白い子吹雪






古いジンクスがある。古いというが広まったのはつい二、三年前のことで、彼が本格的にもて始めた時からだった。それまでも彼を想う女の子は数知れず、自分の好きな女の子が彼を好きだったといった、男を泣かせる男としても彼は所属する学校のみならず他校にも広くその名を馳せていた。それが少々マンネリ化してきた時からだ、どこの誰が言ったか分からない、残酷なジンクスが人から人へ感染(うつ)るようになったのは。彼の人気はとどまるところを知らないが彼を理解してあげようとする人はいなくなっていった。




吹雪くんといると吹雪くんの体の中にいる誰かに体を乗っ取られちゃうんだって




それはあまりにも幼稚な内容であった。男が流したのか、女が流したのか、どちらにせよ流すだけの立派な理由があるので甲乙つけがたかった。男であったら醜い嫉妬であるし、女であったら目を覆いたくなるような歪んだ想い。彼と仲の良かった友人は一人消え二人消え、ついに彼は一人になってしまった。

今思えば女だったかもしれない、彼の人気はどんどん増すばかりで、グランドには彼の名を呼ぶ黄色い声が響き渡る。それから彼は、ついに周囲に対して一枚の分厚い壁を作ってしまった。それに誰も気づかない、彼はうわべだけで友人と付き合うようになり、その笑顔もどこか悲しげだった。もちろん、誰も気がつかない。

そんな時、遥か遠い地から一人の女の子がやって来た。中部から来た、と笑って自己紹介をした彼女に彼は無機質な眼を向け、隣の席に座った彼女と目が合った時よろしくと仮面で挨拶した。彼女は一瞬目を丸くしたがすぐに笑顔でよろしくと返した。

彼にとって転校してきた彼女などどうでも良かった。彼女は今クラスの女子に囲まれて質問攻めにあっている。彼は静かに席を立った。帰りたい。教室を出る時後ろで彼女にジンクスの話をする声が耳についた。あの子も他の子と同じ目で、態度で、自分を見、接してくるのか。つまりは何も変わらない日常。彼女のことは、既に“ずっと昔からいたクラスメート”として彼の頭の隅で片付けられたのだった。






彼女が転校してきて一ヶ月。相変わらず女の子の熱視線を受け男の子からは挨拶と業務連絡のような会話だけ。中身を伴わない関係がどんどん積み重なっていく。彼のありとあらゆるものはほとんど麻痺状態だった。感情イコール邪魔なもの、だからこんなものいらない、捨ててしまいたい。彼の中に生きた弟は彼を次第に蝕んでいく、そして、誰も分からないうちに彼はまた壁を作ろうとした。
その時、誰かが彼の肩を叩いた。彼は伏せていた顔を上げる、眼前に広がったのは大雪原と、あの彼女の顔だった。驚きすぎて言葉が出なかった。彼女は彼と視線を交え、笑う。裏道見つけたと思ったら他にも知ってる人いたんだね。彼女の中では学校から大雪原へと続く道は自分だけの秘密の近道だったようだ。

誰も通ろうとしないのは雪崩が多いところで有名だからだ、と教えてあげると、彼女は漫画でよくある反応を示し、納得したようだった。転校してきて一週間程で見つけてそれからはずっとここなんだと話す彼女に、彼は運がいいんだねとのんびり答えた。彼女が転校してきてからまだ一度も雪崩が起きたことはなかった。恐ろしいところだと知らずに毎日ここを行き来していた彼女。彼は少し羨ましく思った。

ここは、一人で通るには寂しすぎる。

不意に後ろで雪が木から滑り落ちた。二人は後ろを振り向き、落ちた雪を視認する。気をつけて、と彼は彼女に促した。僅かな振動でも大きな雪崩を引き起こす危険性があることを、彼は数年前に身をもって知っていた。一瞬、あの時のことが脳内に鮮明に映し出されてぐっと顔をしかめると、彼女がそれに気づき身の心配をしてきた。大丈夫だよ、と呟きいつもと変わらない笑顔で何となく彼女の顔を覗き見た時、彼は体の動きを全停止させた。
彼女は、すごく悲しそうに自分を見ていた。幸い思考回路は止まっていなかったので考えを巡らせる。が、どれも同じ考えに辿り着いた。そして予感は当たる。彼女は口を開いた。

…どうして、

その先は言わせなかった。彼女の肩を強く掴み、そして柔らかい雪の中へと二人一緒に沈んだ。突然のことでどうにも動けなかった彼女は、自分に跨る彼に怯えた瞳をちらつかせた。瞬時に、二枚目の壁が彼を更に深い闇へと押し込んだ。

転校してきた彼女など彼にはどうでもよかった。彼女はただの転校生で、偶然隣の席になった一人の女の子、彼はそれしか彼女について何も知らなかった、知ろうとしなかった。例のジンクスを耳にしてしまった彼女は、自分に何の影響も与えない、他人と同じ存在だと思っていた。だから、どうして、ときいてきたことが彼にとって予想だにしていなかった出来事であり小さな変化でもあった。
彼は、己を知られすぎてしまうことが怖いことに気づいた。一枚目の壁は自分を守る盾にすぎず、二枚目の壁はよく見ればとても薄っぺらかった。壁というものは初めから存在しなかったのだとこの時彼女に気づかされた。大きな変化に耐えきれず、先程作った薄い膜、二枚目の壁が空気に溶けていくかのように消えてしまった。彼女の唇の色は少しだけ寒々しくなっていて、睫には砂糖の粒ほどの雪が乗っていた。見ていて寒い印象を受けた。そうしているのは自分なのだが、と彼は自分に言葉を吐いた。そして彼は彼女に、黙ってと優しく言った。彼女はじっと彼を見てまた眉を下げた。彼にはそれが少し気に入らなかったが、彼女のその行動が自分に何らかの影響を与えるのかと問われてもそうではないと返せた。なので別段気にしなかった。彼女のことも気にならなかった。




どうしてそんなに自分を隠したがるの




彼女は言った。よりによって彼が一安心ついてる時に。彼は、それまでの優しい表情から、一変して怒りを含んだ、それでいて泣きそうな表情になった。彼女は彼から視線を外さず、大きく開かれた彼の瞳を射抜いていた。

彼は、心に息を潜めるようにしてそびえ立っていた分厚い壁が少しずつ壊されていくのを感じた。寒い、と彼女が言い彼は彼女の肩を掴んでいた力を緩めた。でも退かなかった。睨むかと思った彼女は、睨まずいて、それ以上何も言わなかった。そして、長い間自分を取り囲んでいた壁が、消えた。

彼は泣き始めた。悔しそうに唇を噛んで、眉を思い切り歪ませて、嗚咽を漏らしながら彼女の顔に涙を零した。今までのつらかったこと苦しかったことがどっと心に押し寄せてきて、それを涙に乗せて彼は泣くのだった。

彼女は、そんな彼の頬にすっかり冷たくなった手を添えると、笑った。彼にはそれで十分だった。ジンクス、と彼女は呟いた。彼は肩を震わせ瞳を揺らし怯えた顔つきになった。もう彼女を押し倒した面影など彼からは見ることが出来ず、ただそこにいるのは怯えた姿を見せる一人の男の子であった。

嘘だもん、と彼女は彼の涙を拭った。ひんやりと頬につく彼女の手。嘘、と彼女はもう一度言った。誰かに体を乗っ取られるなんてあり得ないよ。だって、

こんなに近くにいるのに私吹雪くんのこと好きだよ

彼女の笑った顔が脳にこびりついて離れなくなった。






白を基調としたユニフォームに袖を通すと、弟の形見であるマフラーをつけ、靴紐をぎゅ、と固く結ぶ。チームの仲間が、行けるか、と声をかけてきた。過去の自分にはいない仲間、自分を近くで理解してくれる仲間、彼は一人じゃないことを知った。と、グランドの方で大きな歓声が聞こえた。

今、自分にはあの時の彼女の言葉が、想いがある。彼女の存在が支えとなっているみたいに、自分も誰かの支えとなれるように生きていきたい。彼は静かに目を瞑って引っ越した彼女を想うと、マフラーをなびかせグランドに足を踏み入れた。


行くよ、みんな。


 

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