名前をきかなかった私はなんなんだろう。自惚れじゃないけど、あの感じだとまた話しかけられる気がしてやまない。今日の夏彦は完全シカトを決め込んでくれた。このやろう。今度旅行行った時おみやげ買ってきてやらないからな。

「こんにちは」

平日なのに昼にやってきた。私は開校記念日のおかげで休日なわけだが(友人と遊びに行くという考えは微塵もないわけである)この子は中学生だろう、おそらくだけども。もしかして同じ開校記念日?「今日は何を買いに来たんですか?」和牛の子の瞳が左右へ一回ずつ振れた。

「今日はね、何かを買いに来たわけじゃないんだ」
「…え?」
「オレ、名前教えてなかったよね?」

名前?確かに和牛の子の名前は知らないが、名前を教えてもらうほど私はこの子と親密な仲ではない。ただの店員と客なだけであって、幼なじみとか、学校が同じとか、そういう接点はないのだ。はあ、と私が間抜けな返答をしたのとは裏腹に、和牛の子は嬉しそうな顔をした。

「オレ、ヒロトっていうんだ。片仮名でヒロト、名字は必要ないよね」
「え、あ、はあ」
「君の下の名前は何ていうの?その名札には名字しか書いてないじゃないか」

急展開について行けない。何故私は自己紹介されている?何故名前を催促されている?ただの客に。しかも私より年下の子に。新手のナンパだったら全力でお断りしたい。「言っとくけど、ナンパなんてそんな軽いものじゃないから」え、よ、読まれた…!?

「……あの、お客様。そのご要望にお答えすることは出来ません」

精一杯だった。喉の奥で声が震えた。ヒロトと名乗った目の前の子は私をじっと見つめている。プライバシーの侵害だ、と言おうかとも思ったが、名前を尋ねられただけでそれは言い過ぎではと思いとどまった。客を泣かせてはチーフに怒られてしまう。減給も有り得る。だから、私としてはただ一つ。このまま納得して去ってくれれば良いのだ。頼む…!

「さい、しょは、グー」

ん?「じゃーんけーん、ぽん!」あああ自然に手を出してしまった!というかいきなりだったからつい――「やった」「……」和牛の子は爽やかに手のひらをこちらに向けてみせた。

「オレの勝ち。お願いを一つきいてよ」
「え、ええ?」
「名前を教えてください」
「あの、」
「ああ、拒否権はないよ。もし断ったらご意見カードに君の名前書いてクレームつけるから」
「そ、そんな」
「さあ早く。名前は?」


「…名前です」


オレはヒロトだからね、よろしくね。差し出された手を握るしかなかった。

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