃいい」と諏訪は言った。その言葉の裏に隠れていた本心が、彼が濁していたはずのものが少しずつ本来のかたちを取り戻していく。
「……君、諏訪が取ってくれたんだよ」
 私は諏訪の背中から視線を外し、手中のキーホルダーと再び向き合った。そう、これは諏訪が取ってくれたのだ。わざわざ私が的を外すよう誘導して、自ら三百円を払って取ってくれた、謂わば彼からのプレゼントだ。
 好きなキャラクターのキーホルダーだから。屈託のない笑顔が可愛らしいから。だからキーホルダーが取れた暁には通学鞄に付けようと思ったし、私はきっとそうするだろう。そこに新しく、そして何より最も価値のある、『諏訪洸太郎』という名の理由を添えて。

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