※長いです
※少し捏造






お化け屋敷だとか、先生にいたずらを仕掛けただとか、そういうことの方でこの気持ちを味わうならまだ良かった。その方がまだ明確な終わりが見える。今の私は緊張に緊張を重ねたような気持ちでヒロトの隣を歩いていた。ヒロトはというと、素晴らしく快活な表情である。私の溜め息をきいても少しも心配する様子などなく元気いっぱいであった。

「胃がきりきりしてきた」
「じゃあ向こうに着いたら薬をもらおう」
「帰してくれるとありがたいのですが…」
「寝たいのであればオレの部屋貸すよ」

どうやら帰すつもりはないようだ。覚悟を決めたはずなのになかなか体が順応してくれないのは昔からの癖みたいなもの。更に腰元を締める革ベルトが私の気を落ち着かせてくれない。「大体さ、君男じゃないのに何でそんなに緊張するの」木々が細々と立ち並ぶ肌寒い季節に浮いた、呆れた物言いだった。

「女の子でも緊張するの!でもこの前のヒロトよりは幾分柔らかいでしょ」
「似たようなものだと思うけど」
「うるさい!とりあえず静かにして」

少々ヒステリックになりながら、とうとう着いてしまった。確かに、若干古びた看板にはヒロトが私に打ち明けた“秘密の文字”が書いてある。ヒロトの喉が少々湿り気を帯びて、恐る恐る私に問いを投げかけた。

「抵抗感、ある?」






ピンポーン、縦書きの看板の横に位置するインターホンを何の躊躇もせずに押した。「ちょっ、名前!?」「何」「何って…今までの緊張と帰りたいコールはどこへ?」先程までの余裕たっぷりの彼はどこへやら。

「そんなもの、この看板を見たらどこかに行っちゃったよ」

がらがらがら、たてつけの悪い音と共に中から出て来たのは、髪の長い大人しそうな綺麗な女の人だった。その人は私を見て、ヒロトを見て、もう一度私を見てから「入りなさい」と中へ入るのを促した。途端に、さっきどこかへ行った緊張が舞い戻ってきて私の足はぎこちない動きを見せ始める。ヒロトがそれに気付いて、背後から私の肩に手を置き、大丈夫、と一言言って肩をゆるく押した。「瞳子姉さんが初対面の人に命令口調な時って、緊張しているサインだから」ヒロトに余裕が戻っている。

中は戸の印象とは大きく違い比較的新しい作りだった。つやのあるフローリング、壁には小さい子の描いた絵が所狭しと飾られている。前を歩く瞳子さんはぽつりと、片付けさせないと、と呟いた。声も艶やかで羨ましい。談話室、と書かれた部屋の前で私たちは足を止めた。そして静かにドアを開ける。

「待ってましたよ、ヒロト」

「父さん」ヒロトは嬉しそうに声をあげた。わ、今の声子供みたい。ヒロトは瞳子さんに礼もせず中に入って行った。私はどうしていいか分からなくて、そこであたふたと慌て出す。瞳子さんはさっきと同じ声のトーンで「入りなさい」と言った。緊張しているサインだとはいえ怖いです!置いていったヒロトを軽く恨みたい。

「失礼します」






「あなたがヒロトの言っていた方ですね」

対面した瞬間、緊張が一気にほぐれたのを感じた。にこにこ笑って、大きな温かそうな手で湯呑みを包むように持っている、ヒロトに父さんと呼ばれる人物は私のイメージを遥かに超えて、というか私の中のイメージをこなごなに砕ききった。本人には言えないけれど、かっこいいヒロトの親というのなら、もっと厳格なオーラを持った人だと思ったのに。眼鏡を掛けた、言うなれば稲妻病院の豪炎寺先生みたいな。だから私はあんなに緊張して、肩を張って冷や汗かいて、実はそれにプラス泣きそうになってまでここまで来たのだ。拍子抜けにもほどがある。

「ヒロトから色々話はきいていました。想像以上にかわいらしい方ですね」
「あ、ありがとうございます」

初っぱなから出鼻をくじかれている。かわいらしいと言われてにやけそうな自分がいる。だめだだめだ、私は褒められるためにここに来たんじゃないのだ。勇気を出せ、私。「あ…の、」

「瞳子。二人にお茶を持ってきなさい」
「はい」
「姉さん、それオレにやらせて。久しぶりに園の中を見てみたくて」
「え、」
「駄目よ。ヒロトがいなくなったら彼女はもっと緊張するでしょう」

な、何を言い出すんだヒロトは!私一人になったら緊張でぶっ倒れてしまうわ!瞳子さんがヒロトの行動を止めてくれる。ありがたい。ヒロトも渋々と座布団の上に座り直した。

「いいですよ」

「!父さん」「瞳子。私は彼女と瞳子と三人で話したいのです」厳格さを漂わせた声は瞳子さんを黙らせた。ヒロトは再び明るい笑顔を見せると、行動早く「じゃ!」と言って部屋を出ていってしまった。…そ、そんな。

「さて」

ヒロトが部屋を出て、厳しくなるかと思った声はさっきと同じ優しいままだった。しかし私はすっかり緊張している。これからどんなことを言われるのか、覚悟してきたつもりなのに心臓はうるさく活動するのだった。

「名前さん」

「は、はい」瞳子さんが柔和な声で私の緊張をほぐそうとする。「そんなに緊張しないで。私も父さんも反対なんてしないわ」は、はんたい…?

「え、あの…知ってたんですか?」
「いいえ。玄関であなたを迎えた時になんとなくそう思ったのよ」

ヒロトとの結婚の話でしょう。瞳子さんは鋭い人だ。黙って頷いてから、小さくはいと返事をした。

「私たちにとってとても喜ばしいことですが…。あなたは、ヒロトから全てをききましたか?」

瞳子さんがぐっと真面目な顔になって、ヒロトのお父さん…吉良さんも改まった雰囲気に変わった。ここでいう全てとは、生い立ちのことであろう。もちろん、私は全てをきいた。幼少の頃からこのお日さま園にいたこと、中学生の頃日本中を震え上がらせるとんでもないことをしたこと、ヒロトはわざわざ古傷を引っかいて私に打ち明けてくれた。「そんなことをしてきたオレと、一緒になる覚悟はある?」あの時は唖然としてしまって二の句が継げなかった記憶がある。

「ききました。…全て」
「……そうですか。あなたはそれをきいてどう思いましたか?」

瞳子さんが見詰めている。吉良さんも、私に決意表明をしてほしいようだ。二人の期待がひしひしと感じられる。足がじんわりと痺れてきた。今だ。ここに来た意味を果たす時が来た。前日に入念に練習した言葉など頭に全く浮かんでこないが、今言うしかない。拍動が速くなっていく心臓に落ち着けと何度も言い聞かせて、震える口を大きく開けた。

「最初は驚きで何も言えませんでした。ヒロト…くんは親がいないなんて一言も口に出さなかったし、中学生の頃のことをきいた時はただ楽しかったとか言わなかったし…。でも、全てをきいて、初めてヒロトくんの過去のことを知って、思ったんです。…ヒロトは、今までずっと一人だったのかなって。高校や大学でたくさん友人が出来たとしても、それってヒロトにとって本当に幸せなことなのかなって思ったら、何というか…。私は、この人と一緒にいたいと思いました」

我ながら説得力のない答えである。あからさまに肩を落としかけてつい目線を下にやる。果たして、承諾してもらえるだろうか。吉良さんは厳しそうには見えないが、人間見た目じゃ分からないものである。瞳子さんは美人だけど厳しそうだ。不利な賭けに出たことが薄々分かってくる。少しの絶望感。正座して圧迫されている足が痺れを訴えているところが今の私みたいだった。

「……ヒロトは親の愛を知りません。もしヒロトとあなたの間に命が生まれた時、愛し方が分からないといってその命に暴力をふるうかもしれませんよ」
「…それは覚悟しています。もしそのようなことが起きた場合は、私がヒロトに教えてあげます。ヒロトが私を愛してくれたように、この子も愛せばいいのだと」
「つらくて投げ出したくなる問題だって出てくるわよ」
「一緒に乗り越えます。お互いを支え合って生きていきます」

「だから、」私は後ろへ下がって両手を畳についた。床に擦りそうな位置まで顔を下げ、指先に力が籠もる。

「ヒロトと結婚したいんです。お願いします」

正しい結婚の申し込み方なんて知らない。本当はもっと説得力のある言葉があるかもしれない。だけど、そんなの使ったって自分の気持ちを全て表現しきれないだろう。気持ちを伝えるにはこれが精一杯だった。一念で頭を下げる。額が畳と擦れ合った。心拍数も普段の倍近く、汗も出ている。しかし顔を上げるわけにはいかなかった。許してもらえるまで上げない気でいた。どんなに反対されても非難されてもいいから、ヒロトと一緒になりたかった。我が儘だけど、それが私の決意だった。

「顔を上げてください」

吉良さんは穏やかだった。言われた通りに従った方が良かったが、絶対と決めた心は動かない。「お願いします」声はもう震えてはいなかった。

「ヒロトをよろしくお願いします」

え、と言いそうになったが、唇を噛み締め堪え、即座に顔を上げた。ということは…。

「私の方からもお願いするわ。ヒロトをよろしく」
「あ、あの」
「はい?」
「……ありがとう…ございます」

涙が頬を伝い畳に落ちる。おやおや、吉良さんは笑った。緊張がやっとほぐれて安心しきったのだ。瞳子さんが自分のハンカチを差し出した。お礼を言って顔を見ると瞳子さんも笑っていた。結婚を許された。私はこれから幸せになる。ヒロトもこれから幸せになれる。

「名前!」

談話室にいきなり飛び込んできたヒロトに力いっぱい抱きつかれ、体勢を崩しそうになった。ヒロトが心底嬉しいといった声と表情で私の涙を指先で拭う。ヒロトの目も若干潤んでいるように見えたが、私の目に涙のバリアが張られている為にそう見えるのだろう。

「外できいてた。オレ、絶対名前を幸せにするから」
「うん…うん…私もヒロトを幸せにする」

ヒロトは顔を吉良さんの方へ向ける。吉良さんは湯呑みを持って笑っている。いい人だな、と純粋に思った。こんないい人の元で優しく育ったヒロトだから、きっと私と一緒に幸せになれる。ヒロトが私を自分の胸に引き寄せた。

「幸せになりなさい。ヒロト」

吉良さんの声が嬉しさを隠さずに私たちを祝福して、ヒロトは泣きながら何度も頷いていた。ヒロトの頬の部分を流れた涙は、窓から差し込んだ太陽の光でほのかにその身を光らせながら、肌を静かに撫で落ちていった。






生まれてxx年






「ヒロトのお父さん、いい人だった」
「ありがとう。嬉しいな」

右折したところで信号に引っかかり、ヒロトはハンドルにもたれかかる。目の前の横断歩道を、母親と子供が手を握りあって渡っている。子供は満面の笑みで、母親にくっつくようにして小さな足で白線を踏む。ピンク色の靴が温かみを感じさせる。

「女の子がいいなあ」

不意にヒロトがぽつ、と洩らした。「え?」ヒロトは女の子を見つめる。

「かわいいよね。欲しいな、」

子供。私の顔はみるみるうちに赤みを帯び、ヒロトも心なしか顔が赤い。「ま、まだ早いんじゃない?」「そうかな」「そうだよ。しばらくは二人でいたいじゃん」「え、」「?」「不意打ちだよ、それ…」「な、何が?」「ああもう」

肩にヒロトの手が触れたかと思うと、ヒロトは身を乗り出して私に触れるか触れないかのフレンチキスをした。離れていくヒロトに、私は何も言えない。呼吸を求める魚のように口を開閉させるだけだった。

「幸せになろうね」

もちろん。私たちの新しい人生はこれから始まる。



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