※ヒーローになれない・一直線上の慕情の続き
※長いです






朝目を覚ますと、見覚えのない部屋にいた。白を基調としたシンプルな部屋の隅には、観葉植物が置かれていて落ち着いた雰囲気を辺りに漂わせている。寝起きのぼんやりした頭でも、ここは私の部屋ではないことが容易に想像出来る。上体を起こすと同時に、部屋に誰かが入って来た。

「気分はどうだ?」
「…ウルビダ」

ウルビダは私に、コーヒーの入ったカップを手渡した。匂いを嗅げばブラックのようだ。流石ウルビダ、私が過去に言ったコーヒーの好みを知っている。頭をさまよっていた睡魔が消えて、私はすっかり目を覚ました。

「おはよう」
「あぁ、おはよう」

コーヒーを飲む。上質な豆の味が喉を伝い私の空腹感を僅かに潤した。
ベッドを下りてウルビダに案内されたのは、リビングだった。テーブルには既に朝食の準備が整っている。すごく美味しそうだ。ウルビダに促され席につくと、手を合わせてフォークを持った。何故私がウルビダの家にいるかというと、バーンと喧嘩したからなのだ。






朝起きると名前はいなかった。今日は目覚ましで起きた。毎日名前に起こしてもらっていたので、目覚ましの音は朝の耳にこたえる。時計を見ると七時半。休日なのに珍しく早起きしたなと思っていると、インターホンが鳴った。もしかしたら名前かも。走って玄関に向かい鍵を開けドアを押した。

「名前!」

しかし、そこにいたのは名前ではなかった。

「…なんでお前らなんだよ、朝から何だ」
「いやあ、バーンと名前ちゃんが喧嘩したって聞いたから、どんな顔してるかなって見にきた」
「邪魔するぞ」

普段はオレの家に入る時に断りを入れるなんて絶対にしないガゼルに怯んで、二人をすんなり中に入れてしまったオレは寝起きの声を張り上げた。

「おい!誰から聞いたんだよ」

そいつぜってー捻り潰す。言うと、グランとガゼルは顔を見合わせ声を揃えた。

「ウルビダ」






些細なきっかけが元だった。私が部屋を掃除してあげたら、帰って来たバーンに物凄い剣幕で怒られた。初めはショックで何も言えなかったけれど、あとから沸々と怒りが湧いてきて、私もバーンに怒っていた。そうだ、思えばおかしい話なのだ、今までだって部屋の掃除はしていたのに、いきなり「何で勝手に掃除したんだよ!」なんて言われて、むかっとこない方が変だ。さんざん怒鳴り合い、言い争って仲違いしたあと、私は簡単に荷物を纏めてマンションを飛び出した。携帯を取り出し真っ先にウルビダの携帯に電話をし、しばらく泊めて!と、そして現在に至るのである。ウルビダが優しくて良かった、バーンには容赦ないけど。
今日はウルビダと一日中外出をしていて、色んな買い物をした。お揃いのストラップを買ったり可愛いサンダルを買ったり、久しぶりに女の子らしい買い物が出来て私は満足だった。バーンのことなんか全く頭に無かった。私がウルビダの家に泊まっていることを、グランとガゼルは知っている。協力すると言ってくれたので、バーンにはまだここがばれていない。もう同棲やめてここに住んじゃおうかな。ウルビダに言ってみた、「すごく幸せだ」嬉しそうだ。

「ねえ、夜はちょっと遅くまで起きてたいんだけど…」
「あぁ、名前が起きていたい時間まで私も起きているよ」
「たくさんお話したいの」

ウルビダの頬が緩み、雰囲気が更に柔らかくなった。本当、ウルビダは親友と呼ぶに値する存在だ。もうずっと前から親友だが、改めて今日、私と彼女は唯一無二の友なのだと再確認出来た。






一人の家は寂しかった。

(……テレビもつまんねえな)

ソファに座り、ガゼルが消し忘れていったテレビを消し顔を落とした。
誤解だ。あの言葉は誤解なのだ。名前に隠し事をしていないといったら嘘になる。だが、オレにはあの時ああ言わなければいけない事情があった。名前の携帯には何度も電話をかけた。しかし着信拒否されてるせいで、彼女の声がオレの耳に届くことはない。虚しかった。
外食を誘ってくれた二人には感謝するが、そんな気分になれないと断った。このまま、彼女と連絡が取れなかったらどうしよう。この件で、彼女が別居を考え始めたらどうしよう。オレの脳内はさっきからそればかりが目まぐるしく動き回っていて、オレを休ませてはくれない。
会いたい。名前。いつもなら名前が、風呂が沸いたとオレに伝えてくれる時間だ。






ガールズトークは私にとって新鮮だった。ウルビダは私の話を聞いてくれるし、面白い話もしてくれる。バーンとは出来ない話を、ウルビダとはたくさん話すことが出来た。

「でね、その時バーンがみんなの前で転んで、ネッパーが珍しく笑ってたんだよ」
「バーンは相変わらず阿呆だな」
「でしょ!馬鹿だよねぇ」

楽しい。同性との夜のおしゃべりは、こんなに胸を浮つかせるものであったか。華々と花を咲かせていた会話に、不意にウルビダが真面目な声をうろつかせた。

「名前、お前はバーンが大好きだな」
「…え?」
「さっきからバーンのことばかり話している」

言われると確かにそうだった。洋服やスイーツ、芸能人の話題などは一切上がらない。私が言わなければウルビダは自分から話題を上げるなんてしなかった。彼女は私の話を黙ってきいてくれる、聞き役なのだから。

「それはそうだな、私と遊びに行く時間よりも、あいつといる時間の方が圧倒的に多いから」
「ウルビダ、ごめん」
「私は怒っていないよ、名前。ただ、そうして一日の大半をあいつと過ごしてきた名前は、寂しくないのかと思って」

「寂しい…?」ウルビダは続ける、「バーンも、今まで一日の多くの時間を名前と過ごしてきたんだから、今頃名前がいなくて辛いんじゃないか」

そうかも、という推測が確信に変わるまでそう時間はかからなかった。あのマンションに、バーンは一人だ。時計を見ると十一時、いつもなら風呂が沸いたのをバーンに知らせる時間だ。そんなに前のことではないのに、そのことが昔の出来事だったかのように懐かしく思える。彼はちゃんと夕飯を食べたのだろうか。風呂は洗えたのだろうか。洗濯物は、掃除は。固まる私を見て、ウルビダが優しく微笑んだ。

「家まで送るよ」






ソファでうたた寝をしていた。気づくと三十分過ぎていて、風呂は既に沸いていた。いっけね、と体を起こすと背筋が軋んだ。きっと変な格好で寝たからだ。
携帯を開いても名前からの連絡は無かった。発信履歴を出して、名前の電話番号を見詰める。もう一度かけたところで無情のアナウンスだ。だけど未だ希望は捨てられなかった。十字の真ん中のボタンを押して耳に当てた。呼び出し音がした。嘘だろ、と呟く。その音は、ドアの外から聞こえた。考えず、オレは玄関に走ると乱暴に鍵を開け思いっきりドアを開けた。






どたどたと荒々しいこの足音はバーンだ。こんな深夜に失礼極まりなく恥ずかしい。勢い良くドアが開き、思いっきり目が合ってしまった。

「名前、」
「…ただいま」

バーンに対して間抜けな返事だった。それでもバーンは何を言うことなく私を中に入れドアを閉めた。リビングまで無言で進んでいくと、流しに食器が積まれていた。
気まずかった。すごく気まずかった。こんなことならウルビダに付き添ってもらうんだった。元々私は話し下手なので、こういう時どうしたらいいのか分からないのだ。

「…すまなかった」

素直な謝罪の言葉を発したのは、勝手に家を飛び出した私ではなくバーンだった。私は、目を合わせることはしなくても振り返って彼の顔を見る。

「お前がすごく傷付き易いのは知ってるのに、めちゃくちゃ怒鳴っちまった。悪かった」
「……」

これは我が儘だが、私としては別のことがききたかった。謝罪は十分だ。

「…じゃあ何で」
「?」
「何で怒鳴ったの?いつもと同じように掃除してたのに、あの時あんなに怒ったのはどうして?」
「…それは……」

それきりバーンは黙ってしまった。口を噤んで俯き加減。私を怒鳴った理由はあるみたいだ。
隠し事はしない。これは私とバーンで決めた約束だ。バーンが言い出したことなのに、彼自身が約束を破ろうとしている。顔の中心が熱くなり鼻の奥がつんとした。

「毎日掃除してあげてたのに、すごいショックだったんだよ。怒鳴られて胸が痛んだ。ねえ、バーン。ちゃんと理由はあるんでしょ?」

ついにバーンが口を開いた。

「……オレの部屋に来い」

気味悪く静かに言うので、少し気圧された私は素直にバーンのあとについていく。バーンはドアを開け中に入ることを促す。中に入ると、私が最後に掃除したままになっていた。バーンは私の横をすり抜け、ベッドの下を覗き込み、腕を伸ばした。まさか…。

「グランからもらったこれ…隠してたから」

震える手で表紙を開き、無言のままページを捲る。それは可愛い女の人がたくさん載っている本だったけど、どの子もみんな…

「そろそろ、いいんじゃないか?ってあいつが…」

綺麗で華やかなウエディングドレスを着ていた。

「バレたら恥ずかしくて、それで黙ってた。でもお前とは、グランの言うとおりそろそろ、その…け、けっ…」

涙が落ちてページの真ん中を丸く濡らした。それに驚いたバーンが慌てて私の肩を掴み、目元を袖でごしごし乱暴に拭いてくる。正直痛いが、「わ、わりぃ、ごめんな、急に」必死になって私の心配をするバーンにもう何も言えなかった。

「本当に悪かった。オレの心の準備が出来たら見せようと思ってた。だから、お前が掃除しに来た時焦ってあんなに……ごめん」

私より大きなバーンが、今は小さく見える。自然と口元に笑みが浮かび、私は俯いたまま声を出した。

「…ばか」
「あぁ。そうだな」
「大馬鹿者」
「…分かってる」
「分からず屋」
「……知ってる」
「私また家出するよ?」
「それは困る」

力強く抱いた私の体に、バーンは安心から来る浅い溜め息を吐いた。やっぱり名前がいねえとオレ、駄目みたいだ。その言葉が嬉しくて精一杯抱き返すと、いきなり体を離されて目を射抜かれた。何を言われるのかは既に分かっていた、なので私は、バーンへの返事を考えながら、彼からのプロポーズを待つことにしよう。






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