こんなことになるんだったら、夜中の三時までライブ用のうちわを作ってるんじゃなかった。いつも私の味方だった目覚まし時計は今日私を起こしてくれなかった。なんということだー馬鹿やろう!なんて、ベッドから飛び起きて叫べば、弟にうるさいと怒鳴られてしまった。うるさいとはなんだ、お姉さまに。とりあえず、遅刻する。
家を出て、定期を忘れたことに気づき、財布に口を割らせることを決意して早三分。朝の三分は貴重であり、三分でカップラーメンが出来る〜なんて呑気なことを言ってられないのも朝の一つである。しまった弁当も忘れた。うちわを作ってた三時の私を馬鹿にすることも出来ず、私は仕方なくバス停への道を全力疾走する。ひい、ひい、と呼吸を整える間も惜しみ走りつづけると、やがて目先に小さな棒が見え始めた。バス停だ。するとだ、後ろからブオオオ〜と低い音がして、いつも乗るバスが、あれ?今何時だ?

「……ああーっ!待って、待っ、て!」

全力疾走、よりもさらに速く走る、なんて無理な話で、私の遥か先でバスは停車した。いつも通り誰も降りない。待って、の声は私にしか聞こえない程にか細くなっていた。

走破もむなしく、一時は縮んだバスとの間隔も、今まで短くなった差をうめるように離れていく。息も絶え絶えに私は最後に叫んだ。「待っ、て、乗せてっ、てくれないと、遅刻、する!」――バスはやがて見えなくなった。

「っくしょー!」私はバス停のベンチにどっかりと腰を下ろし、そこで初めて息を整えた。大股を開くが、周りの目なんて気にしなくていい。バスが一時間に一本しか来ないこの田舎町に、朝を急ぐ姿を見せるのは私くらいだからである。あと一時間も、次のバスを待ってなきゃいけないなんて。苦痛以外の何物でもない。朝も食べていないし、お腹が音を上げる。頑張れ、私のお腹。

「っあー…駄目だったか……」

横から聞こえた荒い息遣いに、私は覚えのない感覚を着付けた。この時間に、誰?私の目の前を通った影は、私と同じ学校の制服をまとっていた。

「次は八時四十分…。無理だ、遅刻だ」

時刻表を睨んで何やらぶつぶつ言っている。横顔を覗いてみる。原色系の黄色の髪に、褐色の肌がよくマッチしている。瞳の色は髪に隠れていて分からない。ただ、私と比べると年下っぽい雰囲気である。

(…見たことないなぁ)

自然と足を閉じてきちんと座ってみた。黄髪の彼は、私の座るベンチを一瞥すると、しばらく立ったまま眼前の道路を見やり、私との間を少し空けて腰かけた。座高も、私の方が高い。この年で私より小さいということは、やはり年下だろう。彼は一つため息を零した。…あ、

(どっかで…見たことある、かも)

褐色肌で思い出した。最近見たことあった気がする。どこでだかは恐らく学校だが、一体どういう男の子かは記憶にない。私の人生歴の中では褐色肌が珍しくて、記憶力に乏しい私の脳でもその存在を頭の片隅に置くことは出来た。

「あの…僕に何かついてますか?」

彼がこちらを向いた。目は緑、声は、今のだけじゃ判断しにくい。私の心臓はどっきーんと大きく波打った。

「あ、いや、何も」
「…そうですか。僕、寝坊しちゃって慌てて家を出てきたので、寝ぐせとかついてないか心配で。あっ…。鏡とか、持ってますか?」
「もっ、持ってる!」

カバンからポーチを取り出して、手鏡を手渡す時に軽く頭を下げられた。すみません、ちょっと借ります。男女つけがたい中性的な声だ。彼は鏡としばらくにらめっこし、前髪を軽く手櫛で直し、鏡の持ち手を私に合わせ、お礼を言った。なんか、今時いないような男の子。礼儀正しいし、髪は長いし(これを言ったらうちのクラスの青い髪の奴に文句を言われそう)、おまけに、褐色肌だ。別に私の萌えポイントをつくわけではないが、不思議な雰囲気を漂わせる彼に、私は少なからず興味を持っていた。

「かわいい手鏡ですね」
「あ、ありがとう…」

ぐるるるる〜。高めに発せられた音は、私のお腹から辺りに響き渡った。一瞬目を見開いてぱちりと私を見る彼は、真っ赤な顔をした私を緑色の目に映して、頬をほんのり薄ピンク色に染めて、エナメルバックに手を伸ばした。う、ああ、恥ず、恥ずかしい。「これ、よかったらどうぞ」彼の手には海苔がきれいに巻かれたおにぎりが。

「い、いいの?」
「部活用のおにぎりです。と言っても、放課後は別に食べなくても大丈夫なんで、気にせずいただいてください」

こ、この子ったら…!半ばおばさんのような心境で、私はありがたくラップに手をかけた。今では弁当を忘れたことが、定期を忘れたことより痛い。何となく食べづらいおにぎりが空っぽの胃にじんわり染み込んだ。

「美味しい…!」
「先輩、よっぽどお腹が空いてたんですね」
「昨日の夕飯早かったから…」
「そうですか。それプラス朝ごはん抜きはきついですよ」

おにぎりを口元に持っていく際にちらりと光った腕時計は、次のバスまでの時間を二十分と示していた。あと二十分か。おにぎり食べられたから、まぁ何とかいけるかな。
五分と経たずにおにぎりは私の手元からなくなり、ラップを丸めてポケットに押し込んだ。ごちそうさまでした。すごく美味しかった。朝ごはんの大切さを実感。

「そういえば、部活は何やってるの?スポーツだよね」
「はい、陸上部です」
「陸上部…。足、速いんだ」
「はい!」

わ、いい返事。先輩は何をやってるんですかって、逆にきき返されてしまった。あまり言いたくはないが、彼のを教えてもらった以上、自分も言わないのは失礼に当たりそうだから、一応言っておく。

「合唱部に入ってるんだけど、あんまり上手くないし、部活にも全然行ってないんだ」
「合唱部?」
「そう。実力ないし、目立たない部活だから、人に言ってもよく分からない部活って言われるんだけどね」

途端に彼は目をきらきらさせた。「いいじゃないですか!実は四月の時、陸上部か合唱部か迷ってたんですよ、僕」……え?「そうなの?」「はい!僕、歌うの大好きなんですよ。だから合唱部に入ろうかなと思ったんですけど…」

するすると、彼は目線を私からずらし、ベンチの剥げた部分を見つめた。「……陸上部に、憧れの先輩を見つけてしまって」あぁ、納得。うちの陸上部は大会で好成績を残す優秀な部活だ。何の賞も取らない合唱部より、そっちに魅力を感じるのは自然である。彼も足が速いと言うので、どうせやるなら成績を出せそうな陸上部に、そんなとこだろう。「合唱部は、いい部活だと思います」単なるお世辞にしか聞こえなくなった彼の言葉も、彼からしてみれば精一杯の気持ちで言ってくれてるに違いない。皮肉にしか受け取れなくなった私は、心の狭い女だ。

「それに……もっと早くに先輩がいるの分かってたら、僕も合唱部だっただろうし」
「―…え?」

遠くでエンジンの音がした。彼はすっくと立ち上がって、エナメルバッグを肩にかける。そして、彼は自分の腕時計を見、私を見た。

「乗りますか?」

緑色の透き通った瞳が、私の思考を貫いた。




1220 / モロウ
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