父の実家のある、山と海に囲まれた田んぼの広がる田舎の夜に、僕は一人の女の子を見つけた。






夜の終着点






辺りを見渡しても真っ暗だった。街灯がぽつぽつとその場を照らしているだけで、都市部に住んでいる僕にしては少し衝撃的だった。街灯には虫が群がり、車は一台も通らない。ただ敷かれている道路を、僕は申し訳ない気持ちでゆっくりと歩いた。そうして見えたのは、小さな駅。四両電車しか止まれないホームの長さに、ここが田舎だということを再認識させられる。風が吹いて山が不気味に鳴いた。
すぐ戻る、と父に言ってから三十分が経過していた。そろそろ戻らないと、心配をかけてしまう。あの駅の名前を知ったら引き返そう。そう決めて駅のホームの看板へと視線をやった。


――ぴたり。


そう形容するに相応しい出会い方だった。駅にいる何者かと目が合い、僕はそこで足を止めた。それはじっとこちらを見ている。向こうとしても、まさかこんな夜更けに人と会うなんて予想していなかったのだろう。ここは滅多に踏まれないコンクリートが広がる田舎、山と、海と、田んぼしかない鄙。そんなところで人に出くわすとは、僕はその姿を確認したいその一心で駅へと歩を進めた。だんだん近くなる、電灯は相変わらず己の足元にしか光を当てず、僕は闇を身にまとった。

線路前に着いた。向かい側はホームだ。道路と電車を遮る柵が無い。無くても安心ということなのか。線路をまたいで、ホームの縁に手をかけ腕に力を込めた。簡単に侵入が出来た。多分終電はもう無い。駅の名前を確認したところで、暗闇から声が聞こえた。「誰、ですか?」…女の子?

「あ、えっと…怪しい者ではありません」

とりあえずそう返したら、返事が返ってこなくなってしまった。逆に怪しませたか?弁解しようにも更に怪しまれそうなので、僕も沈黙を保つ。数分経って、相手から返答があった。

「名前は、何ですか?」

名前?想像していたのと全く違う問いに、僕は反射的に名乗っていた。待たず、彼女から謝罪の言葉がきた。何故謝るのか、僕は声のする方へ歩いた。ホームのベンチの場所に設置された灯りの下に、一人の女の子が座ってこちらを見ていた。その薄暗い雰囲気に一瞬どきりと胸を打つが、横にどっしり置かれた大きな荷物を見て不思議に思う。女の子は夜の挨拶をした。「君、どうしてここにいるの?」女の子は僕から目を逸らすと、いえで、と口を動かした。

「――家出?」

女の子の頬がかっと赤くなった。え、「なに、家出したの?」「そっ、そうだよ」彼女は自分のしたことを恥ずかしがっているのか、僕への返事をかむ。別段かわいいとは思わなかった。家出は少なくとも僕の中ではマイナスワードで、しかも女の子ということもあり、僕の眉間のしわを更に深くかたちどらせた。いくら田舎といえど、危険は危険だ。こんな真っ暗な中、電車も来ないこの駅で朝が来るまでぽつねんと座っているのは。
「君は、帰った方がいい」静かに言いのけた。

途端、女の子の目がきらり、光って激情を帯びたものに変化した。か弱い雰囲気はどこへやら、突然肉食獣のように目の色を変えた彼女は有無を言わせぬ覇気で怒鳴った。「帰らない!あんな家、死んでも帰ってやらないから!」薄情だが、しかしこうして赤の他人面で聞いていると、どうやらそんなに事は深刻なものではないらしい。僕は女の子を説得する羽目になりそうだ。座って話をしないと、僕も女の子も落ち着かないであろう。






僕はこれまで順調に人生を歩んできた。誰に決められたわけでもないし縛られたわけでもないけれど、父の望んだ道を踏み外さず歩いてきた。もちろんそれは僕の意志で、父と同じ道を進むと決めた僕に父は何度も別の進路を薦めてくれた。でもどれもしっくりいかなかった。嫌だった。父の背中を見て、自分の将来を決めた。やがて父も何も言わなくなった。その代わり、少し厳しくなって、僕をただの息子ではなく、後継ぎとしての成熟した一人の大人として見るようになった。

「お母さんがね、私に一人暮らしをしろって言うの」

彼女は来年卒業を控えた高校生らしい。大学進学を機に、都会へ出て人生経験を積んでこい、こういうことなのだろう。でも、と彼女は言葉を続ける。

「私、ここが好きなの。ここを離れるのだけはどうしてもいや」

僕はふと、自分の住み慣れた家を思い出した。常人よりも大きな家。敷地が広くて、周りに建つ家を近所と呼ぶには微妙な距離感があって、あまり近所付き合いは良いとは言えない。今いるこの彼女の故郷だって、民家がまばらにあるのが見えるだけで、皆が皆顔を知っていて付き合いのあるようには思えない。いや、むしろ人が少ないからこそ親しい可能性だってある。おそらく彼女は後者、そうであれば誰だって親しい人と離れるのはいやであろう。彼女の気持ちは理に当たっている。

「でも、ゴールデンウィークや夏休みがあれば帰ってこられるじゃないか」
「そしたら都会に帰りたくなくなっちゃう」
「……まぁ、それは一理あるかな」

彼女は僕をじっとりと睨みつけてきた。まともなアドバイスを僕に望んでくれているのだろう。そう思うとなんだか嬉しく思う。まだ警戒心はあるようだが、さっきよりかは随分打ち解けてくれている。続けて僕は言う。

「でも、親御さんの言うことも分かるよ」

小さい頃、サッカーの海外留学をした時に、僕もやはり父と離れることをいやがった。彼女と比べると当時の僕の方が幼かったので、それがより自然な反応ではあるが、泣き言を言う僕に父は肩に手を置きながら語ってくれた。

――ヒロト、確かにあなたの思うように海外留学をするというのは不安なことです。怖いと思うことも当然です。ですが、そこでの新しい出会いを想像してみてください。考えや文化が違う子けれど、サッカーが大好きな子たちを。

今になって思えば、あの時言われた言葉は不安を和らげるには効果が少なかった。しかし、僕はその言葉に留学への微々たる期待を抱くことが出来たのだ。父が言うんだから間違いない、そう確信して。父は毎週手紙を送ってくれたので、僕は寂しさを感じることなく好きなサッカーに没頭し、異国の子たちと仲良くなれた。現在も付き合いがあり、大学の長期休みには会いに行っている。

「新しい世界に飛び込んでみることは確かにつらく不安なことではあるけれど、飛び込んでみないと見えない世界ってあるんだよ」

彼女は終始俯いていた。話が長くなってしまった上に、説教じみたものだったので、多感な高校生には少々苦い時間だっただろう。僕は自分の顔を上向かせる。目に入ってくる無数の小さな光は、家の中にいたら見ることが出来ない。

「今も、来てよかったって思ってるよ。君と、こんなにたくさんの星に出会えたんだからね」

おもむろに僕のシャツを引っ張る彼女に、僕は空を見上げるのをやめて目を落とした。暗闇の中で赤い目をする彼女は、さっきのような激情を感じさせなかった。口を微動させて僕に何かを伝えようとしている。僕は目を逸らさず、言葉を待つ。
やがて、穏やかに弧を描いた唇からはっきりと告げた。

「私、帰ります。……家に」






空は相変わらず真っ黒だ。空を見上げる僕に、彼女は「都会じゃこんなに星は見られないでしょ」と言って笑った。初めて見る笑顔だった。彼女の言うとおり、確かにこんな沢山の星は、都会の人工的な明かりの前では全くの無力だ。だけど、同じ「見る」なら電灯よりも自然の発する光の方がいい。自然は何もかも受容してくれる。人工物と違って、どこか母親のような優しさを感じる。

「気をつけて歩いてね。川とか田んぼとかに落ちないように」
「分かったよ。君も気をつけてね」
「私は落ちないの!」

むくれた顔で僕の背中を軽く小突くあたり、もう心配いらなさそうだ。彼女は重そうな荷物を軽々と持ち上げて肩にかけると、暗い闇の中を歩きだした。僕も家のある方向が同じなので、少しだけ距離を開けて後を追うように足を伸ばす。僕と彼女の間に沈黙が訪れた。蛙の鳴く声と彼女の歩く音だけが耳の中に入ってくる。わけもなく深呼吸した。空気が美味しい。数日後にはまた排気ガスの蔓延る重苦しい空気を吸って生きていくのだと思うと、とても彼女に申し訳なくなった。

「私はここ曲がっていくけど」
「僕は真っ直ぐだから、お別れだね」
「うん。ありがとう、色々。帰ったらすごく怒られるだろうけど、頑張ってみる」
「叱ってくれる親がいるのはいいことだよ」

「またそういうおじさんっぽいこと言う」彼女がそう言って僕もふき出した。ひとしきり笑って、彼女は右手を高く上げた。倣って、僕は左手をあげる。

「おやすみなさい」

礼を一つすると、背を向けて足早に去って行った。やがて足音も聞こえなくなると、あげていた左手をゆっくり下ろして上を向く。まだまだ夜は深い。

「おやすみなさい、か」

僕は酷くその言葉が気に入った。


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