盲いだ恋
あああ『盲目になった君と、盲目にならなかった僕』
手をかざす。
僕は聞く。
君は答える。
「見える?」
「見えない」
手を揺らす。
僕は聞く。
君は答える。
「見える?」
「見えない」
その瞳を覗き込む。
僕は聞く。
君は、答える。
「…見える?」
「…見えない」
三度の問いにかえるのは同じ答え。
それは僕にとっても、君にとっても、
どうしようもない事実で、
信じたくない現実。
「やっぱり見えないんだ」
「うん。白飛びしたみたいに真っ白だ」
これだと眩しくて仕方がないよ。と笑う君に、果たして僕はうまく笑い返すことができただろうか。
その、綺麗な綺麗な瞳にこれからいろんな景色も人も色も映ることがないなんて、白昼夢のようで信じられないんだ。
もしかしたらこれは夢の中の出来事で、朝起きて目を醒ましたら変わらず君の目は見えていて、僕をとらえて笑ってくれるんじゃないか―――と。
「…ごめん」
「どうして君が謝るんだい?」
「ごめん」
けれどこれは現実なのだ。と僕をとらえない君の視線に思い知らされる。
声の方を頼りに顔を向けてくるけれど、けっして合うことのない視線に僕の中を冷たい風が吹き荒れた。
「…あぁ、お願いだ。そんな顔をしないでくれ」
後悔か、絶望か。
とにかくそんな感情に押しつぶされそうでうつむく僕に、喧嘩をしてへそをまげた僕相手に出すような声で君は言う。
もう君の目には僕の表情なんて見えないはずなのに、一体僕はどんな顔をしていると言うのだろうか。この部屋には鏡が置かれていないので確認する術はなく、僕はそのままを君に聞くことにした。
「そんな顔って、僕は一体どんな顔をしているの?」
僕の言葉に君はこちらを向くけれど、やはりその視線が交わることはない。
ガラス玉のような眼は、何かを映しこもうとキョロキョロ動いているがその瞳が僕をとらえることはもうないのだ。
その事実が、どうしようもなく僕の心の深いところをえぐっていく。
ぐりぐり、ぐりぐり。休むことなくえぐってくるそれに、僕の心は傷口から溢れてくる懺悔という血液で溺れてしまいそうだ。
だけどそれでいいのだ。
僕の心など溺れて死んでしまえばいいのだ。
だって君は僕のせいで、僕なんかのせいで、世界の一部を亡くしてしまったのだから。
僕は罪人。とてもとても深い罪を犯した。だから僕は君に裁かれるべき人間であり、決してそんな顔で君が僕を見ることなんてありえないんだ。そんな―――
「君は悪くないのに自分が悪いって、自分を責めてる時の顔をしている」
「っ!!」
僕を赦そうとするようなことを言わないで。
僕を案じるような、昔へそをまげた僕に浮かべた仕方がないなって困ったような顔をして笑わないで。
「そんなのっ、あんまりだ!だってっ、だって僕は…っ!」
唸る激情に上手く言葉を紡げない。
何かを言いたいのに意味のない音しか僕の喉からは生まれず、やがて力をなくし僕はうなだれる。
そうしてしばらくした後やっと喉から出てきた声は、とても疲れ果てた力のないものだった。
「僕の、せいなのに」
もうぐちゃぐちゃだ。
いっそのこと僕のことをなじるようなことを言ってくれれば楽なのに、君は僕をなじるどころか僕を案じるような言葉を与えてくる。
僕には君のどうしようもない苛立ちと憤りと僕に対する恨み辛みを受け止める事でしか、君に償う方法はないというのに、これでは僕はいつまでたっても償えない。
「…きっと、どれだけ俺が君のせいじゃないと言っても、君は受け入れてはくれないんだろうね」
苦笑交じりに君は綴る。
「では俺はその君の想いを逆手に取って、君にお願いをしてもいいだろうか?」
どこか自信がなさそうにお願いをしてくるのは昔と変わらない。変わらないからこそ、僕にとっては辛かった。戻らないものの大きさを見せつけられているようで、怖い。けれどそれでは駄目だと震える声で「僕にできることなら」と頷いた。
そしてその了承を受け取って、君はとても優しい声で思いもよらぬ言葉を告げた。
「これから、君と僕とのどちらかが死んでしまうその時まで、俺の両目の代わりになってはくれないだろうか?」
「!?」
心臓が止まるとはこの事か。
あまりの驚きに言葉をなくす僕に構わず君は続ける。
「俺はね、後悔でも懺悔でもどんな感情でもいいから君にそばにいて欲しいと思っている最低な男なんだ。――だからそんな最低な男の為に『自分のせい』だと君が心を痛める必要はないんだよ」
そう言って優しく微笑む君のどこが最低な男と言えるのだろうか。
理由がなければ君の傍にいる決心のつかない僕のために最低を演じる君を、どうあったって最低などと思えるはずがないじゃないか。
「僕なんかで、いいの?」
「君がいい。君じゃなきゃダメなんだ」
たまらず尋ねる僕に、君は言う。
変わらぬ声音で、大好きだよと囁いてくれたあの頃と変わらぬ笑顔で。
「僕のせいなのに、僕なんかが君の両目になってもいいの?」
「君のせいじゃない――と言っても君は納得しないだろうから、あえて言うよ。君のせいだと言うのなら、責任持って俺の両目になってくれ。俺は君以外を傍におくつもりはないからね」
笑う彼に手を伸ばす。
見えていないはずなのに伸びてきた君の手に捕らえられ、久方ぶりに抱きしめられたその腕の中でようやっと僕はこれからも続いていく懺悔を言葉にすることができた。
「誓うよ。僕は、僕はずっと、君の両目であると。―――死ぬまで君の傍に在り続けると」
僕は罪人。君は執行人。だから僕は君が『もういい』と告げるその時まで君の傍で懺悔し続けることを、ここに誓うーーー。
End
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