やっぱりつむつむ1

 『君とつむつむ』のその後。





  どうしてついているのか分からない突起二つ。
 乳児の命をつなぐための液体が出るわけでもなく、お飾りのようについた二つのお宮。「本当になんでお前ついてるの?」と日頃疑問を投げかけていたその二つの頂を、

 「…ん、やだっ、ぁ、やめ、ろ…っ」

 「え?こんなに触ってほしそうにたってるのに?」

 「ひぃあっ、やだぁ、ほしくないっ、ほしくないからぁ…!」

 「嘘つきは泥棒のはじまりだぞー?」

 なぜか今でも友人である男に弄られています。







 いぜん、日頃まったく意識しない乳首を負傷した。
 どうして負傷したのかというと、その原因は我が愛猫のミケランジェロにある。
 詳しい経緯は割愛するが、ざっくり言えば目に入れても痛くないほど愛しているミケランジェロに乳首その他もろもろを引っかかれた。そのお陰で俺は乳首に絆創膏という変態ちっくな体験をするハメになり、そしてその傷ついた乳首を友人である蜜夜に弄り回されるという奇想天外な経験をしてしまうこととなったのである。
 傷ついた俺の乳首を笑顔で弄り回す蜜夜は本当に悪魔だった。悪魔の処業だった。俺の幼気な乳首にあんな仕打ちをするなんて。あまつさえ、な、な、舐めたりするなんて…!変態だ!悪魔だ!もう乳首なんて怪我しない!そう俺が心に強く誓ったのは想像に難くないだろう。男の子なのに、おなじ男である蜜夜に乳首をいじられて舐められた。その衝撃はいまなお根強く残っている。
 次の日なんてひどかった。蜜夜を見るたびあの時のことを触感、匂い、音や声まで鮮明に思い出してしまって勝手に顔は熱を持ち出すし、いたたまれなさすぎて奇声が口から飛び出してはうるさいと周りから怒られた。そんな俺をみてわけ知り顔で笑う蜜夜の憎たらしさといったらなかった。『大丈夫か?』なんてしらじらしく心配してくる蜜夜の乳首をなんど俺と同じ目に合わせてやろうかと思ったことか。
 お前のちち吸うたろか。なんて出来もしないのに威嚇しそうになるのをぐっとこらえた俺に感謝するんだな。と言いつつ、どう頑張っても俺が蜜夜の乳首に吸い付いているというビジョンが浮かばなかった。というか、あんなイケメン様の乳首に俺なんかが吸い付こうものなら蜜夜ファンの方々にこの世から消されてしまう。恐ろしいことに我が校の女子たちは血気盛んな乙女で有名だった。俺の中で。
 蜜夜くんと触れあう機会が少ないからか、ほんのわずかなチャンスも逃さないとばかりにいつも目を血走らせながら蜜夜くんを観察している。おのずと蜜夜の隣にいることが多い俺もその肉に飢えた獣のような視線に晒されるわけである。その時の俺の心許なさを分かってもらえるだろうか。蜜夜はいい。見られている本人だからみな目を血走らせながらも熱のこもったあまーい視線を向けられる。だけど、問題は、俺のほうである。みんなが欲しい蜜夜の隣に居座り、登下校も共にしている、俺である。
 もちろんみんなの蜜夜くんを独り占めしているように見える俺に対する風当たりは暴風雨なみに酷かったし、向けられる視線は針のむしろそのものだ。いや、剣山の尖ったほうを投げつけられているといっても過言ではない。下手をすれば死んでしまう。女子たちは視線で俺を殺しにかかってきていた。そんな命がけの環境に身を置く俺に、蜜夜はもっと優しくするべきだ。こんなに身を捧げて隣にいる友人なんてそうそう居ないんだからな!
 だけどそれを言うと蜜夜はエロティックに笑って、またみんなの前で『草太は欲しがりだな』と耳裏を弄ってくるのでけっして言葉にはしないけどね。どうして蜜夜はあんなに俺に辱めを受けさせようとするのだろうか…。俺みたいなのを相手する暇があるなら、可愛い子とでも乳繰り合えばいいのに。王様の考えることはよく分からないものだ。
 皇帝陛下蜜夜様に抗う術をもたない俺は泣く泣くその暴挙を受け入れるしかないのである。
 だがしかし、この前のはやりすぎだと思います。
 というか、乳首をな、な、舐めるとかおかしいと思います!
 あの時はいろいろといっぱいいっぱいで頭が回らなかったけど、いまになって思えばいかにあの状況がおかしいものだったか分かる。あれは違う。あれはけっして友人同士がするものじゃない。お家に帰って、ご飯を食べて、お風呂に入って、潜り込んだ布団の中で俺は気がついた。
 あれって友人同士がするものじゃないよな。と。
 だけど悲しいかな。一緒に帰ったり、遊んだりする友人が蜜夜しかいない俺には、本当にそれがおかしいのか普通なのか判断を下すのが難しかった。他のクラスメイトたちと話しはするけど、それはあくまでもクラスメイトの域なので友人と呼ぶには憚れる。かと言って『なぁなぁ。友達同士で乳首いじったりするの?』と爽やかに聞いてみたところで変態呼ばわりされるのは目に見えている。ならば本の世界に頼ろうと家にある漫画を読み漁ったけれど、どこにも友人同士で乳首をいじったりしている記述はなかった。
 やっぱり、あれは友人同士がするものじゃないんだ…。
 本から得られた確信に俺の常識はちゃんとした常識だったのだと胸をなでおろすと同時に、それならどうして蜜夜はあんなことをしたのだろうかと疑問が浮かぶ。
 よくよく思い返してみれば犯人がミケランジェロだと分かるまでなぜか蜜夜は怒ってもいた。いつにない不機嫌そうな顔と低い声で誰がやったと詰め寄ってくる蜜夜は迫力満点で怖かった。普段へらへらしているぶん、ギャップが激しすぎてほんの少しだけちびりそうになったもん。怖くてとっても心臓がドキドキした。『まさか、これが恋?』ってふざける余裕もなかった。
 でも、なんで蜜夜はあんなに怒ってたんだろう。
 なんど考えてみても蜜夜があのシーンで怒る理由が分からなかった。傷をつけられた俺が怒るのならまだしも、蜜夜はミケランジェロにひっかかれたわけでも、乳首を負傷したわけでもないのに。やはり皇帝陛下蜜夜様の考えることは、平民である俺には理解できないものらしい。
 だけど平民である俺はどんなに理不尽なことでも泣く泣く蜜夜の所業を受け入れるしかないのだ。だって彼は絶対王制封建制度だから!
 そんなこんなで花の乙女のように恥じらう俺をからかう蜜夜のいじわるに耐えながら、なんとか日々を過ごしていた。過ごしていたのに。乳首時間からそんなに日があかない、とてもよく晴れたそんな日に、皇帝陛下蜜夜様がにたりと笑った。

 「そーうーた」

 かの日を思い起こさせるようなその微笑みに、俺の全細胞が警鐘を鳴らした。これは、やばい。この笑みを浮かべている時の蜜夜は危険だ。
 立ちはだかる強大な壁を前にして俺は固まった。漫画のように冷や汗をタラタラ流して不吉な笑みを浮かべる蜜夜を見つめ続けた。誰もが見惚れるであろう魅惑の微笑みをその整った御尊顔に乗せる蜜夜。俺がいままで見てきたなによりも魅惑的で、蠱惑的で、思わず目を奪われてしまう。だけど俺はその微笑みのしたに隠された蜜夜の本性を知っている。嫌というほど、この身をもって。あの時の指の感触や、包み込まれた暖かさや、俺の名前を甘く呼ぶ声を思い出しそうになって慌てて思考を外に追いやる。
 あれ以来なんどとなく俺を苛み続ける感触を忘れてしまいたいのに、毎日元凶である男に会うためなかなか俺の中から消えてくれない。ふとした瞬間にフラッシュバックするそれに俺は今もなお囚われている。

 「今日俺の家に遊びにこねぇ?」

 そう言って笑う蜜夜は、やっぱり悪魔かもしれない。

 「きょ、今日は、」

 「暇だよな?」

 「…はい。暇です」

 そしてやっぱり俺は、そんな悪魔のような皇帝陛下蜜夜様に逆らえないのであった。



 前と同じようになぜか左手を蜜夜に繋がれたまま歩いていく。
 あの時と違うのは、俺にはっきりと意識があるということだろう。はっきりばっちり意識のある今の俺にとって蜜夜と手を繋いで歩いているこの状況は顔から火が吹き出してしまいそうなほどに恥ずかしい。「よし帰るぞ」と教室にいるうちから俺の左手を蜜夜が繋いで来るものだからまだ教室に残っていた女子たちの視線も怖かった。彼女たちにとってアイドルで王子様な蜜夜くんが俺みたいな村人Aの手を繋いでいるのだ。彼女たちからしたらなんでお前がという感じなのだろう。誰ものが欲してたまらないその手を繋げる権利を、どうして自分たちではなくお前みたいな平凡野郎が持っているのか。射殺さんばかりの視線の鋭さで彼女たちの言葉なき言葉が突き刺さり、俺の精神は疲弊した。
 違うんです。これは違うんです。俺だって繋ぎたくて繋いでいるわけじゃないんです。そもそも繋いできたのは蜜夜のほうなんです。
 だけど俺のそんな悲痛な声は彼女たちには届かない。声に出していないのだから当たり前なのだが、じっさいに声に出したところで彼女たちは俺の言葉など信じてくれないだろう。いつだって彼女たちは蜜夜を神聖化し自分たちに都合の悪いことはなかったことにする。つまり、きっと今のこの状況も蜜夜ではなく俺が無理矢理彼と手を繋いだ。というふうに認識されている可能性が高いということだ。ここまで彼女たちを盲目的にしてしまう蜜夜は本当に恐ろしい男である。こいつが変な宗教をはじめても、彼女たちはなんの疑いもなく受け入れそうである。
 蜜夜様―!と多くの人に崇められている蜜夜の姿をうっかり想像してしまい俺の背筋を薄ら寒いものがかけていく。
 イケメンとはかくもこんなに人の心を掌握するのか…。俺では到底行き着くことのできない高みの世界に慄くばかりであった。これで蜜夜が意図的に人心掌握術なんてものを会得したらと思うとあまりの末恐ろしさに身震いしてしまう。独裁国家蜜夜。その国の一番の犠牲はきっと俺だ。望まない右腕の立ち位置を笑顔で用意されそうで怖い。右腕なんて名ばかりで、いまのように蜜夜に言いようにされるのがオチなのだ。
 だけどどうしたって俺は蜜夜に逆らうことなんてできないのだから仕方がないじゃないか。もし逆らえる思考と術を持っていたら握られている左手をとっくの昔に振りほどいている。
 そういえば、どうして俺は蜜夜に逆らえないんだろう。
 いまも、過去も、俺はなんだかんだと言いながら最後は蜜夜の暴挙を受け入れている。ち、乳首事件も恥ずかしかったけど、ただ恥ずかしかっただけで蜜夜のことが嫌いになったわけでも、もう一緒に居たくないとも思わなかった。最後には『しょうがないな』って諦め半分に許していた。
 ためしに脳内で蜜夜以外の人にあの時の蜜夜と同じような行動をとらせてみたら、あまりの気持ち悪さに吐きそうになってしまった。想像だけで身体中に鳥肌が立ち、気持ち悪すぎてたまらない。そこに恥ずかしいなんて感情は一ミクロンだって抱かなかった。ただたんに親密度の違いだろうか…?考えてみたけれど、答えは見つかりそうになかった。
 そもそも判断材料が少なすぎる。
 ……ん?もしかして俺、蜜夜以外に友達いないのか?思い返してみれば、登下校も、遊びに行くのも、泊まりにいくのも、ぜんぶ蜜夜としかしていない現実に気がついて愕然とした。俺の学生ライフが、蜜夜で埋め尽くされている。だけどそれは裏を返せば蜜夜も同じことで、そろいにそろってお互いにしか友達が居ないなんて悲しすぎる。…でも俺ならまだしも蜜夜に俺以外の友達が居ないとはにわかに信じがたい。この見た目で、性格も俺に対しては難ありだが他の人には基本優しいスタンスを貫いている蜜夜なのだ。きっと俺の知らないところで友達をつくっているに違いない。むしろ周りの方から友達になってくださいと言い寄られているに違いない。俺は異性から向けられる親の仇のような目と、同性から向けられる憐れみのこもった目しか与えられないのに…。
 蜜夜に俺以外の友達がいることにすこしだけ面白くない気分になってしまう。こんなに一緒に居るのに、俺には蜜夜だけなのに、その蜜夜には俺以外の人間がいる。なんだかとても面白くない。あんな密着率でいつ連絡とか取り合ってるんだよ。俺がトイレに行っている間か?それとも風呂か?いや、それぞれの家に帰って一人になったときか?
 本人に確認をとったわけでもないのに勝手に想像をふくらませてもんもんとしていたら、くいっと左手をひかれる感覚とともに渦中の人物の声が鼓膜を揺らした。

 「草太」

 呼ばれた名前にそれまで考えていたことが頭からはじきとばされ、反射のように声のしたほうに顔を向ける。
 どんなに深く思考の海に沈んでいても、蜜夜の声はちゃんと聴こえるのもなんでだろう。ふとそんな疑問が頭をよぎる。どんな雑踏の中でも、その声は俺の耳に聴こえてきた。やっぱりいい声だからよく通るのかな。顔もよくて声もいいとか、どれだけこの世の美を集める気なんだよお前は。
 そんなんだから、俺みたいな可哀想なやつがでてくるんだぞ。疑問はいつのまにか、ただの愚痴へと変わっていた。

 「って、あれ?もうついてる?!」

 「お前はどんだけ注意力散漫なんだよ。これから毎日手繋いで登校するか?」

 「やめろよ!そんなことしたら俺が血祭りにあげられるじゃんか!」

 「誰にだよ」

 「! これだから無関心は!お前の熱狂的なファンたちに決まってるだろうが!」

 すっとこどっこいな蜜夜のセリフに俺は噛みつく勢いで言い返す。割と本気のトーンで返された言葉にほんの少しだけ心配になった。なぜならこの『誰にだよ』という問いかけが至極真面目に蜜夜から出されているものだと分かってしまったからである。ちょっとどころか、かなり周りに関心のない蜜夜は己が絶世のイケメンであるという自覚がありながら、それによって自分が周りにもたらす影響のことにはてんで無頓着なのだ。なぜか蜜夜の関心はマンガ本と俺を弄り倒すという残念な方向に向けられていた。
 ゆえに、彼の頭の中にいつも俺のことを射殺さんばかりに睨みつけてくる女子たちは存在しない。自身に向けられる感情にはどこかうといところがある蜜夜は、彼女らをただのクラスメイトその一、その二で見ている。これは以前蜜夜自身が言っていたことなのでたしかである。
 イケメンになるとどこか感情が欠如してしまうのかな…。と薄ら寒いものを感じたのを覚えている。蜜夜は、イケメンを手に入れるために何かを犠牲にしたのかもしれない。なんて哲学的なことを考えてしまった。

 「お前ってときどき変なこと言うよな。頭大丈夫か?」

 「お前はときどき恐ろしいほど鈍感になるよな。頭は大丈夫だからほっとけバカ」

 「鈍感…?草太じゃなくて俺が?」

 「うん。蜜夜が」

 「…へぇ。鈍感、ね」

 「な、なんだよ…」

 「ん?べっつにー?」

 「べつにって顔じゃないぞそれ!」

 妖しく笑う蜜夜に納得いかずに詰め寄るが、「ほらはやく来なさい」と左手を引かれて誤魔化される。あの時と同じように、蜜夜にエスコートされながら歩いていく。
 やり取りをしている間にも鞄から鍵を取り出して玄関の扉を開ける蜜夜……ん?鍵?なんで、鍵?いつもは鍵あいてるのに………。は!ま、まさかっ!

 「蜜夜くんやい蜜夜くん」

 「どうした草太くん」

 気付いてしまった 『もしかして』に蜜夜を呼べば、ノリよく返事をしてくれた。俺に向けてくる笑顔も百点満点だけど、いまはその笑顔に嫌な予感がしてならないかな!

 「もしかして今日誰もいない……?」

 おそるおそる、ただいまも言わず中に入っていく蜜夜に確認してみる。いつもより静かな気のする家の中、他に人のいる時とは違う雰囲気に俺の予感はじょじょに確信へと近づいていく。

 「よく分かったな。父さんと母さんは二人でご飯で、姉さんはラボ泊まり」

 にぃっこり。超絶素敵爽やかに笑って教えてくれる蜜夜に、「そ、そっか」と引きつった笑みを返すしかなかった。
 そこまであの時と同じ状況なんだね!俺の冷や汗は、豊かな湧き水のように溢れだして仕方がなかった。なんだか自分の未来が見えたような気がして、いやいや希望は捨てたら駄目だよね。と己を鼓舞するが、まといつく悪い予感が無くなることはなかった。

 「だからゆっくりしていけよ、草太」

 「は、はは…」

 にこやかに笑う蜜夜の後ろで、玄関の閉まる音が響いた。




 




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