の君

ーーーーーー 『守る君と、壊す僕』




 「げ。筆箱に入れる時は向き揃えろって言ってんだろうが。なんで一本だけ違う方向向いてんだよ。マジでありえねぇんだけど」
 「あー。ごめんごめん。ついうっかり」
 「ついうっかりで俺はこんな不快感に襲われないといけねぇとかふざけんな。脳天からシャーペンぶっさすぞ」

 あー。不快度指数MAXだわ、今。
 そう言っていそいそと一本だけ向きの違うシャーペンを正す男の格好は第二ボタンまで開けられたシャツに、ネクタイは無着用、シャツの裾はズボンから顔を覗かせているし、上履きは履き潰されて踵はぺちゃんこと、だらしない。なのに筆箱の中のペンの向き一つでプンスカ怒るのだから変なところで神経質というかなんというか。変なところで几帳面な人間がいることは知っていたが、まさかこんな近くに存在していたとは…と毎度このやりとりをする度思う俺なのである。

 「なんだよー。お前そんなにだらしない格好してるのにペンの向きは気にするとか本当に意味わからん奴だなー」
 「るせぇ。これはファッションであってちゃんと秩序が存在してんだよ。でもな、お前がやったこれは違う。これは俺の中の秩序を無視した行動だ。だから俺はお前の脳天にシャーペンをぶっさす」
 「…は?いやいや。脳天からシャーペンぶっさされたら困る!これ以上頭の中の大切ななにかが流れ出ちまうのは困る!この間のテストも赤点ばっかでやばかったのに!ていうか!秩序って!ぷぷ!その格好で秩序って!」
 
 男から吐き出されたセリフに俺は脳天をぶっさされる危険も忘れ思わず吹き出してしまう。だってこんな世間一般からすればだらけきった格好が、秩序を持っているなんてお笑いものだし、なによりこの秩序とは程遠い人間の口からそんな言葉が出てきた事がおかしくてたまらない。教育方針という大きな秩序からそれにそれまくった男の格好のどこに、彼の言うところの秩序が存在するのか甚だ疑問である。
 
 「赤点取るのはお前の頭がアホすぎるからだろうが。ってお前!シャーペンだけでも飽き足らず消しゴムの向きまで逆じゃねえか!」
 「ぎゃははは!消しゴムの向きまで決まってんのかよ!」

 どうやら男は消しゴムの向きまで決めていたらしく、逆向きに入れていた俺に牙をむいて怒ってくる。(もしこの向き云々が俺の故意的なものだと男が知ったら火を吹くほどの勢いで怒るのだろうか)

 「くっそ。マジでありえねぇ。マジでありえねぇ。何度言ってもなおらねぇとかお前の頭は鳥頭以下だな。いや、それだと鳥に申し訳ないな」
 「大切な事なので二度言ってみましたー!てか鳥以下とか酷いなー。ちゃんと覚えてたっての」
 「あ?」
 「あ」

 せっかく親から授かった格好良い顔を歪ませる男を慰めるべく言ったセリフで、男が般若のような顔をして睨んでくる。それに俺もついうっかりバラしてしまった事実に気がついて、てへぺろと舌をだして可愛くごまかしてみるのだが、それだけでは男の怒りは収まらなかったらしい。

 「お前、まさか、覚えてるのに、わざと、やってたのか」

 一句一句噛み砕くように区切りながら般若顔が近づいてくる。
整った顔をしている奴の般若顔はなかなかに迫力があるな。と他人事のように思いながら俺はてへぺろ第二弾を繰り出した。このタイミングでてへぺろが意味するのはただ一つだ。男もそれを正しく理解したらしくより一層の凶悪面を浮かべた。

 「天誅!!」
 「!!いっでぇぇぇぇえ!!」
 「ふん。自分の罪を悔い改めろ」
 「おまっ!いま全力で下痢ツボ押しただろ?!下痢になったらどうしてくれる!」
 「聞く耳持たん」
 「キェェェェェェ!!」

 俺のデリケートな下痢ツボめがけて勢い良く振り落とされた男の指に反論すれば耳を塞いでそっぽを向かれ、堪らずキチガイみたいな声をあげてしまう。あぁ、今が放課後の誰も居ない教室で良かった。もしこんな姿をクラスメイトの誰かに見られたらあまりの恥ずかしさに登校拒否になってしまいそうだからな。

 「ェェェえぼっ、ごほっ!」
 「…奇声を発したかと思えばむせるとか、お前は馬鹿だな」
 「げぼっ、だ、断定すんなっ!おぅえっ!」

 馬鹿と言われて黙っていられるかと言い返すも、大分格好のつかない切り返しになってしまった。あかん。これ完璧に変なところに空気入った。誘発されるみたいに咳が止まらん。ちくしょう、今の俺は咳の地雷原だぜ。なんて馬鹿丸出しな事を考えていれば、そろりと男の手が背中に伸びてきて優しく上下する。

 「お前、マジで大丈夫か?」
 「おうっふ、おーげーっ!だいっじょぶふんっ!」

 斬新な俺の返答に何も大丈夫じゃねぇじゃねえかよと呆れ返った声が落とされる。
 何を言ってるんだ俺はすこぶる健康体だとプルプルと右手の親指を立てるも、男は少し待ってろと残して教室を出て行ってしまった。その際にその手に握られた財布にもしかして飲み物でも買ってきてくれるのだろうかと思って引きとめようとした声は新たな咳によって止められ、止めようと右手を伸ばした状態で残される俺。
 さっきまであんなに不機嫌だったのに、自分のせいで噎せてしまった俺の為に飲み物買いに行ってくれるとかなにそれイケメン。ちょっと皆さん、俺の前にイケメン降臨しましたよ。

 「…げぼんっ。あ、止まった」

 男が教室を出て行った数秒後、そんな咳を最後に俺の体は普通の呼吸を取り戻した。あいつが出て行った後にすぐおさまるとか、もっと空気読めよな俺の体。止まるならもうちょい早く止まろうぜ。でもまぁ止まってしまったものは仕方が無いし、あいつが出て行ってしまったのも仕方が無いので大人しく帰りを待つとしよう。

 「あいつなに買ってきてくれるのかなー。もし炭酸買ってきたらどうしよう。俺の喉炭酸に耐え切れるかな」

 おのずと独り言になってしまうのはしょうがないだろう。だって唯一の話し相手は今は一階にある自動販売機まで行っているはずなので、戻ってくるにはもう少しかかるだろうし。

 「…あー、そうだ。実験をしてみよう」
 
 そうだ。暇つぶしに実験をしよう。
 先ほど男が綺麗に並べ直していた筆箱を開けて、油性ペンとちょっと高そうなシルバーのシャーペンを取り出す。きゅぽん。油性ペンの細文字の方の蓋を開けて、きゅっきゅっ。シルバーのシャーペンに書き込む二文字。

 「よし。かーけた」

 にししと笑って二文字を書き込んだシャーペンを元の筆箱に、でも向きはそれだけ逆にして蓋を閉める。
 きっとあいつが帰ってきたらすぐに帰宅するだろうから、男が筆箱を開けるのは家に着いてからになるだろう。その時あいつはどんな反応をするのだろうか。多分一番最初はさっきみたいに般若顔で怒るだろう、そして書き込まれた文字に気がついて首を傾げるかもしれないし、気がつかないかもしれない。

 「いや、絶対に気がつくなあいつなら」

 たかが一本、シャーペンの向きが違うことに気がついて怒るような男がそこに書かれた文字に気がつかないはずがない。
 そうして、気がついて、その文字を読んだ時、男の表情がどう変わるのか。

 「あー、楽しみだなー」

 筆箱の中の秩序を壊された時浮かべたのは般若顏だった。
 なら、筆箱の中だけど違う意味で壊した秩序には、どんな顔を浮かべるのか。

 「むふふ。早く明日にならないかなー」

 そして実験の結果を、はやく俺に教えてくれよ。
 どんな結果になるのか楽しみで楽しみで鼻歌が止まらない。結局、男がその手に炭酸ではなく水を持って現れ冷たい眼差しを向けるまで俺の鼻歌は止まらなかった。


 「お前…マジで馬鹿だな」
 「かもなー」

 差し出された水を受け取りつつ珍しく否定もせず肯定する俺に男が不思議そうに首を傾げている。なんだか楽しみすぎてテンションがおかしくなっている俺はそれすらも面白くて、押し出されるようににししと笑いがもれる。
 男は、それ以上何かを言うことなくただひとつため息だけを落として帰り支度を始めた。一番最初にバックにしまわれた筆箱に、心の中でバイバイと手をふって、俺も同じく帰り支度を始める。

 バイバイ。また明日。

 壊された秩序が、明日になってどんな変化を齎すのか考えるだけでやはり楽しくて、俺はふはっと吐息のように、笑った。










 『好き』
 
 果たしてその二文字がどんな結果をうんだのか、それを知るのは次の日なんとも言えない複雑な顔で朝家に迎えに来たあいつと俺だけで、そしてそれは俺達二人だけの、秘密だ。



End


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