musica

005

 彼は、竹内蓮と名乗った。ふわふわと波打つ茶色い髪に、墨を流し込んだような目を持つ、どこにでもいそうな雰囲気の少年。そして、最初の印象とは打って変わって彼はよく話しよく笑った。ただ、そこに声というものがないだけで、普通の少年だった。

「なぁに、にやにやしてんだッ」
「だっ」

 じんじんと熱を持つ後頭部を抑えつつ後ろを振り返れば、妙齢の女性の険しい顔と目が合う。無言で作業を促され、自然と止まっていた手を適当に動かした。補充されていなかった教本や手入れするための用品を置きながら、埃を掃う。さささ、と普段以上に素早い動きで片付けてみせた。

「よろしい」

 満足そうににっこりと微笑む女性。シンプルなエプロンの胸元には小淵楽器店と刺繍があり、その下に店長、さつきという手書きの文字が踊っていた。紙一杯に書かれた大きく太い文字は乱杭歯のように波打ち、彼と比べるべくもなく、かなり手荒な印象を与える文字である。

「…悟志。最近、よくあたしが書く字を見てるけどどうしたんだい?」

 何か察するものでもあったのか、小淵の視線を追った彼女が不思議そうに首を傾げる。乱雑にまとめられた髪や色気もへったくれもない服と言動。文字は人柄を現わすのだろうか。

「友達の文字がすごくきれいなんですよ」

 踊っているような文字を見ながら、思わず笑みを零す。必然的に字を見る機会が増えたために気付いたことだ。叔母と会話しているというのに、どこか彼につながっているようで、頬が緩む。

「ほう、それであたしの字は金釘流って言いたいわけだね」

 眇められた目と眉間に深く刻まれた皺が、小淵を睨みつける。失言だったか。彼女の逆鱗に触れればどうなるかよく知っている彼は、さりげなく話題をすり替えようと目についた看板のことを口に出した。

「でも、ほら。さつきさんは、ボイトレできるくらい声が綺麗だからいいんですよ」

 その美声で優良物件として近所で有名だった男性を射止めてすらいる。

「ばか。声の出し方、発音の仕方さえ知ってれば、だいたい綺麗な声って言われるんだよ」

 そもそもボイトレってのはなぁ、と始まった講釈。しかし、小淵の耳が拾ったのは、小さな物音だった。
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テーマ「人外ファンタジー」
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