必死なヒロト






は、と気づくと足首まで水に浸かっていた。ぱちゃ、ぱちゃ。波が起きて足元で音がする。構いはしない、歩を進める。
死んだあとの世界のことなんて考えたことない。考えるだけ無駄なことであるし、死にたいのに死後の世界に望みを抱いてどうするのだ(無駄なことを、はは。自分で自分を貶してしまう)。こうして学園を飛び出し樹海を抜けて海に来たのも、ただ、「死にたい」と思ったからだった。とうとう水面は膝を越える。

彼は悲しむだろうな、と立ち止まって空を見上げる。無数の星が、まるで私に早くこっちへ来いと誘っているようでなんだか面白かった。待って、今から行くから、日があがる前にそっちに行くから――

「お母さん…」

腰まで海に浸かった時、後ろで叫び声が聞こえた。

「名前!!」

私の名を叫ぶ声が聞こえたあとばしゃばしゃと水をはねのけてこっちへ来る音が段々と大きくなり、やがて私の腕を掴むと同時にその音は止まった。抱きしめられて温かい感触がする。私はこの温もりを知っている。いつも傍にいて私を守って…“くれていた”人。

「ヒロト…」
「何してるんだ…!みんな心配してるぞ!早く帰…」
「ヒロト…私は、」

そこまで言ってヒロトが私の体を反転させて強く抱きしめた。強すぎて少し痛いくらいに。私を想う気持ちがしっとりと心に伝わってくる。

「違う…名前は、エイリア学園にとって―…オレにとって、いなくてはいけない存在なんだ」

遠回しな告白。そんなの初めてされた、と私は固まる。私を必要としてくれる彼に応えたいと思った。

でも。

「お父様が、私の娘じゃないって、お父様が、お父様が、」
「名前」
「だから私は死にたいの、お父様に必要とされない私は、生きてる意味あるの?教えてよヒロト、ねえヒロト」

俯いてしまったヒロトの顔を窺うことは出来ない。私は掴んでいたヒロトの袖を手から離した。空を仰げば、さっきより星が近い気がする。きっと迎えに来てるんだ、小さい頃死んでしまったお母さんが。あぁもう少しで日が昇ってしまう早く向こうへ行かなければまたお母さんが遠くなってしまうよ

「父さんにそう言われたから何だ?」

星へと伸ばした手は動きを止め、今の言葉に脳が活動を始める。

「名前にとって父さんが自分の全てなのか?父さんだけが自分の存在を認めてくれた人なのか?」

うっすらと分かった、ヒロトの声には悲しみが、私を抱きしめる腕には強い思いがあることを。

「オレには、名前が必要なんだ」
「ヒロ…ト」
「たとえ父さんが名前をいらないと言ったって、エイリア学園から追放されたって…オレは父さんの計画を裏切ってでもお前を護る!」

とくん、私の胸が波打つ。私の腰で音を立てる波が大きくうねった気がした。ヒロトの顔を見ると今までで一度も見せなかった、儚くも真剣な表情。そうか愛されてるのか私、ヒロトに。必要とされてるんだ。

「私、お父様が大好き」
「オレもさ」
「ヒロトはお父様の次に好き」
「オレは父さんより名前が好きだよ」
「うん、それがいい」

そっと腕を引かれ、私は陸へと歩き出した。下を見ると水面が私と相対する。月が水面にゆらゆらと映し出されている。私は目を閉じて足を前に踏み出し体で水を切った。

前を歩くヒロトの名前を呼ぶと、振り返ってにこやかに笑う。不意に寒くて体を震わせた。

「帰ったらシャワー浴びようか」
「ヒロトの部屋のがいい」
「うん、今日は一緒に寝よう」

月明かりが私の影を一層色濃くし、そこにモノトーンの世界を醸し出す。さっきまですぐそこに感じていた空は、どんなに手を伸ばしても届かないところに在る。今頃そのことに気づいたのだ、






水面下に移れ
星空よ


 

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