耳鳴りの経験をするのはこれが初めてだった。この前お父さんが、耳鳴りがすると言ったのでそれをからかっていたのだが、馬鹿に出来ない。頭に響くピーという金属音。何とも説明しづらいこの音は、何もしなくてもしばらくすると自然に消えていった。

それから数日経って、私は心も軽く、家の近くの大通りを歩いていた。欲しかった服が半額セールになっていて、浮いたお金でいつもは入らないお店で優雅に一人ランチをした。とにかくご機嫌で、頭の中で歌を歌いながら、家まであと少しのところに差し掛かった時だ、ピーという音が、そう耳鳴りだ、が私の耳で鳴り出した。頭の中の歌は消え、小さなその金属音が脳内を支配する。またか、最近私疲れてるのかなぁと頭をトントンと軽く叩いた、――直後、前方にある交差点で二台の車が正面衝突した。ものすごい音がして、すぐに片方の車から炎が出た。周りの人たちは皆一様にきゃあきゃあ騒ぎ出して、救急車!消防車!と口々に叫ぶ。目の前の突然の出来事に立ち竦む若いカップル。その場から逃げていく子連れの母親。水だ!といって店の中へ飛び込んでいくバイトの人。そこはパニック状態に陥り誰もが妙な興奮を覚え、お祭り騒ぎのようになっていた。現実味の無いこの光景に、私もただただ呆気に取られるしかなく、いつの間にか耳鳴りは止んでいた。






ガゼルは私の彼氏で、先日の事故の話をすると、興味深そうに身を乗り出してきた。

「それでどうなった。乗っていた人は」
「両方とも死んじゃった。結構大きな事故だったよ」
「ふん…」

ガゼルの癖は、考え事をする時手を顎にやること。私も真似をして考えるふりをするが、真似するなと軽く頭をはたかれてしまった。耳鳴りのことが頭をよぎる。言おうか言うまいか考えたが、言ったところでそれが治るわけでもないし、ガゼルの場合言っても無視する質だ。私はしばらく黙ってることにした。






昼休み、私はクララと一緒に廊下を歩いていた。週末どこに行こうか、お昼は何食べようかと楽しく会話していた。その時だ、また耳鳴りがして、私は顔をしかめた。クララが私の異変に気づいて、どうしたの?と心配してくれたが、私は平気だと笑った。そのすぐあとに、ガラスの割れる大きな音がして、女の子の悲鳴が廊下の端まで響いた。教室から数人の男の子が飛び出してくる。
目の前で、男の子が窓を割って下に落ちていったのだ。ふざけ半分で肩を強く押され、窓にぶつかりそのまま落下したようだ。窓に駆け寄り下を見ると、男の子は―…。クララが悲鳴を上げて私に抱きついた。気がつくと耳鳴りは消えていた。
あとで聞いた話だが、実は男の子のぶつかった窓には、先日野球部員がボールを当てて誤ってひびを入れてしまったらしい。その修理を放課後にしようとしていた矢先の事故だった。






私は学校の帰り道、商店街をとぼとぼと歩いていた。二日続けての事故、事故が起きる直前に鳴り出す耳鳴り、何か関係性がある気がしてならなかった。もしかして、耳鳴りが鳴ると目の前で人が死んでいく…?馬鹿な、まさか、そんなの有り得ないだろう。科学的根拠もないのに、そう言って軽く自分を揶揄する。すると商店街の出口が見えてきた。神社にあるような朱塗りの鳥居をくぐれば、家まですぐだ。変なことを考えるのはやめにしよう。人知れず頷いた時だった。またあのピーという耳鳴りが私の頭の中に現れた。一瞬にして不吉な予感と恐怖に駆られる。いや違う、さっき有り得ないと言ったばかりじゃないか、弱気になってどうする、

瞬間、鋭い叫び声が私の耳を貫いた。

は、と前を見ると、鳥居に掲げてあった商店街の電光看板が外れて下に…女の人に真っ逆様に落下していった。鋭い叫び声はあの女の人だ、そう考えるや否や、看板が女の人に直撃した。夕方の賑やかな商店街は、一瞬にして恐怖の気に包まれた。砂煙の立ちのぼる中、私は看板についた赤い液体から目が離せなかった。






女の人は即死、私も飛んできた看板の破片で頬に怪我をした。次の日の朝、教室でガゼルに怪我を指摘される。話すつもりは無かったが、怪我のいきさつを話す以上昨日のことを話さずにはいられなくて、暗い気持ちで商店街でのことをぽつぽつと話した。話している間ガゼルは黙っていて、私と同じ暗い表情だった。

「…なんか、三日続けて人の死を見るのはつらい、な」
「……」
「…あのね、ガゼル。私、気のせいだと思うんだけど」

耳鳴りの話をすると、いよいよガゼルは顔をしかめた。耳鳴りがすると人が死ぬなんてとても馬鹿らしい。ガゼルに鼻で笑われるかもしれないと思いつつも、もう一人で抱えてるのは辛かった。

「…今まで一人で悩んでたのか」
「え?」

首をもたげて私を見たその顔は、心の奥底で傷ついてるようにも見えた。

「ガゼル…?今の話、」
「信じるに決まってるだろう。彼女の話を疑う程、私は落ちぶれちゃいない」

プライドの高いガゼルらしい理由だった。ちょっと意味は分からないけれど、私の味方だよと励ましてくれる。俯いて涙を堪えながら、私は小さくありがとうと呟いた。






それから数ヶ月間、嘘のように耳鳴りがなくなって、もうあんな怖い目には遭わないのだ、と思っていた。珍しくサッカー部の練習が入らなかったガゼルと、日曜日にデートの約束をした。映画を見たあと食事をして買い物しよう、そう言ってガゼルが分かったと電話越しに返事をした昨日の夜、私はベッドに入ってずっとデートのことを考えていた。
そして今日、私はガゼルを待っていた。待ち合わせ時間より十五分も早く着いてしまったため、もちろんいないことは分かっていた。それでもガゼルと会う前からなんだか幸せいっぱいで、わけもなく踊りたくなった。でも街中でそんなことは出来ないので大人しく彼を待つ。

途端に、何故だか耳鳴りのことを思い出した。背筋がぞくりと震え、春の陽気なのに肌に触れる外気は冷たかった。なんでそんな前のこと急に思い出したんだろう、そしてじわりと嫌な予感がした。もしかして、まだ耳鳴りは治ってない?

「名前!」

前の方で私を呼ぶ声がして、恐怖が己を支配した。声の主はガゼルだったが、私の心は落ち着かず、鼓動は速くなっていく。

「っ来ないで!!」
「!」

ガゼルが足を止めたのを感じる。怖い。足が木になってしまったかのごとく固まり、ふらふらと目眩がした。その私の様子を変に思ったガゼルが、再び歩き始めた。ゆっくりと俯いた顔を上げると、白と黒が交互に並んだ太いラインが目に入る。それが横断歩道だと分かるまで一秒とかからなかった。その横断歩道をガゼルが歩いてこちらにやって来る。私は、これから何が起きるか完全に予測出来ていた。

「いや、やめて…お願い、やだ、」

ピーという音が私の脳内を貫くと共に、大きな急ブレーキの音が辺りに響き渡った。

 

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