幼い頃から両親から『セックスは好きな人とするもの』だと教えられ、愛のあるセックスを見せられてきた俺が好きになったのは、その教えとは正反対のセックスを性欲処理にしか思っていないような最低種馬野郎だった。


愛ある種馬への第一歩


昔から、それこそ物心着いた時から、セックスは好きな人としかしてはいけないと言われてきた。セックスは一時の快楽に身を委ねる為にするのではなく、言葉には出来ない愛を互いの身体をつかって伝え合うものだと、幼い俺の前で愛あるセックスを見せつけながら息も荒く俺の両親は口酸っぱく言っていた。
今思えば幼少の息子の前でなにセックスに励んでるんだこの馬鹿親がと思わないでもないが、その性教育(?)のおかげで変に性に興味を持って道を外すこともなくすくすくと健全に育った俺も今年で高校三年になった。もちろん両親の性教育のおかげで高校三年になってもいまだ俺は童貞である。しいてはこの年にして一度も異性とお付き合いしたことも、ない。それもこれもあれも全部、両親の有難い教えのせいだ。

『愛あるセックス』

ことあるごとに言われ続けてきたその言葉は呪縛のように俺の恋愛観を縛りつけた。毎日のように両親たちがセックスセックス言うものだからすっかり俺の中でセックスは神聖化され、好きの定義もその人とセックス出来るか出来ないかに絞られてしまった。気になる人が出来ても、ならばその人と両親のように体を重ねる事が出来るかーーと想像して、うまくその絵が浮かばずもだもだしているうちにいつの間にか気になっていた事を忘れてしまうのだ。
そんな事を繰り返しているうちに俺はどんどん恋愛から遠ざかり、ついには勉強が恋人みたいなガリ勉君へと変身してしまっていた。その結果周りに集まる友人達も俺と同じく勉強が恋人みたいな奴ばかりで、ますます恋愛から遠ざかっていく一方だった。恋やなんのと浮かれる他のクラスメイト達を遠巻きに見つめては『すごいなー』と感想を落としたりなんかして、俺たちには無縁であろうキラキラとした世界を外側から眺めるだけだった。それはまるで昔読んでもらった御伽噺の絵本を見ていた時の感覚に似ていた。経験したことのない絵空事。あくまでも想像の中だけで存在する世界。決して届くことはない場所への羨望。そして読者にはなれても登場人物にはなれない自分への落胆。
けれども、そんな俺が恋をした。
きっと恋なんて出来ないであろうとたかをくくっていた俺が、恋をした。遠くから眺めるだけだったあの世界の住人に、気づけば俺はなっていたのだ。





その出逢いは突然だった。
いや、突然と言っているがその存在は以前から知っていた。知っているといっても、既知の仲ではなくこちらが一方的に知っているだけなのだが。なぜならその人物はいつでもみんなの話の中心に位置し、誰からも注目される人物だったからだ。黙っていてもあちらの方から勝手に情報が流れてくる。学校という閉鎖された空間で、その人物は飽くことなく話題を提供してくれるいわば有名人のような存在であった。
俺もその話題に乗っかっていた一人で、きっとあの出逢いがなかったらその人物の事は噂上でしか知らなかっただろう。嫌でも入ってくる膨大な情報に友人達と一緒になって身勝手な感想を述べるだけで終わっていたはずだ。こんなに恋い焦がれる事もなく、ただの雲の上の存在としてだけ認識して卒業していたに違いない。それほどその人物と俺の間には絶対的な距離が存在していた。だからあの時、あの場所で、かの人物に出逢えたのは最早奇跡に近い出来事だった。
あの日も何時ものように放課後の教室で流れてきた噂話に友人達とわいわいと盛り上がっていた。俺達は誰一人として部活動に所属していなかったのであーだこーだと思う存分意見を交わし合っていた。その日も満足ゆくまでお喋りしたところで誰かがそろそろ帰ろうと切り出した。思いの外はなしこんでしまっていた事に俺達は井戸端会議してるおばさんかと別の誰かが言って、俺達は笑った。日の長いはずの夏の空が、薄い藍色をはらんでいた。それぞれの鞄を手に持って、俺達は教室を出て薄暗くなった廊下をダラダラと進んだ。その間も馬鹿みたいな話しで盛り上がり笑って、静かな廊下には俺達の笑い声だけが響いていた。始終そんな調子で進んで靴箱が見えたところで俺はふいに明日提出の課題を教室の机の中に忘れてきてしまったことを思い出した。今の今まで頭の中から抜け落ちていた課題の存在が、なぜか靴箱を目にしたと同時に思い浮かんだのだ。このまま無視して帰ってしまうという選択肢を選びたかったが、残念なことにその課題を担当する教師が厳しい事で有名なので俺は泣く泣く取りに戻ることにしたのである。一緒に行こうかと提案してくれる友人達にすぐ追いつくから先に行っていてくれと告げて、俺は一人来た道を戻っていった。さっきは友人達といたからそんなに気にならなかったが、一人になったとたん襲ってくる放課後の静寂が少しだけ怖かった。まるで今いるこの場所だけ異次元に飛ばされてしまったかのようなーーー。なんて馬鹿げた自分の思考に笑いながら理科資料室の前を通った時だった。静かだった空間に呻くような、けれど高く掠れた人の声のようなものが聞こえてきたのは。思わず足を止めて耳をすませば、どうやらその声らしきものは資料室の中から聞こえてきているようだった。いつもなら気にせず通り過ぎているところだが、どうしてかその時の俺は通り過ぎる所か吸い寄せられるように息を潜めて資料室の扉に耳をつけていた。こんな、盗み聞きするようなこと普段の俺だったら絶対にしないのになぜか扉の中の様子が気になって仕方がなかったのだ。
そして俺はこの行動により俺を御伽噺の世界に引きずりこむ原因となった奴との出逢いを果たしてしまう事となる。

『ーーーぁ、…んんっ』

高い、掠れる声。
その鼻にかかったような声には、聞き覚えがあった。
それは幼い頃から聞かされてきた両親のセックスの時母親が出す声とよく似ていた。つまりそれは、誰もいない放課後の資料室で誰かがセックスをしているということだ。
甘えるように響く声。 雄の情欲を煽るような、雄の存在に媚びるようなその声に普通なら反応するのだろうが、

(違う。これじゃない…)

俺はそう心の中で否定して耳を済まし続けた。俺の足を止めたのは、この声じゃない。だって静寂を縫って俺の耳に入り込んできたのはもっと、深い音を孕んでいた。

『っ、…マナっ』

(この声だ…っ!)

響いた声にそう思うと同時に心臓がはねた。
低く、掠れた甘い声。
この声が、俺の足を縫い止めたのだ。俺は意識するよりも先にもっとその声を聞こうと扉に耳を押し付けていた。濡れた音や、高い喘ぎ声なんてその時の俺の耳には届いていなかった。俺は馬鹿みたいにあの低い声だけが聞きたくて、その声だけを求めていた。

(マナ、マナって言った)

全力疾走した後みたいにバクバク鳴る心臓が苦しくて胸元の服を握りしめ強く目を瞑った。身体中の血液が集まったみたいに顔が熱くなった。一体自分はどうしてしまったのか。もしかして変な病気にかかってしまったのだろうか。ぐるぐるぐるぐる。爆発しそうな心臓を抱えてそんなことを考える。
あぁ、でもそんなことよりも気にかけなければならないことがある。
あの声は、マナと呼んだ。
こちらまで溶かされてしまいそうなほど熱い声で、マナと呼んだ。
俺の名前でもある、『マナ』と。
ただ呼び方が同じだけで、決して俺の名前を呼ばれたわけではないと頭では理解していた。けれど、そう理解していてもあの声がマナと呼んだ瞬間静電気をもっと大きくしたような衝撃が身体中を駆け巡った。
背筋を駆け抜けたあの衝動を何と呼べば良かったのか。今まで女っぽいからと嫌っていた自分の名前を間接的ではあるがあの声に呼ばれただけで身の内を貫いた衝撃。
突然襲った衝撃に半ば呆然とその場で動けずにいればいつの間にか扉の中は静寂を取り戻していた。

(終わった、のか…?)

静かになった室内にはっきりしない頭で思考を巡らせていれば俺の目の前で、扉がスローモーションのように開くのが見えた。

(やばい…)

ここから立ち去らなければ。そう思うのに頭はぼんやりしたままだしへたり込んでしまった体は倦怠感に包まれて動いてくれなかった。そうこうしている内に扉が完璧に開かれ、そうしてついに俺の目の前にどこか気だるげな雰囲気をまとった男が姿を現した。

『あ…』

その姿に思わずそんな声が出てしまったのは仕方が無い事だと思う。だってそこから出てきた男はとてもとても有名な人物だったから。
間の抜けた俺の声にようやく第三者の存在に気がついた男の目線が何かを探すように左右に揺れた後したに下げられ、ついに未だにへたり込む俺を捉えた。俺を写した男の瞳が、驚きに見開かれる。いつもより乱れた前髪の隙間からこちらを見つめるその瞳に、どうしようもなく鼓動が乱れた。時間にすれば数秒、でも俺的にはとても長く感じる沈黙を破ったのは目の前に佇む男の方だった。
驚きに見開かれていた瞳がゆるやかに細められて、薄い唇が弧を描いた。一つ一つの動作が網膜に焼き付いて、視線を逸らすことが出来なかった。見つめる先で男は人差し指だけ立てた手を口元に持って行き、俺を見て、言った。

『…ナイショな?』

『っ!!』

首を傾げて言われた言葉に完膚なきまでに俺の全ては持って行かれた。
なんということだ。
俺はその瞬間脳裏をよぎった光景に愕然とした。ありえないと頭をふりたいのに、その動作さえ男に視線を縫い付けられて叶わない。

(うそだ…まさか、そんな、)

瞬時に脳内に浮かんだ情景ーーー

それは、男である自分が、目の前の男に組み敷かれるという信じられないものであった。
今までどうあっても上手く浮かばなかった想像が、男のそんな言葉一つで意図も簡単に脳裏を埋め尽くしたのだ。
信じられない。
ただただ、そう思った。
まさか自分には男色の気があったのか。自分に問うて、そんなはずはないと直様否定した。だって俺は今まで一度たりとも同性に興味を持った事などなかった。気になる人が居ても、それらは全て女性であった。…では、なぜ俺はこの男に組み敷かれる様を妄想して、しまいには鼓動を早めているのか。
その自問にますます俺の脳内は混乱をきたしていく。
わからない。何一つ俺には分からなかった。
けれども男に触れたい、触れられたいという欲求が急速に俺の中で膨れていくのを感じた。同じ男に触れたいとか触れられたいとか頭がおかしくなったとしか思えない。この僅かな邂逅で俺は異質なものへと変貌してしまったのか。

『じゃあね、真愛くん』

『…え、』

気付けば目の前に男の顔があり、頬に触れた熱とその唇から落とされた俺の名前に、心臓が、止まるかと思った。
陶然と見上げる俺の名を、俺に視線を合わせたまま男が口にしたのだ。
言葉をなくす俺に構わず男は見惚れるほどの微笑みを落として踵を返した。混乱の隙間で、中にいる人物はそのままにしておいてもいいのだろうかと考えがよぎったが、それも男の背中を見つめているうちに霧散していった。

『どうして、俺の名前…』

ようやく気付いた違和感にもちろん答える声はなく、俺は男の姿が見えなくなるまでその背中を見つめ続けていた。

そんな男との邂逅を経て、俺の日常はすっかり以前とは変わってしまった。
たとえば、前にも増して流れてくる男の噂話に敏感になった。毎回違う男の相手の女子になんだかもやもやしたものを感じたり、誰とでも関係を持ってしまう男になんとも言えない気持ちになってしまったり。どうして彼はいろんな人と関係を持つのだろうか。セックスとは、本当に好きな人としかしてはいけないことのはずなのに。そう教えられてきた俺からすれば男の行為は理解出来ないしどちらかといえばあまりいい感情を抱かない類のものなのに、それでもいいから男に触れられたいと願う自分がいるのも確かだった。あまりにも矛盾ばかりする己の心に辟易して名を伏せて友人に相談した俺はさらなる衝撃に襲われることになる。

「それは恋だな」

どこか神妙な面持ちでそう言い放った友人に俺はしばらく反応を返すことができなかった。
こい、故意、鯉…?
うまく頭の中で変換できない俺に、また他の友人がこれまた神妙な面持ちで続ける。

「触れたい触れられたいってのは、好きな人にしか感じないからな」

そう言って「ついにお前も恋に目覚めてしまったのか」と涙ぐむ友人達の姿に、俺は名を伏せた意味が全くなかったことをさとった。どうやら俺の浅知恵は曲がりなりにも友人である彼らの前では意味をなさなかったらしい。

「それにお前、抱かれちゃうの想像しちゃったんだろ?もうそれ答えじゃん。普通そんな妄想好きな相手でしかしないぜ?俺なんか毎日ルルちゃんとにゃんにゃんしまくってるからな」

ちなみにルルちゃんとはこの友人が一番大好きなグラドルのことである。
というかなんでもないことのように言っているが、どうして誰も俺が抱かれる側にいることになんのツッコミもしないのだろう。もしや俺が思っている以上に男同士の恋愛は世の中様に浸透しているのか。
普段となんら変わりない友人達の様子に拍子抜けしつつ、ばれていることも男同士な事もおいといて俺は問う。

「恋、なのか…?」

「恋だな」

「恋に一票」

「恋決定だろ」

「性春だな」

最後のセリフに突っ込むのは置いといて。
かくして友人達の宣言により、俺の不毛な片想い人生が幕を開けたのであった。
まさか愛あるセックスの提唱者である俺が、真反対の穴があったから入れただけ。みたいな下半身ゆる男を好きになるとは人生何が起こるか分かったものじゃない。ならば始めて男と対峙した時全身に走ったのは恋に落ちた衝撃だとでも言うのか。なんだそれ。予想の斜め上を行き過ぎてせっかくの恋を楽しめる気が全くしなかった。

「そうか、これが恋なのか…」

いずれにしても、俺があの男に恋心なるものを抱いているのは確かなようで、友人達と話している間にも窓の向こうに見えた男の姿をガン見している自分がいてなんだか情けなくなる。
初恋は実らないというけれど、あれって本当だったんだな。
窓の向こう、中庭のベンチに座る男の隣には今日も違う女子が居た。毎度毎度御苦労な事だ。今日もまたあの時のように誰もいない放課後の教室で男は女を抱くのだろうか。俺の求める声で熱く名前を呼んで、俺が触れたくてたまらないあの手で女に触れて、俺の知らない熱を誰かに分け与えるのか。そう考えるだけで胸が苦しくなって呼吸がしにくくなる。

(…いいな)

女であるというだけで、彼に触れてもらえる彼女達が羨ましかった。男である俺には彼とその接点を持つことはおろか、女好きである彼の恋愛に入り込むことは出来ない。
傾ぐ男の顔と女の顔が重なる。
その様がまるで誓いのキスを交わし合う王子様とお姫様のように見えて、俺はそれから逃げるように視線を逸らした。

(恋愛って難しいな)

おとぎ話の住人になったとはいえ、俺はただの住人でしかなかった。
俺はどう頑張ったって王子様と結ばれるお姫様にはなれない。だって王子様と結ばれるのはいつだって可愛らしい女の子と決まっているから。

(さよなら俺の初恋)

でも彼の姿を目で追ってしまうのは許して欲しいと、俺はこりずに顔をはなして女子と笑い合う男を盗み見る。

(出来ることならあの声でもう一回名前…呼んで欲しかったな)

そんな叶わないと分かっている願い事を胸に秘めて、俺は友人達に声をかけられるその時まで男の姿を飽く事なく見つめ続けた。

けれどもやはり人生何が起こるか予測不可能なもので、俺は数日後二度と接点を持つことはないだろうと思っていた男と二度目の接触を果たすこととなる。



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