「お邪魔します」そう言った彼の声は緊張に包まれていた。

「表情固いって、ほら入るぞ。名前、邪魔するぜ!」
「どうぞー」

リビングに案内してもらい、適当でいいよーとの声で荷物を部屋の隅に置く。綱海さんがオレの背中を叩いて、緊張をいくらかほぐしてくれた。「立向居!」「はっはい!」「彼女の家に来てそんな緊張してるようじゃ、まだキスの一つもしてねえんだろ」「な、なっ!?」彼女の方を見ると、くすくす笑ってグラスをテーブルに置いていた。今恥ずかしく思ってるのは、どうやらオレだけみたいだ。

「まさか綱海が立向居くんと同じ大学にいるなんて驚いた」
「学科は違うんだけどな。でもまあキャンパス同じだし、同じ学部だから棟も同じだし、ほとんど一緒みてえなもんだ」
「オレも大学行ってから知りました」

名前先輩は、オレと綱海さんの間の学年で、オレたちとは別の大学に通っている。先輩の大学がオレの家に近いから、オレの家に寄っていくことが度々あったのだが、先輩の家には行ったことがなかったので、今回お邪魔させてもらうことになった。ちなみにオレと先輩は中学高校と付き合って、もう五年になる。綱海さんとは、エイリア戦やFFIで中学の頃一緒にいた頃があったので、オレたちは皆中学時代に顔を知っているということになる。綱海さんは中学卒業後、ふるさとである沖縄の高校に通い、オレと先輩は揃って同じ高校へ進学した。そして高校卒業後、オレと先輩は別々の大学へ行き、偶然にもオレと綱海さんは大学で再会を果たしたというわけだ。

「でもなんで立向居と同じ学部にしたの?わざわざこっちまで来て」
「いやー本当はもう大学行かねえで地元で漁師にでもなろうと思ったんだけどなー」

綱海さんと先輩が話に花を咲かせている間、オレは緊張を取るために、出された麦茶に口を付けながら部屋をきょろきょろと見回していた。一人暮らしなだけあって、部屋には先輩のものばかり。壁にかかった絵やカレンダーの柄も女の子らしい。ふと目線を上から下に落とし棚を見ると、扉の向こうに写真があるのが見えた。

「っぶほ!」
「わ!…何噴いてんだよきたねえなー」
「すっすみま、ごほごほっ!!」
「ちょっと、立向居くん大丈夫!?」

綱海さんに背中を叩かれ、名前先輩は自分の後ろにある引き出しからタオルを取り出し渡してくれた。今が最高に恥ずかしい。「分かった、写真でしょ」ぎく、と肩を鳴らすと綱海さんが写真?と先輩を見た。「そう、前に一度だけ撮ったやつ、ここに飾ってるんだ」先輩はタオルをオレに渡して棚の扉を開けた。写真を見た綱海さんは、へえ〜とか言ってにやにやしながらオレを見る。

「な、何ですか」
「これ、お前と名前が一緒に遊園地に行った時に撮った写真だろ」
「何で綱海がそんなこと知ってるの?」
「この次の日、こいつすげー機嫌良くてさ」
「つ、綱海さん!」

先輩は笑った。「あーそういうこと。そうだったんだ?立向居くん」そう問われれば反論は出来ない。「…はい」オレはへたれなのだろうか。






昔の話に花を咲かせていると、腕時計をちらりと見た綱海さんが椅子から立ち上がった。「綱海?」「わりい、オレこれからバイト行かなきゃなんねえんだ」
綱海さんはカバンを持った時、そうだ、と何かを思い出した口振りでカバンの中に手を入れた。何やらごそごそ漁り、見つけたらしい綱海さんは先輩に何かを投げた。上手くキャッチした先輩は、手の中のそれを見て驚いた顔をする。

「何、これ?」
「それ、沖縄の魔除けグッズ」

先輩の手の中にあるものは小さなTシャツのストラップだった。名前をソルトTシャツと呼び、Tシャツの中に魔除けの塩が入っているという。先輩はそれを見て可愛い、と口にした。

「カバンにでも付けるね」
「ああ!じゃ、またな」
「さようなら」
「おう!また明日学校でな!」

出て行った綱海さんに、何も変わってないね綱海は、と言った先輩は、どこか安心した表情でグラスの縁をなぞった。グラスの中にはもう麦茶は無い。オレも最初のうちに飲み干してしまった。

「先輩の部屋、すごく綺麗に整理されてて落ち着きます」
「そう?ありがとう」
「…あの、何時までいていいんですか?」

先輩に麦茶のおかわりを頼みたかったが、何だか先輩は動きたくないようだ。オレが何も言わないからだと思う。先輩は手を口元にやって、小さく唸った。

「私、明日午後から授業なんだよね。だから立向居くんが良ければ泊まってもいいよ?」
「えっ…」
「あ、今やった!って思ったでしょ。何?やらしいことでもしようって思った?」
「い、いいいいえ!そそそんなこと思ってませんから!」

オレの慌てっぷりを見て笑う先輩は、やっぱり自分より大人だと思う。口が渇いて喉が潤いを求めた、その時オレのポケットで携帯が震えた。先輩に断りを入れ、携帯を開くと、着信相手が綱海さんとなっていた。

「もしもし?」
「立向居か?」

先輩と顔を見合わせ、首を傾げる先輩に頭を下げ、椅子を後ろに引く。

「どうしたんですか?」
「ちょっと、名前に別室貸してもらえ」

綱海さんの声音がいつもと違うことに気づく。声のトーンが低い。一度携帯を耳から話して、先輩に別室を借りる許可を貰った。すみませんと謝って、もう一つのリビングへ移動する。ドアを閉めると、再び携帯を耳に押し当て、返事をした。

「怒らないで聞いてくれ」

「お前、今すぐあの部屋から出た方がいいぞ」綱海さんは意味分からないことを言った。間抜けに聞き返すオレに、焦るように綱海さんは退室を促す。

「あそこはまずい。何でもいいから理由付けて、とにかく出ろ。早く」
「ちょ、ちょっと待ってください、どうしたんですか?何が…」
「いいから早く!」

綱海さんは別に興奮していない。ただ焦っていて、オレに部屋を出るよう必死に言ってくる。その気迫におされて、オレは綱海さんに了解の意を伝え、通話を終えて名前先輩のいる部屋に戻った。そしてぽかんとした顔でオレを見る先輩に、困った顔でオレは言う。

「すみません、急用が出来たので帰ります」
「え?」

先輩は直ぐに分かったと口にし、オレは謝りながらカバンを手に持つ。先輩は携帯を開いて、オレに次会える日はいつか、尋ねてきた。オレも携帯を開いてスケジュールを確認する。来週の土曜日に会う約束をして、オレは玄関へ足を向ける。そこでオレはある“異変”に気づいた。

「……先輩?」

しばらく声が返ってこなかったが、数秒経って、「何?」との声が聞こえた。

「その、こんなこと言うのもなんですが、一つ疑問に思ったこときいていいですか」
「?いいよ」

「先輩、オレたちが来た時に座ってから、一度も席を立ってませんよね?」オレはこの時悪寒がしていた。だって玄関まで見送りに来ないのだ。しかもそれが自然なことであるかのように、先輩の声は落ち着いている。異変というか、これは、“異常”だ。オレがお茶を噴いた時も、綱海さんがここを出て行く時も、先輩は座ったままだった。先輩の落ち着き払った声がオレの鼓膜を震わせる。「ごめんね、今すぐそっちに行きたいんだけど」




「誰かが私の足を掴んでるから動けないの」



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