仁義なき姫始め



 新年までを数えるカウントダウン。
 盛り上がるテレビの中の声と、それに重ねるように聞こえてくる間の抜けた声に、じーっと声の主を睨めつけるように見つめる俺の緊張は高まっていく。

 「さーん、にー、いーち、」

 そんな俺の緊張など歯牙にも掛けない呑気な声はついに残り一秒を数えて、俺の心臓は今にも爆発してしまいそうだった。

 「明けましておめでとう、健太。今年もよろしくな」

 そんなセリフと向けられる変わらない大好きな笑みに今年もこの最愛と共に過ごせる幸福を噛み締める。
 あぁ、よかった。本当に、よかった。新しい年を迎えた今でも、お前が俺の隣にいる。俺を籠絡したその笑顔をまだ向けてくれる。甘い、甘い声で俺の名前を、呼んでくれる。
 そんな些細な事が嬉しくて、顔だって今にもにやけついてしまいそうなほどなのに、俺の口が紡ぐのはいつだって正反対の言葉ばかり。

 「…別に、お前となんかよろしくしたくないし。今日だってたまたま実家に帰らないから、一緒にいるだけだし」

 なんて全部嘘。
 本当はお前とずっと一緒にいたいし、お前と今年を迎えたくて実家には帰らなかった。
 だけど気恥ずかしさが先立って、どうしても素直にそれを言うことが出来なかった。いつもいつもそんな思いとは裏腹な、自分でも可愛くないなと思うセリフが口を出てしまう自分に何度呆れたことか。

 「そうなのか?でもたまたまでも健太と一緒にいれて嬉しいよ」

 「…あっそ」

 そう返しつつもお前が優しく笑ってくれる度、『あぁ、まだ大丈夫だ』と安心している自分がいる。
 まだお前はこんな俺に愛想を尽かさないでいてくれると、その笑顔を見る度思っては胸をなでおろして。
そんな不安に苛まれるくらいなら素直に一緒に居たかったと言えばいいのに、でもやっぱり言えなくていつお前に捨てられてしまうかとビクビクしてるんだ。
 好きになったのも告白してきたのもお前だけど、今では俺だってちゃんとお前の事が好きだし。きっとその好きの比重は俺の方が重くなってるし、離れたくないって思っている。俺に向けられる笑顔や優しさが他の人のものになるなんて考えただけで死にたくなるくらいには。

 「あ。そうだ。年越しそば食べるか?」

 「まずかったら食わないからな」

 「うーん。味の保証はできかねるな。…あー。でも、俺の愛はたっぷりだぞ。なんてな」

 「! 気持ち悪いこと言うな馬鹿!」

 「ははは。そんなに照れるなって」

 「照れてない!!」

 冗談めかして言われた言葉に顔が熱くなる。馬鹿みたいに心臓も暴れ出して体の奥底から湧き上がってくる嬉しさのままその体に抱きつきたくなるけど、そんなこと出来るはずもなくそっぽを向いてしまう俺。
 そんな俺を愛おしいと語る目でお前が見ていることを横目で確認しながら、これではいけないと年を越す前にした決意を思い出しそっと拳を握った。
 いくら惚れた方が負けと言えど、このままでは愛想をつかされてしまうのは目に見えている。こんな、口を開くたびに憎まれ口しか叩かないやつなんて、俺だったらたとえ惚れていたとしても願い下げだ。恋は盲目なんて言葉もあるけれど、盲目であれるのは最初の僅かな期間だけだ。それを過ぎれば恋の魔法からさめて見えていなかった嫌な部分が見えてくるだろう。そして愛しかったはずの人が普通の人に見えて、どうして自分がその人を好きだったのかと疑問に思うんだ。
 魔法が解けた人間はどうなるか。そんなの簡単だ。恋から覚めた人間は、次の恋を求める。それまでの恋だったものを置き去りにして、新しい恋を見つける。魔法を現実に変えられなければ、そこで全ては終わってしまう。恋人だった二人は、ただの二人になる。俺はそうなってしまうのが、怖いのだ。いつか恋から覚めて、お前が俺から離れていってしまうことが、ひどく恐ろしい。
 だから、

 (決めたんだ…)

 キッチンへと消えていきそうになる背中を見つめて俺は決意をあらたにする。
 お前が素直じゃない俺に愛想を尽かして、恋から覚めてしまう前に、
ただの二人になってしまわないように、
 その魔法を現実にするって。
 …その為なら恥ずかしくても頑張るって。
 お前を失ってしまうくらいなら、俺のちっぽけなプライドなんて捨ててやる。
 だって本当は来年も、再来年も、その来年も、俺はお前と一緒にいたいから。

 「た、威!」

 「うお?!」

 キッチンに消えていきそうだった威の腕を思いっきり引っ張れば、威が驚いた声を上げる。でも俺はそんな威を気にする余裕もなくその腕を引いてずんずんとベッドの方へと歩いていく。威の腕を掴んだ手から威の体温が伝わってきて、もうなにがなんだか分からなくなってきた。

 「いきなりどうしたんだ?健太」

 「……」

 腕を引かれながら不思議そうに聞いてくる威に答える事なく俺はベッドの前までくると、思いっきり背中からベッドへとダイブした。もちろん威の手は掴んだままなので、必然的に威も俺の上へと倒れてくる形になる。倒れた衝撃で、口から心臓が出て行ってしまうかと思った。なんてアホみたいなことを考えてないと緊張にぶっ倒れそうだった。

 「け、健太?」

 焦った声で威が呼ぶ。
 俺を見下ろす男らしい顔が、困惑に歪んでいる。いつもなら「変な顔してんじゃねーよ」と可愛げなく言い返すところなのだが、なにぶん今の俺は緊張の真っ只中にいてそれどころじゃなかった。
 顔は熱いし、心臓は馬鹿みたいに煩いし、重度の緊張に声は出ないし、手なんて情けなく震えている。
今からする、自分らしくない事にお前が呆れてしまうんじゃないかと思うと怖くて逃げ出したくて仕方ない。

 (でもそれだと、何も変わらない)

 魔法を魔法のままで終わらせて、たまるものか。
 そんな思いだけが、逃げ出しそうになる俺の背中を押してくれる。黙ってるだけじゃ何も欲しいものは手に入らない。ちゃんと言葉にして、行動に移さなければ欲しいものは欲しいもののままで、他の誰かのモノになってしまうから。
 お前が他の誰かのものになるなんて、緊張死してでもとめてやる。

 「……年越したっ」

 「え?」

 と意気込んだものの威の目を見ることはできなかった。それでもなんとか震える手を威の肩に添えてそう言えば、脈絡がありそうでない俺の言葉に首を傾げる威。
 それを気配で感じながら目線は下にしたまま、俺は何度か深呼吸を繰り返して言葉を吐き出した。

 「年越した、から…っ」

 一文字、一文字、言葉を発するたび増していく恥ずかしさに泣きたくなる。

 「だからっ、えっと、」

 「ゆっくりでいいよ、健太」

 「っ!」

 上手く言葉を綴れなくて拳を握りしめる俺に優しい声がふりかけられる。恥ずかしくて怖くて逃げ出したくてぐちゃぐちゃだった俺を導くような優しい声に伏せていた視線をあげれば声音同様優しい顔した威が居て、なんでか上手く息をすることが出来なかった。酸素を求めるように何度も口を開いては閉じるを繰り返す俺の額に降ってくる威の唇を甘受しながら、俺は先ほどよりも楽な気分で言葉を口にする。

 「…好きにしていい、から」

 「え?」

 上ずる息のまま告げた。
声と言うにはか細すぎる音で告げたそれは上手く威の鼓膜を揺らせなかったようで、不思議そうに聞き返してくる威の首に腕を回して今一度その耳元へと羞恥で震える声で告げた。

 「ひ、ひめはじめ、するぞ…!」

 瞬間、息をのむ威。
 俺の発した言葉に威の体が一瞬にして緊張するのを感じながら、その首元に顔をうずめる。
 大きく息を吸い込むたび威の匂いが鼻腔に流れ込み、いよいよ俺の緊張はピークに達して行く。
 普段は絶対に俺からそういった誘いをしないからどんな反応が返ってくるのか予想がつかず不安でたまらない。らしくないと鼻で笑われたらどうしよう。淫乱だと罵られたらどうしよう。そんな良くない考えばかりが頭に浮かぶ。もしこの一言のせいで、これから続くはずだった威との日々が無くなってしまったらーーー。
 けれどもそれらは俺の杞憂だったらしく。最悪の未来を想像して震える俺の耳朶を揺らしたのは、いつになく感情を剥き出しにした威の声だった。

 「…ごめん健太。今日は俺、手加減出来ないかも」

 いつだって余裕をもって俺をリードしてくれる威の声が今にも襲いかからんとしている自分を抑えるかのように震えている。その事実に俺は自分の言った言葉が間違いではなかったのだと知る。恥ずかしさを我慢して言った事で、これからの威との未来を守れた。それが嬉しくて嬉しくて、嬉しいのになんでか涙が溢れた。うずめていた首元から顔をあげ、滲んでいく視界の中に威をおさめる。
 その、余裕を無くした顔に胸が暖かくなるのを感じながら俺は笑う。

 「べつに、いい」


 だって俺の心も体もとっくの昔にお前のモノだからーーー。

 なんて言葉は荒々しいキスに飲み込まれて、消えた。








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