それからしばらくは姿を見なかった。別にしょっちゅう来ないと変だというわけではないが、あの子なら週に四回は来そうなイメージだった。ちょっと忘れかけていたある日、レジ係をやっていたら、自動ドアの向こうに赤いしとやかな髪が見えて、反射的に私は声を洩らしてしまった。前で財布を持った主婦が怪訝そうな顔をする。

(ヒロトくんだ)

初めてあった時も不思議に思ったのだが、彼はまたダウンを着ていた。暑い。見てて暑い。周りの客はヒロトくんに見向きもしない。目の端で捉えられたヒロトくんの奇妙な格好が自身の関心を拒絶するのだろう。私はヒロトくんから目が離せないでいた。私の手が止まったことにいらついた様子の主婦が、大げさに壁掛け時計を見ては深い溜め息をつく。
彼と話したい。唐突にそう思った。

「夏彦!」

ちょうど傍を通りかかった夏彦を呼び止める、彼は値下げシールを貼り終えたところだった。こちらを見て、何故呼ばれたのか分からないといった風情であった。

「レジ変わって、お願い」
「はあ?なん」
「いいから!」

夏彦の承諾ももらわないまま、私はレジから飛び出した。今度アイスでもおごってあげよう、だから今は私の我が儘を聞いてほしい。時計を見て溜め息をついた主婦の舌打ちが聞こえた。






「いらっしゃいませ!」

ヒロトくんはやはり精肉食品の売り場にいた。今日は松坂牛のようだ。私が声をかけてから一呼吸おいて、彼は私を見てゆるゆると笑った。何だか少し痩せたように見える。

「久しぶりだね」
「ヒロトくんこそ。ちょっと痩せた?」
「そうかな?」

問い返されると、そうでもない気がする。久しく姿を目にしていなかったからのような感じがした。ダウンを着ているのに汗をかいていない。今日は確か最高気温が三十四度と猛暑日なのに、ヒロトくんはそれを忘れさせてしまう風貌だった。ヒロトくんがまた笑う。「オレね、寒がりなんだ」それにしてもダウンはおかしいだろう。

「いつも高級な肉を買っていくけど、ヒロトくんは肉が好きなの?」
「ううん。どちらかと言えば好きじゃない」
「えっ?じゃあ何で?」
「うーん…何でだろうね」

分からない。ヒロトくんが全然分からない。初めて会った時はもっとこう、優しい子だと思ってたのに。肉が好きじゃないのにどうして毎回肉を、しかもこんな高いものを。松坂牛の下の段に所狭しと並ぶ値下げされた肉には目もくれないで、ヒロトくんはお金持ちだから安い肉は買わないだけなのか。家族の為に肉を買っているのだと納得して、私は質問を変える。

「この前来た時、夏彦と話したんだって?」
「うん。かつおぶしの場所が分からなくって」
「どう?親切だった?」
「まあ、親切だったかな」
「その微妙な反応は何?」

「オレ、彼とは気が合わないみたい」悲しそうではなかった。分かる。夏彦とヒロトくんは気が合いそうにない。ヒロトくんには夏彦は粗雑な人間だと思う。こんなこと本人の前で言ったら何されるか分かったものじゃないけど。ヒロトくんの持つカゴの中に一つだけ入っている松坂牛を見つめた。いいなあ。私も、一回でいいからためらわずに高い肉を買ってみたい。その考えを見透かしたように、ヒロトくんが声のトーンを低くして私に言った。

「オレの家来る?今日は鍋をするつもりなんだ」
「えっ?家?」
「うん。オレが作るんだ」

待って待って、鍋?夏に鍋?もちろん鍋って熱いよね。食べる季節を間違えている。間違えるにも程があるくらい変なことだ。ヒロトくんは不思議なんじゃなくて変なんだと、この時初めて漠然とそう思った。






バイトが終わって、夏彦に怒られて叩かれた。グーで女の子の頭を叩くってどうなの?と反論しても良かったが、答えはどうせ決まっている。今回は私が迷惑をかけたし、夏彦にどう言われようと口答えは出来ない。疲れた疲れたと言いながらこれみよがしに背伸びして関節を鳴らされる。我慢だ私。

「で、何だったんだよ。いきなりオレにレジを任せてお前はどこでサボってた」
「ヒロトくんと話してたの」
「思いっきりサボったな」

私はヒロトくんとの会話を夏彦に話した。興味があるのか、夏彦は時折相槌を打って(珍しいこともあるものだ)いる。話し終わった時、帰り支度の整った夏彦がしかめ面をして私を見る。私よりずっと背の高い夏彦が、電気の光を遮るように立つので、彼の表情がよく分からない。あまりいい顔をしていないのは雰囲気で察知する。

「あいつ今日ここに来たか?」

「……は?」素で返すくらいには驚いていた。彼はヒロトくんが来ていたことに気付かなかったのか。いや、ヒロトくんの通ったすぐあとを夏彦は歩いていた。いくら周りを見ていなくても、あの一際目立つ髪色ですぐ分かりそうだが。「見てねえぞ。赤い髪なんて見なかったな」夏彦が嘘をついているようには見えない。「だって、私会話したよ」「ほんとかよ」「ほんとに!」ちなみに鍋は断った。正直ひいてしまったのもある。ちょっとおつむの弱い子なのかな。

何にせよ、ヒロトくんは変人だ。

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