〜3〜



    「とりあえず適当に見繕ってきたぞ。場所が場所だから豪勢とは言えないが」

    「君の衣服に比べると随分装飾も多いし、動き辛そうなのだが」

    港町の服屋の袋から引っ張り出したものとコルテスとを見比べてイドは眉を顰める。白のブラウスに厚手のズボンは良しとする。だが、細やかな模様の入った生地で作られた丈の長い外套は彼には無駄なものに思えた。

    「私は人形だから寒さも感じない。それに季節を考えてもこのコートは不要なんじゃないか?生地の質も良いし、裾と袖の十字は意味のない装飾だ」

    君に無駄な金はかけさせたくない、とイドは外套を袋へ戻す。自分に最低限必要な手袋だけを取り、コルテスに袋を返す。

    突き返された袋を無理矢理握らされ、中身とイドとを交互に見る。いらない、と言われた外套は丁寧に畳まれ、イドは破れてくたびれた服を着ている。その顔は伏せられて見えないが、想像は容易かった。

    「お前な…なんで素直に受け取ろうとしないんだよ」

    「…君に無駄な金を使わせるわけには」

    「それこそ無駄なんだよ。いいか、お前は今服が無い。そして自由に使える金も無い。だから貰っとけ。いらない遠慮なんかしてたら生きていけないんだぞ」

    「だったらせめてもっと簡素な服を選んでくれればよかったんだ。こんな服、私には勿体ない」

    俯きながら言い訳を重ねるイドに溜息をついて、コルテスは頭を小突く。予想しなかった行動に、イドは一歩後ずさり突かれた箇所を押さえた。

    「お前一回じっくり鏡の前に立ってみろ。その整い過ぎた顔を自覚しておけ」

    それだけ言い残してコルテスは乱暴に外套をイドの手に押し付けて部屋を去る。残されたイドはただ呆然と立ち尽くす。言われた言葉を噛みしめるうち、もやもやとした感情が湧き出て、あるはずのない心拍を早める。

    「今朝も思ったが恥ずかしい台詞をよくもまああっさりと…」

    上質の外套を抱きしめ、顔を埋める。仄かなムスクの香りを吸い込み、誰も見ていないにも関わらず、熱くなった顔を隠した。





    「やっぱり似合うじゃないか」

    「ふん、元々の作りがいいからな、例えどんな粗末な服だろうと私が纏えば高価に見えるのだろう?」

    「…何だかんだで気に入ってるんだろ。鳥の巣みたいに絡まってた髪まで直して」

    「少ない金を叩いて繕ってもらったものだからな。着せ替え人形になるつもりはさらさらないが、大切に着てやろう」

    きつい言葉とは裏腹にイドは満足そうに言う。真新しい衣服を纏っただけで見違えたように思う。人形なので身体のバランスも完璧であるため、服が元々持つ価値の何倍も高価なものに見える。

    「厚かましいかもしれないのだが、何か護身になるようなものを貰えないだろうか」

    「俺の仕事柄必須になるだろうからそれは構わないんだが、使えるのか?拳銃も引き金を弾くのに結構力は必要だ。剣も接近型になるから人形のお前には向いてないだろう」

    持ち上げた身体の軽さを思い出す。感覚では同じ体格の男性の半分もなかった。遠隔の武器である銃の反動に耐えられるとは到底思えない。剣も同様、ただでさえ危険な接近戦を人形が熟せるわけがないのだ。

    「一緒に来い、なんて言っておいて無責任なんだけどな、俺は常に死と隣り合わせなんだ。人間と大差ない不可思議な人形のお前を守ってやれないかもしれない」

    「君は本当に失礼だな。私は誰かに守って貰わなければならないほど軟弱じゃない。昨日の件が例外なんだ。知っての通り少々特殊な身体だからな、基本の護身も出来るし、剣の腕は悪くないと思っている」
 
    脱ぎ捨てられた服を引き裂き、イドは長い髪を括る。きつく縛られたのを合図に深緑の目は冷たく代わり、軋む床を蹴る。一瞬で間合いを縮めコルテスの背後に回り、腕を首に回す。

    親指を立て、ナイフで斬りつけるように爪を走らせる。あまりの俊敏さにコルテスの体はもちろん思考さえもついて行かず、冷汗を流す。

    「私の心配をする君の方が余程心配だな。これが私の指ではなくてナイフだったら即死だぞ、コルテス」

    「…凄いな、お前」

    拍子抜けな答えに首を降り、手刀を解く。イドの皮肉も無視してコルテスは賞賛しか呟けなかった。見た目で判断というものは本当につかない。美貌の細身の青年が命を脅かすなど想像できるだろうか。

    「君が油断していたのもある。ここまで上手くいくことは早々ない。一通りの護身と戦闘技法を習っただけだからな」

    「習った?お前、誰かと一緒に暮らしてたことがあったのか?」

    何気なく発せられた一言にコルテスは食いつく。勢いにイドは眉を歪め、心底不思議そうな顔をした。

    「そうでなければ私は何で服を持っていられたんだ」

    「そこまで考えてないさ。ただお前が昔、誰かと共にあったってことが想像できなくてだな」

    「それ以前、どうして私は生まれられたか考えろ。人形ではあるが、一見は人間だ。当てもなく彷徨って道端で倒れていれば今回のように誰かが拾う。酔っ払いと間違えてな。ある奴は動く人形を恐れて再び捨てる。もしくは面白がって連れ帰る」

    過去を思い返すようにぼそりと言う。古びたベットに落ちるように座り、後ろに手をつく。コルテスを見上げ、意地悪く口を釣り上げる。

    「私を持ち帰った奴らは皆興味深かったぞ。男に裏切られた女、妹を犠牲にされた姉、荒波に揉まれて草臥れた男もいたし、娘を失った貴族出の父親、なんていう奴もいた」

    「お前を拾う奴って…」

    「そう、皆何かしらを失った奴ばかりだった。だから私を拾ったときに取る行動は同じなんだ。女は私に恋人の代わりとして愛を囁き、姉は私を決して外界に触れさせなかった。欲望の捌け口の身代わり人形だ」

    「イド…」

    掴み所のない性格の裏を垣間見て、胸が締め付けられた。冷たさの消えきらない眼は暖かい日を見たことが少ないからだろう。奇怪な体を持つイドに抱くのは憐れみではなかった。

    血の通わない手を取ろうと腕を伸ばす。しかし、寸前指先を掠めただけで、踊るようにイドはベットから飛び立つ。跳ねた先の木枠の窓を開け放ち、桟に手をかけ身を乗り出す。目の先には遠景の海があった。

    「だがな、父親は面白かった。娘を海で失ったらしい。権力闘争の中で沈められ、娘は帰って来なかった。何日も船を出して捜索したにも関わらずだ。今も彼女はあの海のどこかにいる」

    薄ら笑いを浮かべて見つめる先の海にカモメが飛ぶ。鮮やかな蒼の穴に眠る幾多の命に巡り合うことはないと分かっていても、自然と痛みを感じる。海を渡るということは、他人の死を踏みつけて進むことと同義だった。

    吹き込む風に海の香りを吸い込む。仄かな潮の香は沈んだ少女の髪の色を思わせた。多くの血と命を吸収しているからこそ、海は青く穏やかなのだろう。残酷な美しさにはそれなりの対価がある。

    「父親が乗ったのは小さいが、そこそこの船だった。決して悪いものではなかったが、思うように海を進まなかった。心だけが急ぐ中時は進み、一週間の後ようやく瓦礫に絡まった娘の首飾りを見つけたそうだ。さてコルテス、ここから分かることは」

    「悲劇の親と子、世の中の無慈悲さか」

    「文脈のみを拾いあげればそうだ。だが、問題点はそこではないのだよ。少女の形見が見つかったということは、もっと早く船を進めていれば命も助けられたかもしれない。悪い船ではなかったのならば、何が問題か。それは航海の技術だ」

    風に乱れた髪を手櫛で抑え、コルテスの方へ向き直る。桟に手を置いて、軽く腰掛けた。靴の踵で壁を蹴る度、漆喰が剥がれ落ちる。床を白く汚しながらイドは続ける。

    「父親は酷く自分を責めた。自分にもっと金があれば優秀な航海士を雇えていただろう。いや寧ろ、自らが航海技術を持っていたら、とな。世の波に抗う力を持たない娘さえも守れない無力な自分。娘を亡くした悲しみと非力さに打ちひしがれる中、私は彼に拾われたのさ」

    「…新たな庇護の対象として、か。関係ないお前を巻き込むなんて」

    「そう言うな、彼は私に助けられたかもしれないが、私も彼に助けられたのだからな。何せ私は動く人形、悪魔の使いとして迫害されるか、見せものにされるかの二択だ。昔少々屁間をして私の奇特さが広まってしまってな、街を封鎖され、逃げるに逃げられないところを偶然匿って貰ったのだよ」

    聞いてコルテスは胸を撫で下ろす。イドは穏やかに微笑み、首に下がったロザリオを指に遊ばせる。

    「このロザリオも彼から貰ったものでな、娘と揃いの彼の持ち物だった。彼は私にそれは多くのモノを与えてくれた。衣服に寝床に希望…挙げたらきりがないが、1番彼に感謝すべきは広い世界を教えてくれたことだ。あの広い海をな」

    「お前、海が好きなのか?」

    「好き、なんて言葉じゃ表せないさ。海は私の光で、世界で、そして私自身だ。彼は娘を亡くした海を制し、同じ悲劇は起こすまいと技術を学んだのさ。それは私の目にとても魅力的なものに映り、気がつけば彼よりも航海に明るくなっていた。私はここ数年海に出られていないが海が好きだ。潮の香りと波を切る感覚、果てない水平線に虜にならない奴はいないさ」

    輝く緑の目の先にとらえた海をコルテスも見つめる。イドは目を爛々と光らせ、獲物を狙う獣のように睨む。揺れる金糸とロザリオに、コルテスは運命の女神の笑みを見た。思わず上がる口角を抑えようと唇を噛む。それでも笑いは抑えられず、肩を震わせ、終いには声を上げて笑い出す。

    「どうしたコルテス。何がそんなに可笑しい」

    「笑いたくもなるさ、おれはこんな幸運に巡り合ったことはないんだ。剣も扱える上に海を渡る術を知っている。お前、本当に最高だ!」

    上機嫌なコルテスに驚き、イドは後ずさるが、構わず肩を掴んで引き向かせる。一気に詰められた距離と鋭い眼差しにイドは捕食されそうな錯覚を起こす。

    「俺は船乗りなんだ。そこそこの船の船長みたいなものをしてる。目標は新大陸なんだが、先日航海士を亡くしてな、それでこの港町で使えそうなやつを探していたんだ。…イド、俺の船を導いてくれないか」

    頼む、と頭を下げる。視界に入るイドの足は細い。そのまま何の反応も示さないイドに、片目を上げてみれば、白磁の頬を赤く上気させ、流線の唇は細かくわなないていた。

    「もう海に出られることはないと思っていた。次があるなら、せれは私が壊れて捨てられた時しかないと思っていた…いいのか、コルテス。私は…」

    「俺の船だ。船員の命も、舟首が向く先を決めるのも俺の責任だ。勿論標も。不安は俺にもある。何せお前の技量を知らないからな。だが、俺はお前しかいないと確信してるんだよ」
    
    肩を離して、ポケットを探る。目当てのものを見つけ、イドの手に握らせる。

    「これは…」

    鎖の付いた黒い小箱を開く。中には時計板のように割られ、1つの針が浮かんでいた。

    「前の航海士のコンパスだ。俺が持っていても仕方ない、使ってくれ」

    隙間だらけの手にコンパスが包まれる。俯いて微かな声で感謝を告げる。コンパスの赤い針は真っ直ぐに海を指し示している。

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