musica
012
『だって、僕も同じだから』残された白い面積に大きく書かれた、いつもの整列した文字列。止め跳ねがしっかりされた、読みやすいそれ。
文字から視線を外せば、いつのまにか顔をあげていた竹内と目が合う。黒い目の中に、間抜けな顔の小淵が映しだされていた。
ふ、と笑う彼。どこか吹っ切れたような、穏かな微笑。先ほどの悲しそうな顔とは全く違った表情をしていた。胸の内をふつふつと暖かな何かが湧き出てくる。気付けば、彼の目の中の小淵も同じような微笑を浮かべていた。
近くにあったコンビニで買ったお茶のペットボトルを渡して、隣へ座る。公園に設置された錆びた馬が、青年の体重に抗議の声をあげた。一口飲んだところで、肩を叩かれる。
『僕が気持ち悪いとか言って拒絶するとは思わなかったんですか』
街灯の下で手渡されたのは、スケッチブックの白いページとボールペン。小淵は、無言で受け取って、そこに新たな文字を書き加えた。
『思いつかなかった。なんでだろ』
返されたページを見て、顔を顰める彼。手にしていたサインペンの蓋を取り、さらさらと何かを付け足した。
『一歩間違ったら、変態扱いですよ』
少々辛辣な忠告。ボールペンをノックしてその下にさらに加えて返した。
『たぶんさ、竹内ならそんなこと言わないと思ったんだ』
『過大評価です!』
すぐさま返ってくる返事は、普段よりも大きな文字だった。くす、と笑みが零れる。視線を感じて、隣を見れば眇めた目と眉間に深く刻まれた皺。
『オレ、これでも工学部なんだ』
唐突に刻まれた言葉に、首を傾げる竹内。いきなりどうしたんだと言いたげな視線に微笑んでみせ、小淵は下に一つの約束を書いた。
『いつか、竹内が歌えるようなノド、作るよ』
白いページの文字を眺めていた彼が、弾かれたようにこちらを見る。今日、何度目だろうか。その目は零れ落ちそうなほど見開かれていた。
「歌いたいって気持、捨てなくたっていいんじゃない?」
黒目を薄い膜が覆う。波打ったそれは、街灯の明かりを跳ね返して、膨れ上がった。
「だから、それまで、できればそれからも一緒にいてくれないか」
まろやかな頬を決壊した涙が零れ落ちていく。それから、彼は崩れるように微笑んだ。
fin
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