邸内は緊迫した雰囲気に包まれていた。

「あー腹減ったー」

……この男を除いて。






私のたった一人の弟であるフランは、祖母に預けられて一年と経たずにヴァリアーにスカウトされた。子供時代の“ある時”に開花した高い幻術能力を見入られ、ヴァリアー幹部が直々に家までやって来た時は、家の中から見ても十分に大きな男たちにとてつもない迫力を感じ、非常に驚いたのを覚えている(フランから話を聞くまでは彼らの正体を全く知らなかった)。裏社会、つまりマフィアの世界に通じていたわけではなかったが、当時私は祖母の元へ引っ越す前、友人からある噂を聞かされていた。

マフィアの世界では、ボンゴレの名を知らない人はいない。ボンゴレはマフィアの中でも特に歴史の古いマフィアで、その組織に属する暗殺部隊ヴァリアーは、任務成功率がほぼ百パーセントといった危険集団だ。男でも女でも、夜道を歩いていたら彼らに狙われて殺されてしまうらしい。

今思えば、友人から聞いたその話はかなり正確な情報を含んだ噂であった。しかし、猜疑心の強かった私は友人の噂を鵜呑みにはせず、話半分に相槌を打っているだけだった。
男たちがやって来たその日の夜、下着まで濡らしたフランが足取りも覚束ない様子で帰ってきた。心配する祖母の見ていないところで表情に影を落とす彼を見、何かあったと確信した私が彼をしつこく問いただした。最初の一ヶ月(一ヶ月もかかった!)は、はぐらかしたり嘘をついたりして私からずっと逃げていたフランだが、毎日毎日同じことを聞かれて流石に疲れたのか、「あなたが実の姉だから言いますけどねー」とあっさり隠し事を切り出した。
内容は衝撃的なものだった。

「ミー死にます」






「フラン!あんたがまたベルを挑発するからでしょ!」
「挑発ではないですよー。ちゃんと“ケンカしましょう”って申し込みしました」
「じゃあ二人で外で喧嘩しなさい!私たちまで巻き込まないで!」

私は使用人たちと仕事に励んでいたのでよくは分からないが、朝の食事の時には既に険悪なムードだったようだ。フラン曰わく、ベルがフランのスープに唾を吐いたので、仕返しに口に含んだコップの水をベルの顔に思い切り吹きかけてやったら、ベルが「やるか?」と訊いてきたので「はい、ケンカしましょー」と返事をしたらしい。その答えを皮切りに、ベルがすっかり暗殺モードになってしまった。邸内で擦れ違う人に怪我を負わせながらフランを追いかけるベルを目撃した時、急に眼前に現れたフランが私を巻き込み逃げ始め、今に至る。ベルは今、フランの幻覚を追いかけている。

「今日はマリアナと街へ出る予定だったのに」
「あー、ミーマリアナ知ってますよー。この間任務から帰ったミーたちを迎えに来て、ベルセンパイにナイフ投げられたバカな使用人ですよねー」
「フラン」
「すみませんってー。もう言いませんから」

毒舌というよりは愚かに近い。怒られるのを知っていてこう言ったことを言うものだから、私もすっかり怒りっぽくなってしまった。ボスやスクアーロ、ルッスーリアには怒れないが、ベルやフランにはしょっちゅう怒鳴っている。ここに来た初めの時は、こんなことが出来るようになるとは微塵も考えられなかった。






死にます、と突然言われても何の反応も出来ない。フランはいつもと変わらない顔、テンションで、手のひらに麦を乗せて小鳥にそれを与える。
死ぬ、って何で?どうして死ぬなんて断言してるの?

「姉さんでもやっぱり理解出来ないみたいですねー」

いつもなら、細い小さな体で大きな麦束を両手に抱える姿が滑稽に見えたのだが、この日は何だか彼の成長を見せつけられた妙な気分になった。

「え、フラン、いつ死ぬの?」
「んーと、あの死神軍団が迎えに来た時」

死神軍団?フランが言葉を付け足す。「覚えてませんかー?一ヶ月前に来たあの荒くれ集団ですよー」あぁ!と私は息を洩らした。その姿なら鮮明に目に焼き付いている。こんなド田舎に、友人のいないフランを尋ねてきたあの変な男たちのことか。確か赤ちゃんがいた記憶があるが。

「あの人たちがフランを迎えに来るの?」
「そうでーす」

だとしてもフランが何故死ななければいけないのか。まさか引っ越す前の土地で何か粗相でもしてきたんではなかろうか。持ち前の猜疑心から、どんどん良くない想像が膨らんでいく。だるそうな顔ながらに私を小馬鹿にした表情のフランが、私の目をじっと見つめた。

「何かまたアホなこと考えてませんかー?」
「フラン、前の場所で何してきたの?」
「ほら来た。違いますよー、死ぬって言ってもこの家出るって意味だけですからー」

ちょっと待った、家を出る?

「今なんて……?」
「あ、言っちゃった。言うなって言われてたけど、まーいいかーあのロン毛さんあんまり怖くなさそうだったし」
「フラン、家を出るってどういうことなの?」
「今のは聞かなかったことに……」

出来るか!と叫んだ。麦を啄んでいた小鳥が、私の声にびっくりして空へと羽ばたく。大して落胆していない様子で、フランは小鳥の去っていく方向を見やる。

「……フラン、あの人たちから来いって脅されたの?」
「まぁそんなとこですかねー」
「じゃあ私がお断りしますって言ってあげる」

フランが私を見た。「無理だと思いますよー」「何でよ」フランが再び麦を手のひらに乗せて、腕を伸ばし口笛を吹く。

「あの人たちマフィアだから」

……え?

「マフィア?」
「ボンゴレって名前のファミリーの中の、“ヴァリアー”っていう組織の人たちなんだってー」

友人から聞いた噂が頭に浮かぶ。

――マフィアの世界では、ボンゴレの名を知らない人はいない。ボンゴレはマフィアの中でも特に歴史の古いマフィアで、その組織に属する暗殺部隊ヴァリアーは、任務成功率がほぼ百パーセントといった危険集団だ。男でも女でも、夜道を歩いていたら彼らに狙われて殺されてしまうらしい――

そんな集団が、うちのフランに来いと?
この時私は、フランの話を完全に嘘だと思っていた。実際、フランは私にも祖母にもよく嘘をついたものだから、私の判断は正しかったと思う。しかし、フランの話に初めて偽りでないと確信を持てたのは、その話をした二ヶ月後だった。






ベルに見つかってしまうからと、身を潜めていたその場を離れ移動しようとした瞬間、私とフランの僅かな間を、鋭く光るナイフが切り裂いた。驚いて後ろに引き下がると、すぐ側でフランとは違う声がする。

「見ぃーつけた」

「ベっ……」振り返って名前を言おうとしたが、ベルに腕を掴まれ自身の背中に押しつけられる。捻れた痛みで顔が歪んだ。フランは別段焦りもせず、ベルに間抜けた面を向けている。と、目の端に恐ろしい物を視認した。
頬に触れるか触れないかの距離で沈黙するナイフだ。

「おいフラン、さっさと謝んねーとお前の姉貴サボテンにするぜ」
「えっ?うそ、やだ」
「嘘じゃねーよ」

ここに来てから未だ、ヴァリアーの本気と冗談の区別が付けられない。この状況のベルは本気だろうか、おふざけだろうか。しかしベルは無邪気な残虐さを生来持ち合わせていると、長年ヴァリアーに仕えてきたマリアナたち使用人はいう、今回も分からない。フランに救いを求める視線を送るが、彼の態度を一見して、心の奥底に微小の絶望感が芽生えた。

「サボテンですかー。それは痛いですねー」
「フ、フラン、謝って」
「でもなー、謝りたくはないんだよなー」
「しししっ、んじゃあ……」
「フラン!早く!」
「ちぇー」

カエルの被り物が乱暴にお辞儀をした。「すいませんでしたー」……謝った。ベルはしばらくフランを見詰めると、ナイフを仕舞い私を解放した。私は全身に疲れを感じ、その場でへなへなと座り込む。久しぶりに感じた身の危険と死の恐怖に、すっかり足の力を失ってしまったのだ。フランは頭を下げたままだ。

「さっき先輩に止められたし、今回はこれで特別に許してやるよ」

だが、と背中越しにベルは続ける。

「次やったら、誰に止められても殺す。かもな」

足音が聞こえないくらいまでベルが遠くに行ってしまった後、黙って頭を下げていたフランが、粉末化してさらさらと消え始めた。急に私は腹が立ってフランの名前を叫ぶ。すると、私の隣に突然フランが姿を現し、ベルの去っていった方向を見つめて溜め息をついた。

「全く、大人気ないにも程がありますよねー」
「バカ弟!」
「ゲロッ。痛いです姉さん」

フランの体を平手で思い切り叩く。被り物さながら、カエルのような声を出したフランに、私は一気に捲し立てた。

「姉が命の危険に晒されているというのに謝るのが嫌だと言う奴がいるの!」
「でもあれは幻覚だったんで……」
「幻覚でもあんたの助けが遅かったらサボテンになってたのよ!幸い、あんたの心のこもってないお辞儀で許してくれたからいいけれど」

頭の中では、ナイフが全身に突き刺さり血まみれで死んでいる自分の姿が容易に想像出来る。「それに、次は殺すって宣言されちゃったじゃない!私はどうすればいいの……」「あーあれは多分ミーにだと思いますよー」……だったらいいのか愚弟は!
つくづく馬鹿な男だと思う。何を考えているのかも分からないので、上手く彼に寄り添うことが出来ない。思えば昔からそうだった。いつも本音を言わず、私の詰問をすり抜けていってしまう。本音を言うのは、空腹と眠気を訴える時だけ。気づいたら、語尾を伸ばす変な口癖まで身についていた。






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過去話とか好きなんです。


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