胃の中の蛙




 世の中には、クールぶってるビビリがいる


 午後、茜色の日差しが差し込む図書室に俺は居た。
 締め切られた窓の外から部活に励む部員達の声がかすかに聞こえるが、図書室の中は心地よい静けさで満たされていた。片手で足りる程の人数しかいない、放課後の図書室の雰囲気が俺は好きだ。なんというか、一日の喧騒の中で唯一心が休まる瞬間であり心のオアシス、みたいな。
 けれどもここ最近そんな俺のオアシスを破壊しようとしてくる奴がいる。
 その奴とは、

 「やっほーい。えいちゃーん、愛しのダーリンがお迎えにきてあげたよ〜」

 「…煩い。静かにしろ。そして消えろ」

 静けさをものの見事にぶち壊して登場したのは今もっとも俺が嫌っている、例の奴。赤く染められた髪が夕陽とまざって深い紅にきらめいている…。これだけで分かるかもしれないが、一応言っておこう。そう、俺の嫌うコイツは俗に言う「不良」くんだ。それも俺と同じクラスときている。実に最悪だ。不良で煩くてイケメンでバカで、うん。実に最悪だ。

 「キャー。えいちゃんひっどぉーい」

 「地に還れ」

 「え?血祭り?うーわー!えいちゃんカゲキ〜」

 「……」

 何度辛辣に当たろうとも、こうしてへラリと笑ってかわすばかりで俺につきまとのをやめてくれない。何がそんなに楽しいのか、ここ最近ずっと俺のところに来ては意味のわからない事をのたまうコイツの行動の意味が全く理解出来ない。暇なのか?俺につきまとう位暇なのなら、是非とも他の人間の所にいってほしい。と思う。いっそのこと俺の目の前からいなくなってくれないかな。今すぐに。
 そうじゃないといろいろと俺の何かが持ちそうにないのだ。
 だって、なぜなら。

 「まぁ、でも、相手を血祭りにあげるカイカンはたまんないよねぇ〜?」

 「…ッ。そんなの、知らない」

 「あ、そうか。えいちゃんは俺と違って『おりこうさん』だもんね」

 なんて笑うコイツが、俺は怖くて仕方が無いのだ。
 口では強く言っていても、内心では不良であるコイツにビビリっぱなしなのである。
 その異様な髪の色だとか、まとうオーラだとか、いつもはへラリとしているくせに時折見せる鋭い視線だとか、とにかくいろんなモノが俺を刺激して震え上がらせる。
 だけど俺は変なプライドからビビリな自分を他人に知られたくなくてクールという仮面を被っていた。どんなに怖くても素知らぬ顔を装い、どんなに逃げだしたくてもクールにまとめたりしてきた。でも今まではその場の一瞬を我慢すれば良かった。どんなに怖くても逃げ出したくてもその場を持ちこたえられれば、それで終わりだったのだが、コイツの場合はそうじゃない。
 神出鬼没に現れては姿を消し、優しいのかと思えば怖くて。馬鹿なのかと思えばこちらが驚く程の策士で狡猾。
 そしてなにより喧嘩が半端なく強い。
 そんな奴が毎日毎日つきまとってくるのだから恐怖以外の何物でもない。
 最初コイツに話しかけられた時は目を開けたまま気を失いそうになった。ポーカーフェイスを浮かべながらも内心では逃げだしたくてしょうがなくて…でもそれが出来なくて泣きそうだった。泣かなかったけど。
 何ヶ月かたった今だって、あの頃よりはマシになったがやっぱり恐怖は拭い去れないでいる。

 「ホントーにえいちゃんは辛口だよね」

 いささかトリップしていた思考がアイツの声で引き戻される。ビビリながらも気だるさを装ってそちらを向けば楽しげに笑うアイツと目が合った。
 もうやだ。怖すぎて俺死ぬ。

 「うるさ、」

 「でも。…もう一人のえいちゃんはどう思ってるのかなぁ?」

 「……え?」

 うるさい。と言おうとすれば遮られて、代わりに紡がれた言葉に俺の動きが止まる。
 もう一人の、えいちゃん…?
 聞き捨てならないワードに体中の血液がザーッとひいていく。
 え?もしかして…でも、そんなわけ…
 とっさに行き着いてしまった考えにありえないと目を見開く。ポーカーフェイスを繕っているひまもなかった。
 ただただ信じられない思いで目の前にいる人物を凝視する。

 「あれ?もしかしてバレてないと思ってた?」

 「…ッ」

 「はは。そーいうトコマジで可愛いよねぇ」

 食べちゃいたくなっちゃう。

 クスリと笑いながら距離を詰めてくるアイツに、言葉にならない恐怖が足元から這い上がってくる。狭まる距離から逃げたいのに、根が張ったように足が動かなかった。
 こちらを見つめるアイツの瞳が妖しい色を帯びてきらめく。蛇のようにねっとりと熱を孕んだ瞳が、ついには見上げればすぐそこにまできて、俺は人知れず息を呑んだ。

 「ねぇ、えいちゃん」

 「…やっ」

 為す術もなくカタカタと震える俺を愛しげにその瞳に映すアイツの冷たい手が頬に伸びてきて短く声を上げるが、その手はかまうことなく俺の顎をすくめとる。
 クイっと上を向かされ強制的にあの瞳を見ることになり、俺は愕然とした。目にしたアイツの色は想像以上に苛烈で、耳のすぐそばにあるのではないかと錯覚するほど煩く鳴る心臓がより一層俺の恐怖心を煽る。

 「…本当のえいちゃんを俺に見せてよ」

 そう言って綺麗に綺麗に微笑むアイツ。
顔は笑っているくせにその目は俺を戒め絡め取り一切の抵抗を奪い去って行く。
 逃げ出すことも、声を出すことも出来ない俺へとなおもアイツは囁いた。

 「そしたら一生愛して離さないって誓ってあげる」

 歌うように囁かれたそれは、誓いと呼ぶには歪な音を奏でていた。




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