竹くずし

001

 静かな竹林の中、ぼんやりしていたトウカは、視界に映った大きな生き物を見上げていた。生き物は、ナメクジのような風体で突き出た腕がトウカの頭を撫でる。そうしながら、生き物の体からにゅるりもう一本の腕が生えた。それは、まっすぐトウカの腹部に向かう。直前で人の手のような形をとって、優しくさすった。生き物が微笑んだようだった。
静謐な世界、ただ竹林が風に揺られて立てるさわさわとした音だけが響いている。
 ここはどこだろう。
 トウカは初めてその疑問を抱いた。

 町はずれに立つ家が、トウカの暮らす場所だった。トウカと、その兄ケイカの二人で暮らしていた。兄が遠くへ働きに出て、弟が家事をしつつ町で手伝いをして、楽しんでいた。両親も親類もいなかったが、何の不満もなく生きてこれた。
 それが変わったのは、つい先日のこと。
気付いたら竹林の中にいた。頼まれていた品物を届けに行く途中で、町中の大通りを歩いていたはずだった。
「あ、れ…?」
 見回してみても、見慣れた街並みが出てくるわけではなく、どこまでも青いまっすぐ伸びた竹が周りを囲んでいるだけ。道を間違えたのかと考えて、その可能性を否定する。先ほどまで店先の女性と話していた。それもここからまっすぐのところの酒屋に行くからと話を途中で切り上げたところまで覚えている。曲ってもいないのに道を間違えるわけがない。
それでも竹林の中に一人ぽつんと立っている。
手持無沙汰になって意味もなく額に手を当てて天を仰いだ。木々の隙間から雲一つない青空が見える。
「ない…?」
 ふと、かかる重みが消え失せていることに気付いた。両手や腰のあたりを見回しても持ってきていたはずの酒瓶がない。もうすぐだから、と車を置いて籠ひとつを抱えていたはずだ。
 探さないと。訳が分からないながらも、ひとまずトウカは歩き出した。酒瓶を届けたら早く帰宅するらしいケイカのために、食事を作らなければならない。そのためには、請け負ったことを終わらせねば。
 茶色い細い葉が積み重なった柔かな地面と群生する緑の植物。すらりと伸びているようで時折斜めに生えているものもあれば、途中で折れたらしいものもあった。どこまでも途切れない景色。同じ色と同じ感触が続く。どこまでもどこまでも。そのうち、トウカは自身が歩いているのか、周りの景色が動いているのか分からなくなってきた。このまま止まっても竹林がゆっくりゆっくりと動いている。目印になるものもなく、つけられるような道具もなかった。このままでは、抜け出すことも籠を見つけ出すことも難しいだろう。
 こんなとき、兄さんだったら。優秀な彼なのだ。簡単に対策を見つけてとっくの昔に帰宅しているだろう。だから、街へ呼ばれたのだ。早く帰る事が難しい仕事を請け負って。
「行かなきゃ」
 自然と止まっていた足を叱咤し、トウカは歩き出す。兄と会ったら、不思議な体験をしたと語ってやろう。シミルおばさんがまた新しい作品を作り上げたことも、近所のマクタのところに子犬が産まれたことも。全て彼に話さないと。そのときは、兄の好物を作るのだ。暖かい食事で出迎えよう。きっと疲れている。そして、街の話を聞くのだ。ゆっくりとくつろぎながら。帰る事を考える。兄との団欒を。彼の笑顔を。それが折れそうになる心を足を進めさせてくれていた。

 かえるのか。かえりたいのか。

 言葉が聞こえた。男か女か区別のつかない、何重にも響いた声。かえる。帰る。帰りたいということか。トウカは深く考えずに呟く。
「兄さんに会いたい。帰りたい」
 瞬間、視界が反転した。
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