行き倒れマーク






初めてだった。私は先週十八になったばかり、去年よりプレゼントが少なかったなと心中ひっそりと不満を洩らしていたが、まさかこのようなサプライズプレゼントが待っていたというのか。まさか。現実味を帯びていない。プレゼントという現実じゃないとしても、はっきり言おう。逃げたいと。

目の前で人が倒れている。うつ伏せで、どうやら匍匐前進をしていたようだ。ぴくりとも動かないその体は、行き倒れていることを不思議に感じさせるほどの逞しいものだった。

(……どうしよう)

まず頭に浮かんだ言葉はそれだった。こんな道の往来で死人?に出くわしたのだ。多分死人じゃないが。触りたい気持ちは起こらなかった。もし変な人だったらどうしよう。むやみに近づかないのが得策なのだ、恐らく。しかしここでずっと黙って突っ立ってるわけにもいかない。私は運命を恨んだ。空は依然として雲一つない青空を誇っている。このやろう。

「…う」

男の手が僅かに動きを見せた。私は数歩下がって様子を窺う。生きてた。男は次に頭を起こしこちらを見た。…普通に格好良かった。不覚にも心臓が跳ねる。男は、棒切れのように自分の右手をもたげると、その手を震わせながら弱々しく呟いた。

「ハン…バー……ガー…」






目前にはハンバーガーの包み紙が六個。何が悲しくてこんなに金を浪費しなければいけないのだろう、きっと私に清い善良心があるからだ。だからジュースもLサイズ、ポテトも二つだけ(それでも二つ!)付けてあげた。財布の中身が半減したのはこの際気にしないこととする。

「助かった、ありがとう。腹が減って力尽きていたところを君に救ってもらった」
「…あなたはどこから来たんですか?」

見たところ、旅人のようだ。持ち物は、私の胴ほどのリュック一つだけ。それに、こんなに晴れた日なのに少し古びた黒傘を携帯している。どこからどう見てもこの街の住民には見えない。ごくりと喉を鳴らすと、ジュースを置いて男は言った。

「西の方から来た。ヒッチハイクしたら財布を盗まれ、仕方なくこの街まで歩いて来たんだ」
「無一文だったの?」
「ああ。オレはマーク。ファミリーネームは忘れた。そのままマークって呼んでくれ」
「私は名前。私もそのまま呼んでいいから」
「名前、本当に助かった。感謝する」

周りがじろじろと私たちを見る。マークの格好を怪訝に思っているのだ。煤けたはおりものを着て、靴も砂や泥が付いていてぼろぼろ、極めつけは頬の煤けた顔だった。よくよく見ればかっこいいだけあって、マークに気付いた女の子たちは皆、複雑な表情をして彼を見つめている。当の本人は全く感づいていないみたいだが。

「…マーク。最後にシャワーを浴びたのはいつ?」
「ん?確か…一ヶ月前だ」

決めた。「うちに行こう」「え?」「はっきり言って汚い。シャワーくらい浴びてって」「な、いやそんなことまで…」「恩人の言うことを断るんだ?」「あ、や…そういうわけでは」ふにゃふにゃした男だな。






着ていたものは全部洗濯機に突っ込み、いつもより多く洗剤を使った。途中で買ったシャツとジーンズを身に付けたマークは、濡れた髪にタオルを掛けながら私の出したミルクを飲んだ。そこでようやく本人も落ち着いたらしい、椅子を引いてゆっくり腰掛けた。

「こんなに良くしてもらいながら、オレは何をしたらいいか分からない」
「そんなに気つかわないで。世話好きなんだ、私」

マークの背後に回り、彼の頭の上のタオルを持つ。濡れた髪はしっとりと水気を含んでいて、思わず拭いてあげたくなったのだ。タオル越しに髪に触れる。え、驚くほど柔らかい。例えるなら、そうだ。ジープ。
「優しいんだな」不意にマークが言った。「そう?」「オレはそう思った。拭いてくれてありがとう。すごく気持ちいい」猫みたいな顔をしているのだろう、それきりマークは黙ってしまった。静かな空間が訪れる。次第に空気がまどろんで来た。眠気がさしてくる。髪を拭き終えた頃には、大きな欠伸をして瞼が下がってくる程だった。それはマークも同じだったようで、彼も欠伸を噛み殺していた。

「眠い?」
「ん、最近寝てなくてな…」
「私のベッド貸してあげるから、いいよ。そこで寝て」

また遠慮がるかと思ったが、眠気で頭が冴えないのか、素直にオーケーと言って私の後ろについて来た。寝室のドアを開け、丁寧にたたんであったタオルケットを剥ぐ。マークはごろりと寝転んだ。私はもう一回欠伸をして、寝室から出ようとドアの方へ体を向けた。私はソファで寝ればいいか。この前新しく買ったソファだ、寝心地は申し分ないだろう。

「待った」

マークが眠気を孕んだ声で私を呼び止めた。マークは枕から顔を浮かせて、私の瞳を見入った。

「名前も眠いだろ?どこで寝るんだ?」
「私はソファで寝るつもりだから、マークはベッドで寝て大丈夫だよ」
「いや、いくらなんでもそれはだめだ。名前がここで寝て、オレがソファで寝る」

眠そうだったにも関わらず、マークは機敏な動きでベッドから降りた。いいって、と断るがマークは聞いているのかいないのか、私の腕をひいてベッドの方に引っ張った。若干力を込めて体を留まらせようとするが、それは叶わない。ふにゃふにゃして見えても男なのだ。

「マーク、ベッドで寝て。私はいいから、ね?」
「恩人をソファで寝かせることはしたくない。名前はここで寝てくれ」
「大丈夫、だっ、て、きゃ!」

体勢を崩してしまった。いきなり私がベッドに倒れ込んだのでマークも足元を崩す。私はマークに被さった。

「ご、ごめん!!」
「こ、こっちこそ、ごめん…な」

すぐさま体を起こし、マークの前に立つ。気まずくなった。緊張感が一気に部屋の中を充たす。目も覚めてしまった。マークも同じだ。すっかり目をしぱたかせている。何をしているんだ、途端に恥ずかしくなった。一先ずこの部屋を去ろう。取り繕いの笑顔で「おやすみ」と発して寝室を出た。鼓動の速さが尋常じゃない。






二時間程マークは寝室から出て来なかった。マークが起きてきた時には、夜が訪れを知らせていた。私はキッチンに立ちながらマークの気配に声をかけた。ミルクを要求したマークにコップを渡し、冷蔵庫を指差した。ミルクを取り出すマークの横に位置する食器棚から深皿を出し、サラダを盛る。ガスを止め、テーブルにランチマットを敷いた。

「夕食…?」
「そうだよ。マークは好き嫌いある?」
「無い。お人好しの世話好きの優しい女の子なんて、なかなかいないぞ」

私とマークは声を立てて笑った。シチューをテーブルに乗せると、マークの目ははっきりとまばたきをした。向かい合わせに座り、マークはスプーンを持つ。「どうかな?」喉にシチューを通らせ、マークは満面の笑みで「最高!」と喜んだ。

「こんなに上手いシチューを食べたのは生まれて初めてだ」
「大袈裟な…」
「本気だ」

食後、アイロンがかけられた洋服を受け取ったマークは、輝いた表情でそれに着替えた。着替え終わった瞬間に寂しい色を纏ったマークに私は気づけなかったが、マークはそれを隠すこともせず頭を下げた。はっ、とした。マークが旅人だったことをすっかり忘れていたのだ。「色々世話してもらった。この恩は忘れない。ありがとう」純粋にがっかりした。嫌だと強く思った。夜だということを理由に引き留めようとしたが、マークは首を横に振った。「そんなに長居は出来ない。オレは旅人だから、一つの場所に留まることは出来ないんだ」旅人である故の理由だ。

「さよなら、名前」
「マーク!また会えたら…」

マークは笑って私の額に口付けた。何を意味するのか、必死な私には分からなかった。マークはマントを翻し、その綺麗な身を夜に溶かしていった。後に私に残るのは静寂、永遠に夜が続く感覚に陥りそうだ。






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