彼は真面目だから平日も休日も無いんだってことは付き合う時に了承したはずなのに、段々と不満が溜まっていくのは女の性かもしれないと、パソコンの画面と睨めっこする彼の背中を見て思う。監視官に就職が決まったと聞いて喜んだ自分は遠い昔のことで、今は彼の視線を独占しているパソコンへの恨めしさだけが募る。今日はそれが回りまわってパソコンにではなく彼自信にやり場のない嫉妬心をぶつけているのだから、私は今最高に最低な女なのだろう。 「……こうがみさんのばか」 「さっきからそればかりだな」 「だって、今日は外に行こうねって約束したのに」「言っておくが昨日の深夜に送られてきたメールを見たのは今朝だからな」今朝見たお願いのメールでもそれに応するのが彼氏というものでしょう、と私は更に機嫌の悪い顔をした。 いつだってそうだ。何か事件が起きたらすぐに対応出来るようにと、犯罪の起きやすい休日はほとんどこのオフィスに引きこもっている。ランチに外に出ても、彼の元々の性格上にこにこと笑い合って食事をすることなど無く、デートらしいデートをしたのはいつが最後だったか。思い出せないくらい前だ。 今の会話だって、こっちを見て言ってくれたわけではないからマイナス、狡噛さんへの嫉妬心はどんどん高く積み上げられていく。 「せめて今日の午後」 「午後の方が犯罪は起きやすい」 「じゃあ夜」 「夜は視界が悪くなって人目が少なくなる。潜在犯が活動するには絶好の時間帯だ」 「……明日」 「出勤日だ」 この男、頭の中に仕事しかない。 「馬鹿、狡噛さんの馬鹿。浮気者」 「誰がいつ浮気した」 「パソコンと向き合ってる時間の方が私を見てくれてる時間より多いでしょ!」 拗ねた口調でそう言って、時計をちらりと見れば、そろそろお昼時になる。今日は何を食べに行こうか、昨日と同じように今日もそれを考えながら今からお昼までを過ごさなくてはいけないのかと憂鬱な気持ちになっては溜め息が出た。仕事人で構わない、私に尽くせとは言わないから、せめて週末にどこか出掛けることくらいしてはどうか。そんなことを願っても無駄だろうけれど。 それまでずっとパソコンから目を離さなかった狡噛さんが、珍しく手を止めてこちらを振り返った。初めてのことで驚きを隠せない私は、つい体が固まる。 「どうしたの?」 「お前の視線が背中に当たって痛いんでな」 当たり前だ。この嫉妬心のこもった目を向ける相手は彼以外にいないのだから。 「私のお願いをきいてくれない狡噛さんが悪い」 「何だそれは……。じゃあ一つきいてやる」 「じゃあって何」 「細かいことにこだわるなよ」 何でもきいてやる、と上から目線で言われたことに若干の腹立たしさを感じつつも、私の相手をしてくれていることに嬉しさが先立ってしまう(こういうところが狡噛さんに見透かされているのかも)。何でもいいなんて言うけれど、どうせデートは駄目っていうならこれしかないのではないか。 「……キスしたい」 しん、と部屋が沈黙した。 「目」 「えっ」 「閉じた方がいいか」 「…私からするの?」 「たまにはお前からでもいいだろ」 こっちを見て静かに目を閉じた彼の端正な顔を見つめる。薄い唇。思えば自分から彼にキスしたことなんて一度も無い。私の方がこんなに欲求不満に見えて、彼は私の我慢の限界のギリギリになって抱きしめてくれたりキスしてくれたり、私のして欲しいことを分かっている。 それって、ずるいと思う。 (私ばっかり好きみたい) ゆっくりと椅子から腰を上げて、彼の座っている前まで行く。私からのキスを待っている狡噛さんの表情からは余裕さが感じられて悔しくなった。しかし、私から彼にキスなんてしたことがない。彼がいつもどうやって私にしてくれているのか分からないし、される側だった方としては上手いやり方もさっぱりだ。 秒針が一周、静寂な空間を支配した。 「……しないのか」 狡噛さんが目を瞑ったまま問う。 「今するの!」 「俺が目を閉じてから一分経ったぞ」 「ま、待っててよ、すぐするんだから」 「……これじゃ、明日の朝になっちゃうな」 私をおちょくってんのかとでも言いたくなる発言だが、その通りかもしれない。しようとしても色々と考えてしまう。下手だと思われたくない、上手く出来なくて恥をかきたくない、思いがぐるぐると頭の中を駆け巡って動きが止まる。言い返せず黙っていると、彼は一つ息をついて、目を開けた。 「……出来ないなら仕方ないよな、俺からしてやるよ」 直後、私の腕を掴んで自分の方に寄せた狡噛さんが、後頭部を乱暴に掴んだ。突然のことで何も抵抗出来ない私など全く意に介さず、その薄い唇を数ミリ開く。 「っ、んう」 粗暴な扱いだったのに、重ねた唇は驚くほど優しく温かかった。一度離れてはまた口づけて、その繰り返し。息をつく暇も無く幾度と重なる彼の濡れた唇は、私の限界を知ってかようやく口づけをやめた。 肩で大きく息をする。唾液が唇を伝うのを落とさないように手の甲でぬぐった。今の私、顔真っ赤だ。顔の表面温度が上がっているのが触らずとも分かる。 私がそんな状態になっているのを知っているくせに、狡噛さんは時計を見ると一つ背伸びをして立ちあがり言った。 「さてと、昼になった。飯でも食いに行くか」 「ちょっ……」 「お前が行きたがっていたスイーツ食べに行ってもいいが」 「えっ?本当?」 「あぁ。食後にな」 それって。「ほら、置いていくぞ」オフィスを出ていった狡噛さんの後ろ姿をしばらく茫然と見つめてから、はっと我に返って私もオフィスを飛び出した。 結局今の関係は変わりそうにない。これからも休日はオフィスで仕事をする彼を見続けることになるだろうけど、ほんの少しの行動で私を幸せにする彼と同じ空間にいられるだけでいいんじゃないかと思ってしまうあたり、私はまだまだ彼の手の平で踊らされているのだ。 「狡噛さんのばか!」 「はいはい」 ----------- ひたすら甘さを目指した結果。 すごく楽しかったです。ネタを提供してくれたあお、ありがとう! |