前から奥村くんは怪しいなあとは思っていたけど、まさか 「お、おい…?」 まさかここまでとは。 「あ…あのすいませんでしたここで見たことは絶対誰にも言いませんからほんとあのごめんなさい失礼しましたお大事に!」 興奮、または驚愕からの呂律からか、早口にそう述べると震える足をなんとか動かして体を一八〇度回転させて、出口(つまり今来た道)まで懸命に走りだした。後ろで奥村くんの声が聞こえる。私の名前を呼ぶ声。怒っている感じではないけれど、私が確実に悪い。 奥村くんと、彼の弟しか住んでいないことに興味が湧いたからっていって、ここに入らなきゃ良かった。 「なあ、待てって!!」 肩に奥村くんの声が触れた。瞬時に前に進めなくなった。少し強引に引きとめられて、後ろを向かされる。奥の部屋から人のいる気配がする。多分弟だろう。弟も困っているに違いない。私は、見てはいけないものを――見てしまった。 「奥村くん…その」 「……」 しっ、ぽ。そこまで言うのが精一杯だった。奥村くんはとがった犬歯が特徴的だった。それがこういうことだったなんて、信じられないなんて言えない。見たんだから、今更そんな夢事は通じない。奥村くんは、人間じゃなかったんだ。 沈黙に沈んでいた奥村くんが、顔を伏せたまま、ぽそりと蟻のようなボリュームで質問してきた。 「何で来た」 「え、ええと、その…奥村くんと弟さんしか住んでいないところに、興味が……湧いて」 我ながら素直に暴露したと思う。何も嘘はついていない。本当は玄関の辺りで止めようと思ったのだ。だけど、不気味さよりも少しのかび臭さよりも、それを上回ってしまう感情がその時生まれたのだ。奥村くんの部屋はどこだろう。ただそれだけであった。階を上がると、誰かと会話する奥村くんの声、気になってドアに耳をそばだてて中の様子を窺うと、こちらに背を向ける奥村君のズボンから、例のものが。そこで吃驚し、うっかり音を洩らしてしまった。そして逃げようとしたら奥村くんに追いつかれて、今に至る。 「……が」 回想に気を取られていたら、何かを呟いた奥村くんに反応するのが遅くなって、言ったことが聞き取れなかった。「え?」と間抜けに訊き返すと、今度ははっきりと、顔を上げて、(何故か)顔をほんのりと紅潮させて訊かれた。 「どっちが、見たかった!」 「…はい?」 「だ、だから、オレと雪男、どっちが見たくて…ここまで来たんだよ…っていうか」 頬を人差し指でぽりぽりと掻く奥村くんはやっぱり怒っていないらしい。次第に落ち着いてきた私に心の余裕が出来た。奥村くんって、照れ屋さん?緊張しいなのかな。 「奥村くんが見たくて…」 「どっち!!」 「…え、と、燐くん」 「……う、うおわぁぁぁぁ!!」あっと言う間も無く、顔を赤々と火照らせた奥村くんは部屋に一直線に走って行ってしまった。揺れるしっぽがとても面白くて微笑していたら、奥村くんと入れ替わりのように弟が出てきて、こちらへつかつかと歩いてくる。どうやら奥村兄弟は双子ならしいが、弟の生真面目そうな雰囲気から到底そうは思えない。不思議なものだ。 「こんばんは。奥村雪男と言います」 「こ…こんばんは」 「もう夜も更けているので送ります」 「ありがとうございます」 「兄のアレ、秘密にしてください。見つかると色々面倒なことになるんで」柔らかな物腰だ。口調といい雰囲気といい、本当に似ていない。けして口外しないことを約束し、雪男くんの言葉に甘えて私はここで帰ることにした。 discover 「送ってきたよ」 「……おう」 ベッドで膝を抱えて縮こまる兄さんの姿を見て軽い溜め息を吐く。尻尾も、今はだらりと力なくシーツに寝そべっている。本当に自分の感情に素直な兄だ。 「嬉しかったんならそう言えばいいのに」 「い、言えるか!」 「名前呼ばれたくらいでそんなに顔赤くして」 「!てっ、てめえ雪男!聞いてたな!!」 呆れてしまって口にする気もないが、眉尻を吊り上げ目をむいて僕に喚く兄さんに一言言いたい。 (―…その饒舌を彼女の前でも出せたらいいのになあ) |