※テレスがお父さん






「起きろ!」私はお父さんのその言葉が苦手だ。朝は誰だって眠い。布団が温かくて、出たくない。そうぼやけば、昨日の就寝時間をたしなめられ、布団をひっぺがされた。

「起きろって言ってんだろ!トースト冷めるぞ!」
「んん〜」
「二度寝するなよ。もう起こさねえからな」

キッチンへ向かうお父さんの背を尻目に、私はのろのろと起き上がって着替えを済ませ、顔を洗ってテーブルについた。新聞を読んでいたお父さんがそれをたたみ、朝食に手をつけた。どうやら待っていてくれたらしい。






リュックを持ち、靴を履いてドアを開けた。今日は少し余裕がある。遠回りして行こうか。

「おい!」

閉めたドアがすぐに開いて、お父さんが出てきた。食器洗いをしていたみたいで、単身赴任中のお母さんのピンクのエプロンを着けている。「弁当忘れてるぞ!」

「あっ忘れてた」
「ったく…よりによって名前の好きなおかずが入ってる弁当を忘れるとはな…」
「え!あれ入れてくれたの!?」
「昨日食べたいって言ってただろ?」
「やったあ!ありがとうお父さん大好き!」

お父さんに飛びつく、お父さんは他の人より体格がいいから、勢い良く飛びついてもびくともしないで受け止めてくれる。お父さんの胸に顔をこすりつけると、頭をぽんぽんと叩かれた。

「ほら。分かったから、遅刻するぞ」
「うん、行ってくる!」
「気をつけてな」

私が手を振ると、お父さんも笑って振り返してくれる。今日は朝から快調、私の足取りは自然と軽くなった。帰りにアイスでも買って帰ろうかな。お父さんの分も。






今日はテストが返ってくる日。今回自信があった算数は、案外点数の伸びが良くなかった。

(この点数ほんとやばい、お父さんに叱られるって)

算数は嫌いじゃない。お父さんが教えてくれたところは大きなハナマルが付いている。それだけが救いで、あとはちらほら、ぽつぽつと丸が付いている。お父さんにきいたところは難しいところだけだったから、点数が悪くても名前の横に「すごいわ!」と書いてある。それでもその文字の横の点数には落胆する。このテストの結果見たら、お父さん何て言うだろう。やっぱりお父さんにはいつもより高いアイスを買っていこう。怒られるのだけは避けたい。

帰りにアイスを買ったはいいが、案の定高くて自分の分が買えなかった。仕方ない。アイスが溶けないように家路を急ぐが、リュックに入ったテストを思うと足が止まりそうになる。家が見えてきた。心臓はそれに呼応するかのように速くなる。静まれ、と自分に言い聞かせてドアを開けた。

「おかえりー」

中からはいつもの通り、お父さんの声。どきどきしながらキッチンを過ぎ、自分の部屋へ向かおうとした。

「あっ、名前」

声が上擦りそうになって必死に冷静を装う、「なっ何?」「弁当箱出して行け」キッチンからいい匂いがする。
そういえばアイスの存在を忘れるところだった、背を向けているお父さんの目を盗んで冷凍庫を開け、音を立てずにアイスを奥へしまうと怪しまれないように氷を二個手で掴んで取り出す、お父さんは気づかない。そしてコップに氷を入れミネラルウォーターを注ぐと、早く、と急かすお父さんに弁当箱を渡した。

「美味しかったよ」
「そうか、まあ当たり前だな、オレが作ったんだから」

お父さんの背中に笑い顔を作り、階段を上がって部屋に入った。リュックからあのテスト用紙を出す。やはりいまいちな点数が、私の目に映るだけ。隣のハナマルがくすんで見えた。






それでも夕食の前に恐れていたことは起きた。料理の盛り付けられた皿をテーブルに置くお父さんが、ふと思い出したように口にしたのだ。

「そういや、今日テスト返されるって言ってたよな」

テレビが付いていることが何よりの救いだったのは間違いない。おかげでテレビに夢中になっている振りをして、お父さんから顔を外すことが出来た。それでも避けられはしない。そうだよ、と小さく言っても、じゃあ見せろ、とお父さんの耳にはしっかり聞こえている。腹をくくるしかないか。重い腰をあげ、二階へ上がった。部屋に入る前に、もしかしたらテストの点数が変わってるかも、と小鳥の涙程の期待をしたが、そんな魔法があるはずもなく、テストは依然として机上に存在していた。

下へ降りると、既に食事は綺麗にテーブルの上に並んでいた。お父さんはグラスとワインをテーブルに置く。そして私の右手にあるテストを見て、手を伸ばした。

「見せろ」
「……うん」

この優しい声が、あと数秒で怒気を含んだ声に変わるのかと思うと恐ろしくて、恐怖で手が震えた。暗い表情でお父さんにテストを差し出す。お父さんはテストを受け取って椅子に座った。私は立ったまま。お父さんが、テストを、捲った。

「……」

見てすぐには、お父さんは何も言わなかった。黙って点数を見、問題を見回す。
何だかものすごく悲しかった。お父さんがあんなに教えてくれたのに、私は期待に添うことが出来なかったのだ。ごめんなさい。本当は口に出して言わなきゃいけないのに、声帯が機能してくれない。どうでもいいところが機能して、目尻が滲む。お父さんは顔を上げた。

「名前」
「…ごめん、なさい……」

嗚咽を飲み込む。肺がきりきり痛んだ。でも不思議とお父さんの声はさっきと同じ優しいままで、私は疑問に思った。お父さんは、怒っていない?

「頑張ったな、名前」

頭の中は混乱状態だった。「…え?」頑張った?この点数で?

「お父さん?」

意味が分からなかった。お父さんは私の何を見て褒めているのか、予測も立てられない。落ち込む私に意外な言葉だった。

「オレが教えたところ、全部ハナマルもらってるじゃねえか」

「で、でも」私は続けた。「他はいっぱい間違えてるよ、お父さんに教えてもらったところ以外は全然合ってないから点数も低いし、」涙は止まった。お父さんの言葉に拍子抜けしたから、涙もびっくりして引っ込んだのだ。私は確かに勉強不足だったのに、お父さんの言葉は…。

「オレの教えたところが全部合ってるってことは、ちゃんとオレの言ったことをきいて勉強したってことだろ?」

そこに時間をかけたから他に手が回らなかったんだよな、言われて気づいた。お父さんに教えてもらえたから、だからここだけは絶対間違えたくないと、復習は専らそこばかり勉強していたように思う。時間のかけ方、勉強の仕方だ、この点数の原因は。無言の私に、お父さんは着座を促した。

「これは確かに良い点数じゃない」

ぐっ、とこぶしをテーブル下で作り下唇を噛んで俯く。

「でもな、名前は簡単な問題の勉強をしないで、人から教えてもらった難しい問題を、点を落とさないように一所懸命勉強した。オレはその努力が嬉しい」
「……」

さっき引っ込んだはずの涙が、また瞳を濡らす。視界がゆるんで、強く握った拳も力が入らない。

「だから、オレは怒ってないぜ。今回はよく頑張った、名前」
「…っう、うう〜」

「泣くなよ」お父さんが困ったように笑った。ぐすぐす鼻を鳴らし、手の甲で目をごしごしこする。お父さんは私に、飯にしようぜ、とコップにミネラルウォーターを注いだ。ティッシュで鼻をかみ、私は首を縦に振った。お父さんに怒られなかった安心感と、努力を褒められた嬉しさで、私の心は幾分か明るくなっていた。






お風呂を出ると、お父さんがリビングでテレビを見ていた。サッカーだった。お父さんはサッカー選手で、今度世界大会があるらしく、今は外国のチームの情報を集めているみたいだ。今見てるのは、イタリアの出ている試合。そういえば、イタリアにはライバルがいるときいたことがある。

冷凍庫にしまったアイスを思い出した。キッチンへ向かい冷凍庫を開けると、アイスは私の置いた場所から全く動かずそこにあった。アイスを出してスプーンを持ち、リビングにいるお父さんの肩を叩いた。

「アイス?どうしたんだこれ」
「今日お父さんに買ってきたの。テストの点数が悪かったから、」
「分かった。さては、怒られた時これでオレの機嫌をとるつもりだったんだろ」

図星。お父さんは鋭い。言葉に詰まっていると、お父さんは笑顔でアイスを受け取った。私はお父さんの隣に腰を落とす。

「これ高かっただろ」
「うん」
「あれ?名前のアイスは?」
「お父さんのでお金なくなっちゃった」

名前、名前を呼ばれ腕を引っ張られた。されるがまま、胡座をかいたお父さんの足の間に座らされる。頭を撫でられた。

「じゃあ半分こな。テストよく頑張りましたってことで」
「いいの?」
「ああ、名前のその気持ちとアイス半分で、オレは腹いっぱいだ」

嬉しくて嬉しくて、私は自分の膝に顔を乗せて笑った。テレビでは、イタリアがゴールを決めて歓声があがっている。次のテストで頑張ればいいんだ。後ろから差し出されたアイスとスプーンを受け取って、冷気を放つアイスをすくって口に入れた。

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