飛行機雲が昔から好きだった。真っ青な空を真っ二つにするように、排気ガスは白く細い形を成していく。それがなんとも思いきっていて、清々しい気持ちになれるのだ。
……と、ぼんやり考えていても、レポートの締切からは逃れられないのである。

「照美……」
「終わったら返事してあげる」
「無理だよ終わらないよ…!」
「……」
「照美ー!」

なんとも横暴なものである。照美は雑誌から目を離さず、再び読書の世界に入っていった。彼を横暴だとは言っても、レポートが終わるまで会話しないでと言ったのはこっちだし、照美は私の為に話をしないというだけだ。一人じゃない部屋の中で独り言を言うのもはばかられて、私はしぶしぶ作業に戻った。昔はもう少し私に甘かったんだけどなぁ、と目の前のレポートに取り組みながら過去を想起する。






「テストが明日なのに勉強してない?」
「……うん……そうなんです」
「単位落としたいの?」
「そんなわけない欲しいよ!」

大学一年生の、春も間近に近づいた冬のこと。冬休みを目前に、テスト週間真っ只中のことであった。照美の元へ泣きつけた私に、「危機感が無いのかい」と呆れた声音で呟いた彼は、手に持っていたノートをぱたりと閉じた。どうやら彼はしっかりと試験対策をしていたみたいだ。邪魔をしてしまった罪悪感が生まれる。

「勉強もしないで今まで何をしていたの?」
「えーと……だらだらと…」
「……素直なんだね」

素直なのはいいことなんだけど、そう言って照美は体をドアに寄せて、「どうぞ」と私を中へ促した。いつも綺麗に整理されている照美の部屋は、ベランダ側の床に洗濯物がそのままにしてあった。一食分の食器が流しに入れっぱなしになっている。背後で彼が、「テスト期間中はどうしてもさぼってしまうね」と照れくさそうに笑った。

「持ち込みがダメで、六割正答しないと評価の対象にもならないの」
「じゃあ今から勉強しないと」
「自分の家じゃどうしても出来ないの」
「つまり?」
「……照美の部屋を少し貸して欲しいなー、って」

きっと私が訪ねてきた時点で薄々分かっていたのだろう、ふうと短い溜め息をついて、「少し散らかってるけど」と言ってキッチンに消えた。冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぎ、テーブルに腕を乗せる私の前にそれを置いた照美の指先は、コップについた水滴で濡れていた。そして彼は私の向かいに座り、先程閉じたノートをテーブルに置いて再び表紙を開いた。その所作をじっと見つめていた私の視線に気づいて、照美は顔を上げる。眉を下げて、苦笑した表情で私の腕に手を伸ばし、人差し指でとんとんと軽く小突いた。

「勉強するんだろう。僕もここでするから、一緒に頑張ろう」

いつ来ても決して追い返すことのない照美に甘えて、私はその日、彼に監視されながら黙々とペンを走らせたのである。






あの時はまだ付き合い始めだから優しかったのかもしれない。今は同じことを言ったところで当時ほど甘やかしてはもらえないだろう。心の中で溜め息をついてマウスのカーソルを左上に動かした。上書き保存を選択して、一つ大きく伸びをする。

「終わった…!」
「本当?」
「うん本当。あとはこれを印刷するだけ」
「お疲れ様」

数時間ぶりに照美とまともな会話をした。レポートを終えた感動と、彼とやっと会話が出来た嬉しさが相まって、私は照美の隣に行って体を傾けた。彼は雑誌を置いて私に笑いかける。いい匂いがする。

「はぁー、これでゆっくり出来る」
「……ごめん」
「え?」
「お疲れのところ申し訳ないんだけど」

ふわっと、照美の肩から頭が離れた。体勢が崩れるかと思いきやそんなことはなく、私の両肩を照美の手が掴み、目の前が陰る。軽いリップ音と共に、唇に濡れた感触が伝わってきて、突然のことに私の思考回路は停止したままだ。眼前には、あの時みたいに困り顔で笑みを浮かべた照美がいて、親指で私の首筋をそっと撫でる。

「僕も結構頑張ったんだ」


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