「…あいつらの気配はなしか」 腕時計のように見える小型の機械は、過去と未来と繋ぐ唯一の通信機である。今のところキラード博士からの連絡はないが、この機械は通信機であるとともに過去の地形に対応しており、付属品の小型チップを対象の物や人につければ、以後どこにいても正確な位置を把握できる。カノンの目的はまずこのチップをつけることであった。「西にあと五〇〇メートルです」ナビの声に従って左に曲がると、車の行き交う広い道に出た。 「やばっ…!」 再び建物の影に隠れて一息ついた。冷や汗の出ていることに気づく。腕で拭った。 期限は一週間。その間を守れば、未来は守られる。 ――ピピピピ 「!」 通信機に緊迫した音が入り、カノンは手をあてた。 「もしもし、カノン聞こえますか?」 「キラード博士!」 未来からの声だった。自分は今、この小さな通信機しか頼れるものがない。まるで命綱のようだ。カノンの心臓はひんやりと氷を添えられたかのように収縮し、また大きくなる。 「どうですか、目的地は確認しましたか」 「いえ、まだです。大きな人通りのある道に出てしまって足を止めています」 「ちょっと待ってください」 パソコンをさわる音がして、少しの静寂が訪れた。ものの数秒でキラードは回り道を告げる。「その地点から南に少し行ったところに、比較的人通りがない横断歩道があります。渡る時は気をつけてください」「分かりました。ありがとうございます」「ナビ機能が少し不調のようですね…ですがカノンは土地勘がありますから、きっとすぐにナビも必要なくなるでしょう」カノンは周囲を注視しながら歩き出した。 「あいつらの動きはどうなっていますか」 先程の明るい声のトーンを低くして、キラードは真面目な声音で何故か息をひそめる。 「そちらの世界に反応がありません。おそらくまだ準備が整っていないのでしょう」 「余裕…だと言いたいんでしょうか」 「カノン、悲観的になってはいけません。彼らは精神的にも君を追いつめてくるはずです」 静かに横断歩道を渡る。遠くの信号機が青に変わった。 「今から目的地へ向かいます。到着したらこちらから連絡します」 「お願いします。くれぐれも雷門中の生徒には気をつけてください」 「了解です」 ブツッと完全に通信が途絶え、代わりにナビの声がカノンを誘導する。後ろで車の行き来する音を聞きながら、カノンは建物の間の細く暗い道を進み始めた。 くよくよしたって仕方がないのだ。もう諦めるしか、道はない。深く濃くなった影は次第に心の中へと忍びよってきた。「…お腹すいたなあ」近くの壁にかかっているカレンダーに意識を移した。今月は帰って来ない。私の両親は今、海外出張中である。 父の会社は、外国へ向けた商品の輸出入を請け負う貿易企業で、父はその会社の社長である。母は父の秘書、二人がであったきっかけは母が秘書として会社に就職したことだった。つまり私は社長令嬢。だけど通っている高校が私立でないのは、私がそれを強く拒んだからだった。 小学生の頃から「庶民じみた金持ち」と言われた。私は特別であることが嫌だった。「みんな」と「金持ち」で差別されるのが苦痛であった。だから高校は公立にした。そこで秋や塔子たちと出会い、さらには高野くんに出会えた。毎日が楽しかった。 鼻の奥がつんとして、目に涙が溜まり始めた。慌てて袖で拭いて、立ちあがって学校の鞄の中から財布を出した。家にいると色々考えてしまう。コンビニでも行って、夕食を買って来よう。有名な貿易会社の社長令嬢がコンビニに行くなんて、だいぶおかしいのかもしれない。 |