「あの子だろ?」教室へ向かう途中佐久間が下駄箱付近から口元に弧を描いていた理由もその質問と同時に分かった。俺は少しの沈黙を保ちやがてあぁ、と小さく答えた。佐久間はいよいよはっきり笑って短くふうんと言うと俺から視線を外し前を向く。こいつが鬼道であればこんな無言の冷やかしは受けないだろうが、鬼道の登校時間はもっと早い。仕方なく冷やかしを一身に受けることにした。

「名前は?」
「知らない」
「知らない?知らないのに好きなのか?」

驚きの色を馴染ませたその言葉に何も言い返せない。事実を違うと否定したところで矛盾が生じるのだから無理な話、無理な話だ。名前も知らなければクラスも知らない、ただ一つ後輩(下の学年)ということだけが俺の彼女についての情報だった。

「知りたいとは思わないのか」

喉から手が出るほど知りたい。

「初恋は実らないと言うが、お前はそれを忠実に証明してくれそうだな」

今のは嫌みだ。佐久間が気味悪い笑みを浮かべて言ったその言葉がしばらく頭を離れなかった。






案外すんなりといった。

「名前は名前と言うそうだ」

休み時間、教科書に目を通していた俺に佐久間は小さなメモを読み上げるように機械的に言った。いきなりで驚いたが彼女の名前を知ることが出来た。が、喜ぶ前に、言われたのが名前だけなことに気づく。

「名字は何だ」
「知らないな」

確信犯佐久間、こいつの場合知っているのに教えないのは意地悪い独占欲の表れである。(自分だけ知ってるのが面白いらしい)それからクラスを教えてもらった。校舎が少し離れている。廊下ですれ違う、といった類のことは無理だなと諦めた。するとドアの方から俺を呼ぶ声が聞こえてそっちに顔を寄越すと鬼道が歩いてきてぽんと肩を叩いた。佐久間が、どうした?と俺の顔を見る。俺にも分からない。鬼道にきこうとしたがそれより早く鬼道は朝の佐久間と同じ笑みで去っていった。佐久間と顔を見合わせると、鬼道がこちらを見ずに愉快そうに喉の奥で笑った。

「お礼が言いたいらしい」

がた、と椅子を鳴らす、教室にいた奴らが俺を見る、佐久間はまた嫌みな顔で笑う、俺の心臓ははちきれそうになる。お礼?ってことは今朝のあの、俺が助けた、

「早く行ってこいよ、お前が来るまで待ってるぞ?」

佐久間の言うことが正論この上もなく的を得ていて体は動かざるを得なかった。固まりそうになる足をどうにか力を込めて動かしドアの方へと体を持っていく。今そこにいる、そう思うと冷静さといった己の私物がどんどん後ろへと置き去りにされていって、動揺いやかなりの緊張に近い感情だけで動いている人形になった気がしてなんだか恥ずかしかった。向こうはそんな気持ちではないだろうに、自分だけ、この教室で帝国でたった一人だけこんなになっているのを心の隅で恥じた。ドアの前で足は止まった。そこから一歩踏み出すのに勇気が要ったが、

「あっ」
「!!」

いきなり横から声がしてびっくりした、今絶対止まったぞ俺の心臓。て言ってる間にも時間は流れてるわけで、気がつくと一人の女子を目の前にしてる自分に気づく。

「あのっ、今朝は助けてくれてありがとうございました」
「…あ、あぁ」

佐久間の視線を感じる。ついでにもう一人自分に関心を向けている人物がいるのを感知したが、それは多分鬼道だろう。鬼道はいいが、佐久間はあとで覚えてろ。つまらないことを頭の中で呟いていると、何か差し出された。

「…っ!?」
「お礼です。こんなものですが、どうぞ」

差し出されたのは、自販機なんかでも売ってる例の栄養価高いスティック食品。ブルーベリーとストロベリーの二本。きっと食堂前にある自販機で買って来たんだろうと思いながら、俺は心に津波がやって来たような感覚に襲われた。こんな、どこにでもあるものでも、この子からもらえれば一種のプレゼントとして解釈していいのだろうか。

「ありがとう」

深く頭を下げて廊下を小走りに去っていく姿を最後まで見ていると、佐久間がドアから顔を出した。

「清楚っていうには欠けるが、礼儀正しい子だな」
「…なぁ佐久間」
「何だ?」

さっきもらったやつを見せて問えば、立派なプレゼントじゃないか、だがそれはお前が貧弱に見えたからもらえたんだろうとからかわれたが鬼道に怒られて奴は肩を落とし大人しくなった。


 

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