彼が外に行ってる間に、わたしは買い物に出かけた。コンビニは消え、全国に展開していた大型店も消え、残るところは自営店のみ。色々と苦労をしているらしいが、今のところ敵無しのようだ。生きたいと思うあんたみたいな人を相手に見るのもあと何年かね、と言った叔父さんにはっとした。

「ただいまー」

中からの声はなかった。ちらと腕時計に目をくれると、短針は六時を指している。空もしっかりと薄暗い。冷蔵庫を開け、流しを見るも、帰ってきた形跡は無い。わたしがいないと、家にあるものを勝手に食べてしまうのだ。「あきお?」隣の部屋やトイレ、風呂を見ても、この家にはわたし以外誰もいない。彼がまだ帰ってきていないのだ。一体どこで道草してるのか。誘拐なんかは心配する必要がないので、大人しく帰りを待つことにした、その時だ。ドアの開いた音と共に、彼が帰ってきた。いつもの顔付きに胸を撫でる。「おかえり」

少しおかしかったのだ、この時既に。帰って来てすぐに夕食の催促をしない時点で気づくべきだったのだ。わたしは、彼が無事に帰って来たことで盲目的に彼と接していたのだ。だから、彼がこの家から出て行くことを告げに来たことを察せなかったのだ。夕食が終わり皿を洗い終えたわたしは、頼んでおいたのに風呂を洗わなかった彼を怒った時、彼に放たれた一言に衝撃を受けた。

「どういうこと…?」
「そのまんまの意味だよ」
「この家から出るって…!?あきおはまだ一人で生きていくには若すぎるよ?」

苦虫を噛み潰すような顔が一瞬、わたしの目に映り込んだ。その顔に彼の全てが込められていたのにも気づかず、わたしはつい怯んでしまった。

「ドアの外に、お偉いさんがいるんだよ」

彼はいつも「国」をお偉いさんと言った。多分嫌っていたのだろう、自分から彼らについて話を切り出すことはしなかった。この前、彼は平和を口にした。「最後の最後くらい、争わないで生きればいいのにな」彼は平和に生きていきたかったに違いない。そこに、どうせ死ぬんだから、という諦意があっても、自分の生きている間は穏やかに柔らかい日々を過ごしたかった願望があったのだろう。しかし今、彼は自分でそれを壊して恐ろしいことをわたしに伝えてくる。なんだ、それは。彼に限ってそんなことは言われない、と錯視の念を抱く。

「おれ、偉い奴らの子供なんだって」

細々とした頭が、否定するより先に肯定をとった。






一ヶ月分と思って買ってきた食料は、余裕で二ヶ月保ちそうだ。買い足さないと、と思っていた石鹸は、まだ保つ、大丈夫そうだ。彼は出て行った。彼のいうお偉いさんがドアをノックしたのと同時に、わたしを見た彼の瞳の真ん中を見捉えて、わたしは何も言わず、彼は黙って出て行った。ドアの所で何かしゃべっていたが分からない。彼の姿が目に映らなくなった時点で、わたしは思考回路を完全にストップさせていた。彼は、わたしの前から消えた。

それからわたしは、なるべく彼を思い出さずに過ぎる日を見送ってきた。相変わらず空気は汚いし、食事も気が張る。国会議員は現れなくなり、団地に住む国民は首を傾げてその理由を言い合っていたが、わたしはそんなことをする必要がなかった。様子見だったのだ。彼の。多分、彼の両親がまだ生きてて、息子の捜索をお願いしたのだろう。あの時捨てられていた彼からは想像もつかない両親像である。子供にしっかり関心があるではないか。何故捨てたのか、腹がぐつぐつと煮えてくる。捨てられていなければ、わたしは彼と出会うことはなかった――。こんな思いもしなくてすんだのだ。

(あきお…会いたいよ……)

家に一人の生活は何年ぶりなのだろうか。






それから一年後、地球は、意外なかたちで終息へと向かい始める。「国」が火をもって国民消化計画を始め、国民の約半分が命を絶ったのだ。あっという間で、何十年か前に空を飛行した爆撃機が再び空を支配し、腹の中から大量の火薬が散りばめられ家々を灰に変えていった。その火は瞬く間に燃え広がり、逃げ惑う人は皆、火に囲まれ肺を一酸化炭素で満たして黒くなっていく。酸素の無い世界で、どうやってものが燃える?その答えは国民の常識をひっくり返した。国の最後の無駄遣い。こういうことだったのだ。

幸い、わたしの住む団地はまだ火の追っ手が来ない。いやに静かな夜を幾つも越えて、わたしは今日も布団に入った。もう空には星の存在を確認出来ないが、月は相変わらず(少し薄くなったが)地球を照らしている。今の時間を穏やかといっていいのか、判断の難しいところだ。

彼は、初めからうちにいなかったかのようにその姿を消した。影一つ見当たらないで、彼が興味を示さなかったブロックやミニカーだけが、個々に存在を主張している。わたしは彼らを無視した。確かに酷くつまらない玩具だった。彼はもっとつまらない思いをしただろう。彼は妙に大人ぶっていた。どこで覚えてきたのか、子供の作り方を話された時は驚き過ぎて反射的に叱ってしまった。あれは駄目な教育の一つなのを後になって思い出して自己嫌悪に陥り、不器用なりに彼に心配された。彼には迷惑をかけた。謝れないこの劣悪な環境に別れを告げることを羨望の先に置いて、いやいや目を閉じた。彼はもうわたしを忘れた?

(お前はおれの本当の家族になった。おれはこれからお前を守る。……義務がある)

こんなちんけな約束を未だ信じているのは、世界にたった一人、わたしだけであろう。

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