耳に入ってきた異質な音で目が覚めた。

肌寒い朝だった。体を起こし大きく伸びをすると、毛布から温かい足を出して、軋む床を踏み進む。そして、冷たい部屋のドアに耳を押しつけた。家内は静かだ。祖母もまだ寝ているに違いない。
ふと、外に人の気配を感じた。加えて誰かの話し声が聞こえる。こんな早朝に誰だろう。私は再びベッドに戻り、ベッドを挟んだ向こうの窓の木枠に手を掛けた。

「……で……のか」
「……」

外には、二ヶ月前にうちにやって来たあの男たちがいた。やっぱり赤ちゃんがいる。朝早くから大勢で何をしに来たんだ。またうちに用があるのかな。男たちがドアを叩いてしまえば、祖母が起きてしまう。祖母に気付かれないよう外に出て彼らの応対をしないと。私は窓から視線を外した。ぎしぎし鳴る階段を丁寧に降り、爪先立ちでドアに走り寄り外に出た。

「あ」

短い声をあげてフランがばつの悪そうな表情で私をじっとりと見た。先にフランが出迎えていた。その視線に、おはよう、と適当に返すと彼の奥の男たちに目を差し向ける。この前と同じ服だ。フランは物を覚えるのが苦手だから、親切に同じ格好で来てくれたのか。私はフランの前に立つ。

「おはようございます。こんな朝早くに、うちの弟に何の用でしょう」
「……おいフラン」

銀色の髪の長い男が、鋭い眼光で私の背後にいるフランを射抜いた。私を見ているわけでも無いのにじわりと恐怖を覚える。この人、もしかしたら目で人を殺せるんじゃないか。銀髪の男は今にもがなり出しそうな様子である。対してフランは全く物怖じせず、いつもと同じ調子で返答した。こいつはこいつで何故普通にしていられるのだろう。

「さっきは寝てたんですよー」
「何も言ってねーだろうな」
「しゃべっちゃいましたー」

その言葉に、前髪で目を隠し頭にティアラを乗せた男が僅かに反応を示す。私は殺気というものが分からないから、この男たちが私に向ける微量の殺気に全く気付けないでいた。フランが背後から前に出て、私の少し前に進み出た。この前はどこか大きく見えた体だったが、今はまた小さく映る。だけど少し安心する。

「姉さんしつこいんですよー。毎日訊かれて、流石に疲れましたー」
「う゛ぉおい!あんなに言うなと言っただろうがぁ!」

耳をつんざくような大声に、私は祖母のことも忘れて体を震えさせた。怖い。動けないでいると、フランが私の方に体を向けて「じゃあさようならでーす」とのんびりした声音で言い放った。

「……さようなら?」
「言ったじゃないですかー。死神軍団が迎えに来るって」
「おい、誰が死神だって?」
「いやだわぁー、アタシたち死神なんかじゃないわよ!」

ここでやっと、二ヶ月前にフランと交わした会話を思い出した。確か……フランはマフィアの人たちの所へ行くって言っていた。私ははっとした。

――家出するんだった。

フランの足元を一瞥すれば、なけなしの荷物(と思われる麻袋)が傍らに添えられていた。彼は本気だ。マフィアの話は嘘ではなかった。やはり真実だったのだ。
そうとなると、私の背中に冷たいものが走る。頭が急に冷静な思考に切り替わり、言われたことを高速で理解していった。二ヶ月前の「家を出る」は本当で、フランはマフィアになって、多分もうこの家には戻らなくて、それで、私はこれでフランと会うことは一生に一度も無くなる。

「姉さん、おばあちゃんにもよろしく言っといてくださーい」

この家からフランのものは何一つなくなる。

「おばあちゃんが起きてしまうのでもう行きますねー」

フランは写真をあまり撮りたがらなかったから、うちには写真立ても無い。ということは、フランの姿形が永遠に見られなくなる。

「んじゃあ―…」
「フラン!」

フランの背中に叫んだ。起きがけの何も飲んでいない喉にその大声はこたえた。が、フランの動きは止まる。男たちも、私を見るが何を言うわけでもない。何だかんだ言っても、フランは私の血の繋がった弟。フランが生まれてから今までずっと共に生きてきたのだ。今まさにフランがいなくなってしまうというところで、欲が芽生えて一気に花開かせた。

「いなくなっちゃうなんてやだ、絶対やだ」
「……?」
「まだフランといたい、ねぇフラン」
「……姉さん、まさか」
「フラン……!」

わっと声を上げ泣いた。祖母が起きようが起きまいが、そんなことは関係ない、私はフランに行って欲しくないだけ。ただそれだけの思いで此処に立っている。
とにかくその場でひたすら泣きじゃくった。男たちも驚いただろう、子供でもないのにこんなに大泣きする女はそうそういないから。フランだけが心底面倒くさそうな顔で私を不愉快そうに見ている。男たちがフランに尋ねる。

「君の姉さんはどうなってるんだい」
「さっきのしっかりした印象とは大違いだ……」
「あー……。姉さんは泣くと子供みたいになるんですよー」
「は?」
「フラン!」

駆け寄ってフランを抱きしめる。そして腕の力を強くして離さない。フランはそんな私をより一層疎ましく思って、やめてくださーいと私の手を軽く叩く。

「ミー行かなきゃいけないんですって」
「いやだ!行かないで!」
「そう言われてもー」
「……フラン」
「分かってますよースクアーロ先輩」

一瞬のことだった。私の腕の中にいたフランが消え、私は空中を抱いて手を交差させた。抱きしめていた筈のフランがいなくなった。あまりの驚きに涙も止まり、泣き声も止んだ。

「姉さん」

前から声がして顔を上げる。「また会いましょうねー」男たちの輪の中にフランがいる。やばい、自然とその単語が頭に浮かび、反射的にフランの名前を呼ぼうと思ったらフランと男たちが瞬時に消えてしまった。

何が起きた?

呆然としてしまってそこから全く動けずにいると、家のドアが開いて祖母が私のことを呼んだ。






フランはいなくなってしまった。祖母には本当の理由を言わなかった。というか、そこはフランがちゃんと工作をしていて、“しばらく旅に出ます”と書いた置き手紙一枚を、祖母に託していった。あの時も今も、何も考えずともそれは明らかに不自然なことで、やはりフランの考えていることは分からないなどと嘆息を漏らすしかない。心配性な祖母は町に出て警察に捜索を頼もうとしたが、私の必死な説得によりそれは叶わなかった。仮に、もし捜索することになっていたとしても、恐らく尻尾すら掴めないか、あるいはそのヴァリアーという組織が陰で捜索活動自体を揉み消すかのどちらかだと思われた。
私もそれ以来、フランは旅に出たのだと思うことにした。その方が気が楽だし、あの日の朝に知らない男たちの前で大泣きした恥ずかしい出来事も忘れられると考えたのだ。そうしてしばらくの間は何事も無く普通に生活をした。

しかし、その二年後に祖母は庭作業中に倒れ、フラン同様帰らぬ人となった。
近所の人に手伝ってもらい、何とか祖母の葬儀を終えた。それからはろくに食事も摂らず、悲しみに暮れる日々を過ごした。

ちょうどその頃からだ、あまり見かけない男たちが私の家の周りをうろつき始めたのは。

初めは歯牙にもかけなかった。私自身、自分のことで精一杯で、祖母の残した美しい庭の手入れを怠らないことに必死だったからだ。つまり周りが見えていなかったと言える。数週間経つと漸く落ち着きを取り戻し、そこでやっと彼らの存在を気に掛けるようになった。スーツを着ていて、どこからどう見ても余所者である。一日中見られている時もあって、一人暮らしになっただけに、形容し難い不安が募っていった。
ある日、私がいつものように庭仕事を終え、夕食の支度をしていると、誰かがドアを叩く音がした。来客などとても珍しいことで、野菜を洗っていた手を拭くのもそぞろに、相手が誰かもよく確認せずにドアを開けた。

「はい―…」

視界に入った黒で誰かが分かった。私の中で警戒音が鳴り響く。年はそんなに若くなく、かといって人の良さそうな老人でもなかった。

「何か?」

男は控えめに開けたドアに手を掛け、私の抵抗など物ともせず力任せに開ききった。男がもう一人視界に入る。スーツ姿の男が二人、悪い予感しかしなかった。
突然、ドアを無理矢理開けた男が私の腕を掴んだ。とても力強くて、一瞬にして体ごと外に出される。離してと叫んでも、屈強な体つきの男は私を引きずっていく。前方に車が見えると、もう考えられることは一つだった。

「助けて!」

殆ど金切り声に近い叫び声で近所に助けを求めるも、聞こえていないのか出てくる気配は無い。もう一度叫ぼうと思っても、男の手が私の口を覆いそれをするのは不可能だった。

(誘拐される!)

この男はフランをスカウトした組織の人間なのか。マフィアがこんなに怖いなんて想像つかなかった。フランを連れて行った人たちは、そんなに怖そうではなかったのに。それも私の見方が甘かっただけだった。
私はこのまま連れ去られるのかもしれない。家が段々遠くなる。視界もぼやけて、涙で家の輪郭が滲んだ。






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オリジナル要素強くてすみません。


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