その時だった。 「ぐあっ!」 私は地面に落とされ、肩をうって小さく呻いた。私を掴んでいた男が隣に倒れてきて、私は状況を把握出来なかった。体を起こすと、前に革靴とズボンが見える。もう一人の男だ、と私は即座に男から離れて身構えた。逃げればいいのに、怖くて足が動かない。こんな時に限って意気地のない自分を責め立てた。 私を連れ去ろうとした男を倒したのはこの男か?だとしたら何故? 「…はーやれやれ、手のかかる仕事ですね」 いきなり、男は間抜けた口調でネクタイを解き髪を乱した。驚きはしたものの、私は依然警戒したまま、男の成り行きから目を逸らさない。油断させて私を捕らえるつもりかもしれないからだ。 男は子供のような目をして私を見つめ、首を傾げた。……正直気持ち悪い。三十代くらいの男がこんな仕草をしたら誰だって気味悪がるに違いない。 「あれ、まだ分かりませんか?」 「……」 「……じゃあネタばらしといきますか」 男がそう言い終わった直後、眼前で信じられないことが起こった。男の体がさらさらと、砂のように消えていく。初めは肩から、次いで足、頭……。私は腰が抜けそうになりながらもそれをまじまじと見ている。というより、非常に冷静だった。 男が消えたあと、私は更に驚きの光景を目の当たりにした。言わずもがなさっきまでの男の姿はなく、代わりに別の男がそこにいた。全身の力が抜けて立ち上がれなかった。彼には見覚えがあった。ただ以前と違うのは、毎日着ていたタンクトップと短いズボンではなく、黒い服で体を覆い、頭には大きなカエルを被っているところであった。 「あなたの愚弟のフランでーす」 二年前に姿を消した弟が、私を見下ろしていた。 夢でも見ているのだろうか。現実はやはり本当に誘拐されていて、これが押し込められた車の中で意識を失った際に見ている夢だとしたら、何て幸せな内容だろう。フランが戻ってきて、また一緒に過ごすことが出来る。祖母はもういないけれど、二人で祖母の庭を守っていけたらそれはそれでいいな――。 風を感じて目を開けた。木が私の上をすごい速さで流れていく。空は真っ黒で星が瞬いていた。すっかり夜になってしまっている。見慣れない風景にぼんやりしていると、誰かが私の体を支えていることに気づいた。 「ん?起きた?」 男の声。やはり私は誘拐され、意識を失っていたのか……でも何故車内で風が吹いている?周りを把握するため、体を起こそうと試みる。が、急に重心がふらついて足が地につかなかった。 「わ、っと!おい、いきなり動くんじゃねーよ」 男の慌てた声。さっき私を引きずっていた男とは違う声だ。もっと若い。私はそこで思い出した。 違う。あの男は、確かもう一人の男に倒されて……。 「おはようさーん」 突然見知らぬ顔が覗いて私は驚愕した。声も上げられない。「あれ、まだ寝てんの?」よく跳ねた金髪で顔の半分が隠れてしまっているその人は、以前にも見たことのある顔だった。二年前、フランを迎えに来た集団の人。 「センパーイ」 前からフランの声がした。「姉さん寝起きはあまり良くない方なんですからー。びっくりさせないでくださーい」私は首だけを動かしてフランを見やった。「フラン!!」それから数秒経って、フランが言った。 「お久しぶりですー姉さん」 「フラン…!!」 「う、わ!」 つい体を起こしてしまい、バランスが取れなくなって浮遊する感覚にみまわれた。落ちている。このままでは地面と激突だ。しかし、地面ではなく背中に柔らかい物が当たった。閉じた目を恐る恐る開けると、体の下で呻く声。 「ゲロッ。内臓飛び出るかと思ったー」 「……あ」 「センパーイ酷すぎじゃないですかー。落としたのセンパイですよー」 「オレが落としたんじゃねーもん。その女が勝手に落ちてったんだよ」 「あーバカ王子は人運び慣れてないですからねー」 「あ?」 物騒な雰囲気を取り除くように、私はフランに力一杯抱きついた。大きな被り物を被る小さな顔に頬を擦り付け、背中に手を回した。フランは嫌がっていたけれど、私は嬉しい気持ちで何も考えずに全身でフランを抱きしめる。少し大きくなった背中と相変わらず何を考えているのか分からない表情が、この時ばかりはすごく私を安心させたのだった。 --------- ここまで読んでくださり嬉しいです。ありがとうございます。連載用のネタだったので没にするのは惜しいのですが、大体の見通しを立てると終わる気がしないのでここで。お粗末様でした。 |