「土門くん、一生のお願いがあるの」

胸の前で手を合わせて、すがるような目でオレを見上げてきた。深いため息を吐く。「何だよ」と小さく呟けば、口をもごもごと動かしてオレに負けないくらい小さい声で言葉をこぼした。

「今日の午後空いてる?」
「無理。ユニコーンの練習がある」






あのさ土門、そういう時は練習をとるべきじゃないんだよ、と一之瀬にさとされた。

「どうしてそんなに不器用なのかなあ」
「仕方ねえだろ。初めてなんだよ」

どう付き合ったらいいのか分からないのだ。彼女がいる、なんてことは生まれて初めてのことで、こうやって恋人同士になれたのも一之瀬の仲介のおかげである。

「泣かせることだけはするなよ」

一之瀬が真剣な表情でオレを見ている。それに少し怯んでしまい、自然と体が後退した。泣かせる、ってオレはそんなに酷いことはしていない、はずだ。第一、まだけんかもしたことがないのにどうやって彼女を泣かせるんだ。一之瀬の言葉が理解できない。「一之瀬、それはどういう…」

「カズヤー!」
「あ、ディランが呼んでる。そういうことで、頑張れよ土門!」
「あ、おい!」

背中を叩かれて、オレはその場で呆けた。ミケーレが練習に付き合ってくれ、と頼んできたので頭を練習に切り替えるが、一之瀬の言葉がぐるぐるとオレの頭で渦巻く。結局練習には身が入らず、みんなに心配された。理由を問われたが答えられるわけもなく、適当にごまかして笑っておいた。ディランはそのあとも念を押すように大丈夫?と声をかけてきたが。大丈夫、オレは大丈夫だ。






「アスカ、電話だ」

マークがタオルを肩にかけて髪から滴を垂らしたまま、壁にもたれながら雑誌を読むオレの部屋に来て子機を差し出した。「誰から?」「名前はきいていない。だけど女の子だ」すぐに受話器を取って返事をする。もしもし?――土門くん!顎をしゃくって、マークに部屋の退出を促した。

「何で宿舎に電話かけてきてんだよ」
「だって、土門くんいくら携帯に電話しても出ないから」
「携帯に…?」

机の上に置いてあった携帯を開く。着信が十、すべて彼女からだった。サイレントマナーは携帯を震わせない。「…わりい」「ううん、平気」「で?何か用?」彼女は緊張したようだった。オレとしゃべる時はいつも緊張しているようだ。

「用はないんだけど…」
「はあ?無い?」
「その、土門くんと話したくて」

ちょうどこの時、廊下を一之瀬が通っていたことを知っていたら、オレはもっと優しく言えたのに。オレは優しさの欠落した、薄情で冷酷で鈍感な男だったのだ。

「そんなことでいちいち電話してくんなよ!宿舎にある電話は、こういうことのために使うものじゃねえんだよ」
「ご、ごめん」
「とにかく、もう宿舎の電話は使うな。それと、用も無いのに電話してくんな」

じゃ、と短く言って終話ボタンを押した。これ戻しに一階に行くの面倒くさいな。ついでで何か用はなかったかな…。

「土門、入るよ」
「わっ、一之瀬?…ああ」

思っていた表情で入って来なかったので少し怖気づいた。険しいというか厳しいというか、とにかくいい顔をして入って来なかった一之瀬は、オレの手の子機を目にした。

「誰と話してたの?」
「え?ああ、ちょっとな」
「彼女なのは分かってるよ」

鋭い視線と口調。一之瀬はさっきの電話を聞いていたのだと分かった。心なしか怒っているように見える。一之瀬の言葉はオレにとって重いものだった。

「いくら付き合った経験がないからって、あの言葉は酷すぎる」
「でもよ、宿舎の電話を使うのは…」
「その前に彼女は土門の携帯に連絡してこなかったの?」

詰まるオレを見て、更に厳しい言葉で一之瀬はオレを責め立てた。

「携帯の着信に気付かなかった君が、どうして彼女を怒る権利がある?勝手に宿舎の電話を使ったのは土門、君だ。彼女じゃない」
「…電話で謝った方が」
「そういう安易な考えが彼女を傷つけていることにいい加減気付きなよ」

一之瀬の言葉は真実であった。オレは凍りつかされたような感覚に陥る。目の前の男が何か人間ではない異質なものに感じられた。こいつはオレと同じ人間なのか?

「じゃあどうしたらいいんだよ」
「自分で考えなよ。一言言うのであれば、」

彼女、今頃泣いてるだろうね。ばたんとドアが閉まった。






冷え込んだ空気の中、かすかに冷たい指先で携帯を開いた。とあるホテルの前である。人通りはなく、街は夜を迎えて静寂(いや、沈黙か)を保っている。通話ボタンに手をかけた。無機質な通話音が一回、二回と回数を重ねていく。五回目のコールで、やっと相手が電話に出た。

「もしもし」
「……土門くん?どう、したの」

どきっとした。一之瀬の言ったことが当たっていたのだ。

「今、お前のホテルの前にいるんだ。出てきてくれないか?」

土門はいつも偉そうなんだよ、と一之瀬の声が頭の中で反響する。彼女はしばらくためらいがちに黙り、うん、と答えた。

「じゃあ、待ってる」

一分と満たないうちに彼女がホテルから姿を現した。半信半疑で出てきたためか、オレを見て驚いている。その目は赤い。袖口は、胴の部分と比べて色が濃い。

「…さっきは悪かった。オレが携帯の着信気付かなかったのに、お前を責めちまった」
「そんな、私が勝手に」

彼女の優しさにオレは甘えていた。彼女が何も言わないからって、それが我慢していることだと勘違いをした。実際は我慢なんかじゃなく、強がり。彼女はきっと、毎日泣いていた。

「いや、」オレは否定した。不安そうに見てくる彼女に、ちゃんと顔を上げて視線を交えた。

「オレはお前の彼氏なんだ」

彼女の頬を水滴が流れ落ちていった。徐々に嗚咽も聞こえてきて、しまいに彼女はしゃくりあげながら自分の気持ちをぶちまけた。初めて聞く彼女の本音だった。

「わたっ、私、土門くんに、きら、嫌われてるん、じゃないかと、思っ、て、それで、」
「…あのさ。オレ、お前のことが嫌いだったわけじゃねえんだ」

涙で濡れた目をオレに寄こして、言葉の先を望んでいる。応えなくちゃならない。どんなに格好悪くても、これで彼女を怒らせたとしても。彼女を幸せにしたいと思うなら、オレは本当のことを言わなければならないのだ。

「今まで女子と付き合ったことがなくて、正直彼女とどう接していいのか分からなかったんだ。偉そうな口をきいていたのは、彼女の前ではかっこいい男でいたかったからで、決してプライドが高いわけでも、自意識過剰なわけでもねえんだ。お前がこの前、午後空いてるかってきいた時、本当は練習さぼって一緒にいたかった。だけど二人きりになった時何していいのか分からなくて、あんなこと言ったんだ。ごめんな」

笑って、彼女は首を横に振った。もうそれでいいという了解の意味だと、オレはすぐに理解した。彼女は袖でぐいっと涙を拭った。腕を下ろすと、そこにはただひたすらに笑顔を浮かべる彼女が存在していた。

「ありがとう。土門くん、好き」
「…オレも。好き」

初めて近づいた彼女の体温は、少し冷えたオレの体には温かくて心地よかった。

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