わたしが彼を拾って七年が過ぎた。七年過ぎた今も彼については分からないことだらけで、分かることは名前だけ。ついでに言うと、彼は自分の母親の名前も知っているとのことだ。年は不明、正確なことは分からない。彼自身興味が無かった為忘れてしまったそうだ。

酸素ボンベの交換に団地の集会所へ出向いて、新しいボンベを二本抱えて家に戻る。今はまだ無料だけど、そのうち有料化するみたいだ。自分たちを滅亡させることを決めた気違いな政治家たちは、希望の無いこの時代で、まだ金を欲しがっている。お偉いさん曰わく、最後に大きな無駄遣いをしたくて税金も今の五倍に跳ね上げるそうだ。政治家たちは皆一致団結して一つのものを作り出している。それが何かは国民には知らされてないし、これからも公表されないだろう。どのみち国民は、「助からない世界」に生きる国に見捨てられたのだ。国の定義は五年前に変わった。国とは、天皇首相政治家議員秘書を指し、他の公務員は全員退職に追い込まれ、医者も一人残らず消えた。理由は「死に逝く奴らに治療などする必要がない」に限る。つまり、もう誰が殺し殺されても政府は干渉しないということだ。死ぬなら死ぬでいいとされ、何より警察も全員国民と成り下がっている。貧富が本当に二極化されたのだ。ちなみに政治家の息子やご令嬢は上の奴らだ。子供の頃からいい空気吸ってると成長止まるぜ、は国民もとい庶民の愚痴である。

ドアを開けると、彼がむすっとした顔で出迎えてくれた。寝起きは機嫌が悪いのだ。遅い、飯よこせ、わたしと出会ってからどこかで覚えてきた言葉だ。これには困り果てる。彼には綺麗な言葉を教えたかったのに。意に反して育つのが子供だ。テーブルに朝食を並べる傍ら、彼はテーブルの端から目だけを覗かせて精一杯背伸びをしていた。そして皿を全て並び終えてから椅子に座った彼は、スプーンを握って料理を潰し始めた。ご飯も一つの塊にする。私はとっとと済ませたいので料理を全てミキサーに流した。何とも言えない(そうはいっても嘔吐物に似たものを感じる)色になったそれを飲料用パックに入れる。それを、マスクを外して素早く口でくわえてマスクは鼻にあてた。専ら今の食事スタイルはこれだ。彼も同じことをしている。鼻で呼吸して口で食事をとる。外の空気は汚すぎてとても吸えないのだ。希望の無い世界でもまだ生きていたい。

現在の空気は酸素の存在が消え、二酸化炭素と一酸化炭素、微量ながら硫化水素の混じった有害なものとなっている。少しでも人間が生き延びられるようにと、工場が酸素ボンベや空気清浄機等を異常に生産し続けた為に起きた現象だ。空気汚染は、工場がそれらを生産する以前から告知されていたが、工場が過剰な生産をしたおかげで、国民の間では空気汚染は工場のせいだと誤認されている。可哀想なものだ、自分たちが使っているボンベやら空気清浄機が使用出来るのは工場のおかげだというのに。つくづく人間は都合のいい生命体だ。わたしはいつも彼にそんな話を聞かせる。彼は分かっているのかいないのか、頷かず相槌も打たず、わたしの話を黙ってきくだけであった。今思うと子供なりに理解しようとしたのだろう、わたしは子供向けの会話が出来ないので子供にいやがられるのだ。






「なあ、おい」

彼はわたしの願った正反対の子に育って、生意気な口をきく男の子に成長した。周りの子と比較をする限りだと、大体小学六年生くらいだろう。背は高くもなく低くもなく、声変わりもまだなので声だけは子供っぽい。最近彼に禁句が出来て、幼児語が全面禁止、子供や(ちょっと口悪いけれど)がきなどの言葉は彼を不機嫌にさせた。わたしも彼に対しての意識を変える頃だろうと思って、名字呼びから名前呼びに変えた。彼の名前は、ふどうあきおという。

「何?」
「おれがそれ出しに行ってくる」
「ありがとう。お願いね」

ボンベを二個軽々抱えて外へ出た彼を目で追って、チラシを紐で束ねた。新聞なんてもの、もう配達する人はいない。
世界はいよいよ終焉に向かって歩き出していた。「国」を敵と見なすようになった国民と、その国民をゴミと見なすようになった「国」。音を立てる戦争こそ起きないが、ずっと冷戦状態だ。首相はとっくの昔に暗殺され、国会議員なんかも命を狙われている。国民も、もう百人以上が犠牲になっている有り様だ。無駄だろうに。「最後の最後くらい、争わないで生きればいいのにな」背後で声がしてわたしは思い切り肩を揺らした。「あ、あきお」「しっかし、こんな庶民の住むところにもお偉いさんがねえ」「…?どういうこと?」

「今、外で国会議員と国民がやり合ってるぜ」

ドアを開けて下を見た。下では、国会議員と国民が叩き合いをしていた。ボディガードなんて、とっくに国民に変わっている。国会議員は自分で自分の身を守らなければいけない。騒ぎを聞きつけた同じ団地に住む住民や向かいの団地に住む住民が、一斉に国会議員に襲いかかる。酷い断末魔の叫びに、わたしも彼も顔をしかめた。何故こんな団地だらけの土地に、単身でやって来た?隣の彼も同じことを考えていたらしい。顔を見合わせて、呟いた。馬鹿だよな。今の世界では、馬鹿は生き残れない。






雨の降る日は外出をしてはいけない、今のこの時代の常識である。今日は生憎の雨。わたしも彼も、今日は一日家の中で生活するのだ。彼はダンボール箱の中から、古い埃まみれのパズルを取り出した。
数年前まで、雨は大地に恵みをもたらすものとして重宝され畏れられていた。作物を育て、人々に潤いを与え、時たま脅威となって人間に襲いかかってくる。それでも雨は好かれていた。一部の地域では、彼らが神聖であるとして深い敬意を表すところがあった程だ。今そのように崇めている人は無であろう。今日の雨は、作物を死に至らせ、人々に恐怖を与える。雨粒一滴、誰もあたってはいけないのだ。生きていたい人間なら。
雨を避け切れぬ銅像や建築物は皆、顔が分からないくらいまでに溶かされてしまっている。顔は見るも無残、目からは涙を流しているかのようで気味が悪い。前に間近で見た時は、彼が嫌がって近寄ろうとしなかった。子供から見て、「それ」は怖かったのだと思う。無理もない。幼い子供からしてみれば、銅像は人間と全く変わらないのだろう。

「つまんねえ」

今まで寡黙だった彼がパズルを放り投げた。半分もはめられてなかったピースが一様に床に広がる。彼は大袈裟なため息をついた。至極つまらなさそうだ。わたしの理想では、パズルで遊ぶ子供が欲しかったというのに。予想の斜め上をいって、彼は一つ屋根の下だ。

「おい、何かやることねえのか」
「え?無いよ」
「ちっ、つまんねえ家」

わたしの家に悪口言う子は夕飯抜きね、言ってやりたくてこらえた。憎まれ口を叩く時の彼は、寂しがり屋なのだ。しかし今現在、寂しさを心に抱える人などごまんといる。

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