風丸に好きな人がいる、という噂をきいたのはつい先日の話だ。そんなものはただの噂だと割り切れない私は、そう風丸が好きな一人の女である。噂は一人歩きをする。どこへ行くやら、あることないことその身にまとって色々な人の耳にするりと入り込み、その過信する脳に自分を刻む。私は頭が痛かった。

「もしかしたら二組のあの子かも」
「ひょっとしたら一組のあの子かも」

仮定の会話をしたところで真実は見えてこないのだ、ああ腹立たしい。そんな会話を展開する女子に嫌気がさしてしょうがない。私は常に傍観者を決め込む。意見を求められたら、「ねえそう思うよね?」「いや、分かんない」これで渡り歩いていけてるのだからすごいものである。

「なあ、ちょっといいか」

噂が消えた頃に廊下で声をかけられた。時間にして午後四時半のことだった。風丸だった。同じクラスで、何度か話したことはあるけれど笑い話はしなかった。そのくらい薄い関係なのだ。宿題の話か、そうでなければ明日の時間割か。時間割は曖昧だ。なるべく顔を能面にして答えた。「何?」内心嬉しいくせに、こころが悪態をつく。

「ちょっと、話があるんだ」

教室に、一緒に来てくれないか。






教室は、夕日が色の世界を独占していた。風丸は、自分の机に向かってカバンに物を詰めると、それを持ち上げて私の前に立った。距離が詰まる。しかし私の足は動かなかった。単に離れたくなかったからかもしれない。風丸は何も言わず、私の上履きに視線を落とした。短気な私は沈黙に耐えられない。三十秒もすると、勝手に口が動いていた。呆れた口だ。

「何?」
「…あのさ、」

オレ、お前が好きなんだ。フリー、ズ。瞬間に、私は落としてしまったのだ、私の気持ちというのを。風丸の告白に反応の出来ない自分がいた。瞬きは何回か出来る。頭の中はこんがらがっていた。風丸が、私を?私は風丸が好きで、でも好きって、異性を好きになるってどういうことだろう、意味不明、ちょっと待ってだめだ考えられない、風丸が私を好き?私は?本当に好き?

「今すぐとは言わない。一週間以内に返事が欲しい」
「……」
「じゃあな」

風丸が教室を出ても、まだ私は彼に見られている気がしていた。そのくらい彼を前に緊張していたのだ。十分経って、私も教室を出た。帰り道は気が気じゃなかった。どこかで風丸と鉢合わせしたらどうしよう。明日また学校で会うんだ、どうしよう。いつも風丸にどんな態度を取っていたっけ。あまり話さなかったから明日も問題ないかな、…いや違う。明日、風丸が「おはよう」と言ってきたらどうするんだ。明日は今日の朝とは違う。あれ、風丸と会話する時の私はどんな顔をしていたっけ。笑ってた?無表情だった?分からない。私は、明日どう風丸と接していいのか分からない。






意外なものだった。朝の挨拶はおろか、一日も会話をしなかった。まあ普通なことなのだが、告白されてからはそれが特別に思える。いつもより変に風丸を意識してしまって、眼球の動きが忙しない。友人には気づかれなかった。無事に一日を終えた、と思った。

「風丸くんに告白されたんだって!?」

どよ、と周りが喧騒に包まれる。私はというと、風丸に告白された時と同じように、完全に思考が停止し体が固まっていた。何故、それを。「昨日廊下で告白をきいた子がいるんだって!ねえ、本当なの!?」まさかそんなことが有り得るのか、きかれていたなんて、教室がざわめく。風丸にも男子が群がっていた。「本当かよ風丸!」「まじかよ!」「あいつに何て言ったんだ?好きですつきあってくださいってか?」羞恥で顔がほおずき色に染まる。「ねえ、何て言われたの?」「何て返事したの?」「オッケーしたの?」「つきあうの?」「風丸があいつを好きだったとはなー」「なあ、風丸あいつとつきあ」

「うるさいな!」

風丸の怒号が教室を震わせた。私もびっくりして風丸を見る。風丸は座ったまま、声を荒げた。

「オレが誰に告白しようが、お前らには関係ないだろ!そんなことでいちいち騒ぐなよ!」

しーん。さっきとは打って変わって、誰も一言も発さない。私の方をちらりと見た風丸は、教室を出て行ってしまった。その後の気まずい雰囲気を取り繕うかのように、男子はへらへら笑ってくだらない話を始める。女子はひそひそ、内緒話だ。私はどちらの空気にもいたたまれなくなって、それと風丸が気になって、逃げ足で教室を飛び出した。後ろからきっと何か言われていただろう、もう気にしなかった。目的はただ一つであった。

「か、風丸!」

風丸は下駄箱にいた。靴ひもを結んでいる最中である。風丸は顔を上げて、ああ、と声を洩らした。

「えっ…帰るの!?」
「まさか。かっとなっちゃったから少し走るんだよ。休み時間あと五分しか無いけどな」
「そ、そっか」
「いいのか?」
「え?」

風丸は眉を下げて私を見上げた。

「お前まで出てきちゃって、勘違いされるんじゃないのか?」
「あっ…」
「さっさと教室戻れよ。今戻ればトイレだってごまかせるぞ」

風丸は立ち上がってつま先で地面を蹴った。よし、と言って校庭に出ようとする。待って、違うの、私は、風丸のことが

「好き!」

結構大きい声だった。恥ずかしさを感じるが、今はそんなことに構ってられない。風丸がこちらを振り向く。ほぼまくしたてるように言った。

「風丸が好き!だからごまかさない!わた、私とつきあってほしい!」

今までにない顔の温度を感じて、頭がくらくらした。言った、言ったんだ。ついに私も告白したんだ。風丸が、ほっ、と笑った。

「良かった」

「さ、走りに行くぞ!」「ええ、私も!?」「ああ、オレはお前と一緒に走りたい」「!」何気なく握られた手。風丸の手から伝わってくるのは、私よりもずっと高い手のひらの温度だった。

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