■侵蝕する麗しの快楽
窓から飛ぼうとする彼女を抱きしめる。
僕の腕の中で彼女は泣いた。声に出して泣いた。「今日も飛べなかった」と泣いた。
彼女は何度も窓から飛ぼうとする。僕はその度に彼女を抱きしめる。
初めて飛ぼうとした彼女を後ろから抱きしめて、彼女の飛行を邪魔した時、彼女は僕を罵った。昼間の彼女の笑顔からは想像も出来ないような言葉が、夜の彼女の口から溢れ出た。その言葉は僕を傷つけ、彼女をも傷つけた。
その日から彼女は夜になると窓から飛ぼうとするようになった。その度に、僕は彼女を抱きしめ、部屋の中に入れた。
回数を重ねれば重ねるほど、彼女は僕を罵らなくなった。代わりに泣くようになった。その泣き声はとても悲しくて、まるで彼女の背中に翼が生えているにも関わらず、僕のせいで飛べないと訴えるような泣き声だった。
でも生憎、彼女の背中には翼なんてなかった。
僕の家には絵がある。翼を持った少女の後ろ姿の絵だ。とても綺麗で僕はその絵が大好きだった。 僕がその絵が飾られている理由を父さんに尋ねると、父さんは「これはお祖父ちゃんが描いた絵なんだよ」と教えてくれた。
お祖父ちゃんが本当に翼を持った少女を見て描いた絵なのか、お祖父ちゃんの想像を表した絵なのかわからないけれども、その絵はとても綺麗な絵だった。
僕は、もしかしたら本当に翼を持った少女がいて、お祖父ちゃんがその娘を捕まえてきて描いた絵なのかもしれないと思っていた。だとしたら、お祖父ちゃんはその娘をどうしたのだろう。翼を持った少女はいつか空に帰る。お祖父ちゃんは、その娘の翼を取ってしまったのかもしれない。美しい天女の羽衣を隠すように。
その娘は泣いただろう。お祖父ちゃんを責めただろう。でも、お祖父ちゃんは決して翼を返さなかっただろう。だっていつまでもその少女と一緒にいたかっただろうから。
僕の妹は生まれたときからあるその絵が大好きで、毎日毎日飽きることなく、その絵を見ていた。僕はこの時異変を察知し、この絵を隠すべきだったのだ。
後悔してももう遅い。妹はその絵に魅入られ、いつしか自分の背中に翼が生えて空を飛ぶことを夢見出した。いつもいつも空を飛ぶ夢を見る妹。そんな妹を見放した両親。彼女の面倒をみるのはいつしか僕だけになった。
今日も窓から飛ぼうとする彼女を抱きしめる。
彼女の夢を邪魔するのは、彼女に翼がないからじゃない、だってこんな苦界、一人じゃ生きていられない。
title by 誰花
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