その日はとても暑かったことを憶えている。






冷え切った部屋の中で、テレビはしきりに地球温暖化を訴えている。皿の上で、半分ほど棒に付いたまま残っていたアイスは既にどろどろに溶けていた。冷たい床も、自分が温度を奪うことで温くなっている。リモコンに手を伸ばすも、リモコンは遠い。地球温暖化を防止しよう、的なことを言っているが、そのスタジオだって冷房つけて快適な状態での意見交換、なんの説得力もない。私のいるこの狭いリビングを冷やす十八度より、スタジオを冷やす二十度の方が地球にとってはるかに酷な行為である。一体どのくらいの電力を消費し温暖化を促進しているのか、彼らは考えたことがあるのだろうか。クーラーから吐き出された風が額を撫ぜた。

ピンポーン、と軽快な音がして、続いて玄関に誰かが入ってくる音がした。廊下を足早に進む音、そして頭の先でドアが開き、人の気配が現れた。寒っ、と短く聞こえたかと思うと顔に影が出来る。海のように青い髪、細くしなやかな筋肉は若干汗ばんでいる。相変わらず細いなちくしょう、と心の中で悪態をついた。

「ちゃんと鍵かけておかないと駄目だっていつも言ってるだろ」
「大丈夫だよ。こんな暑い日に外を歩き回る人はいないって」
「ったく…お前は」

しゃがみ込んだ一郎太の顎から滴った汗が私の額に落ちた。「でっ!」「こんなに冷えた部屋にいたら風邪引くぞ。外に出よう」一郎太の熱い手のひらが私のだらけた腕を包み込んだ。即座に私は払いのける。一郎太は少し驚いたようだった。冗談じゃない。さっき私が言ったことを一割も聞いていないのか彼は。今夏一番の猛暑を誇る今日、何故外に出る必要がある。きっと一郎太は暑さで頭がやられたに違いない。掴まれた手は太陽のようだった。

「っくし!」

一郎太のくしゃみが、だらだら動いていた私の心臓に拍車をかけた。一郎太の肩が揺れる。「駄目だ」独り言だと思って無視してみたら、先程よりも強く腕を掴まれ、上半身を勢いよく起こされた。何が何だかといった呆けた表情で背後の一郎太を見返ると、無理やり腕を上へと引っ張られた。「いだだたた、痛い!」立たされた。一郎太の行動が全く理解出来ない。頭上を涼しい風が吹き過ぎていった。

「駄目だ、ここにいたら絶対に風邪を引く。外だ」

一郎太は私の腕を掴んだまま廊下へ出ようとした。私は渾身の力でその場に踏みとどまる。一郎太の長い髪が前後に、左右に揺れ動いた。「…名前」不機嫌そうでも、陰に優しい声音を潜ませていた。一郎太は昔から私に甘い。たまにそこにつけこんでわがままを言ってみるけれど、大体は罪悪感を覚えてすぐにやめてしまう。私は一郎太の甘さを利用する悪い女になりきれないのだ。というか、甘すぎて利用する気になれない。

「二学期が始まっても外に出られなくなるぞ!」
「分かってるよー」
「だったら…」
「今日は出たくありませんー」
「そういうこと言って二学期までだらだら過ごす気だろ」

甘いくせに鋭い。それとも私の思考が単純すぎたか。
幼なじみは時として面倒なものだ。






ついに根負けした私は、一郎太の後ろを小さく歩進していた。(まさかこの年で肩から水筒を提げて歩くとは思わなかった!)肌に当たる日射しの効果音にはじりじりという言葉がぴったりだ。コンクリートから発せられる熱に足がどんどん浸食されていく。一郎太の履くサンダルが間抜けな音を辺りに渡らせる。長い青い髪は、その色が与える視覚的な涼感を私に届けてはくれなかった。
蝉の声を肌で感じながら、一郎太は私に水を要求した。さっき聞いた話では、私の家に来る前も土手を走っていたらしい。その陸上好きがたたって熱中症でも起こさないだろうか。水筒のひもを肩から外し一郎太に渡す。暑さをものとも感じていない声でサンキュ、と短礼を述べて、水筒のキャップを開けた。右手に持って傾けて、はたりと止まる。しかしすぐに水を飲み、喉を二、三度鳴らす。その一連の動作が、一瞬、夏であることを忘れるくらい爽快感に満ちていて、頬に伝った汗で直射日光を再認識した。私に水筒を差し出す一郎太が、熱に浮かされた目をしている。濡れた唇が薄く開いて、目尻が優しくなった。

「お前もこまめに水分補給しろよ」

遠くの空に、入道雲が寄り添うようにそびえ立っている。






木陰の草は冷たかった。帽子を被ってくるべきだったとさっきは思ったが、今思うと頭が蒸してしまって暑いだけだろう。首にかかる髪がうっとうしくて高く束ねた。一郎太は草むらに寝っ転がって体を休めている。私はそうはせず、腰を下ろして川を眺めた。

「暑いなー」
「うん。もう水筒の水も少ししかないよ」
「悪い、飲みすぎた」
「いいよ、別に」

蝉が鳴くのをやめる。川は太陽の光を反射して眩しく輝いている。無性に水を浴びたくなった。首元を汗が滑っていく。夏の日射しは葉に遮られて、私と一郎太をまだらに照らす。たっぷり十分は過ぎ、木陰のおかげで私たちはそれなりに涼しくなった。「よし」一郎太は快活な表情で立ち上がった。一郎太の髪は長くてわずらわしそうだが、色が寒色なためにそれを感じさせない。なんとなく、一郎太の髪は好きだと思った。

「それじゃ、家まで走ろうぜ」

草の乾いた匂いを背に、私は腰を上げた。






永眠の昼



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