蛛綱落花 1

 ヤンデレ美形×いじめられ平凡
 ※いじめ、暴力描写注意









 この世界に存在する格差社会。
 力ある者が頂点に立ち、力ない者はそんな彼らに搾取される。
 へこへこと媚びへつらって上位者の顔色を気にしながら下層の人間は生きていくのだ。毎日毎日びくびくして、息を潜めて彼らの動きを観察して、少しでも自分に飛び火してこないように神経を張り巡らせて。そんな風に神経をすり減らしながら日々をやり過ごす。
 そうして俺も。
 バレてはいけない。自分の場所を。
 奴らの気まぐれで始まるこの狩りを、逃げ切らないといけない。
 体を押し込んだ狭い空間。暗闇の中必死に口を手で押さえて、わずかな吐息も聞こえてしまわないように気をつける。カタカタと体が震える。足元から恐怖が忍び寄ってきて俺の息はどんどん速さを増していく。
 どうか。どうかこのまま見つかりませんように。
 どうか。どうか。どうか。暗闇の中なんども願う。
 このまま俺の存在に気がつくことなく、通り過ぎてくれますように。恐怖に反応するように、昨日殴られたところがじくじくと痛み出す。まるでその痛みが逃げることはできないのだと言っているようで、俺を不安にさせる。
 いっそのこと俺の姿が奴らに見えなくなればいいのに。そうすれば奴らに見つかることもないし、無意味な暴力をうけることもなくなるのに。
 けれどもそんな俺の願いもむなしく、複数の足音と声が近づいてきた。奴らの笑い声がだんだん大きくなって、それは、確実に、俺が姿を隠すこの場所へと近づいてくる。

 「おーい。ゆたかくーん。どこですかー」

 「…っ!」

 かなり近い距離で聞こえてきた声に、俺は急いで息を詰める。
 わずかな呼吸音さえ届いてしまわないように、口元を押さえていた手に力を込める。できる限りゆっくりしずかに息を吸い込んで、できるだけ自分の気配をけす。
 俺は透明。俺はだれにも見えないし、気づかれない。
 だから奴らにだって見つからないし、これ以上殴られることはないんだ。
 だって、俺は透明だから。
 自分は透明なのだとなんども言い聞かせる。それが一時しのぎでしかないことも分かっているが、それでもそうやって自分に思い込ませないと恐怖に心がおかしくなってしまいそうなのだ。自分が透明になって見えなくなったとか、魔法が使えてこの場所から逃げ出すとか、実は武芸の達人で奴らを返り討ちにしたとか、ありもしない妄想をしてなんとか精神をつなぎとめる。
 結局妄想は妄想で、圧倒的な現実の前ではあっけなく崩れ去ってしまうのだが、すがるだけすがってもいいじゃないか。誰も助けてくれないんだから、自分で自分の心を守らなければ。
 俺だってこんな仕打ちは受け入れたくなどないさ。だけど俺は一人で、むこうは数人で。多勢に無勢で、もとより搾取される側にいる俺に勝ち目はないのだ。俺一人の抵抗など、羽虫の羽音よりも小さく微々たるものでしかない。虫けらの声に、耳を傾ける人間がいるだろうか。

 (むこうにいけ、むこうにいけ、むこうにいけ)

 必要もないのに机や椅子を踏みならして近づいてくる奴らに念じる。
 足音や話し声からして、今日は何人狩りに来ているんだろう。この間は五人だったけれど、今日はすこし少ないような気がする。人数は多いよりは少ない方がいい。そうすれば解放される時間が早くなるから。人数が多いとその分殴られる回数も時間も増えるから、家に帰り着くのが遅くなるし、親にも心配をかけてしまう。何か言いたそうにこっちを見てくる母親の顔を思い出して、俺は情けなさと恥ずかしさでいっぱいになる。要らぬ心配をかけてしまっている自分が不甲斐なくて、なのになにもできない自分が恥ずかしくて。
 力のつけ方なんて分からない。なけなしの抵抗はそれ以上の暴力によってねじ伏せられてしまった。己は無力なのだと知ったその時から、黙って時が過ぎるのを待つしかできなくなった。
 やり返さない方が悪いとか、やられたままでいるのが悪いとか言われるけれど、無意味なことを続けていられるほど人間は強くなんてないんだ。
 ただひたすら体を小さくして、害為すものが過ぎるのを待つ。
 
 「おーい。ゆたかくーん。いい加減出てきてくんねぇ〜?俺たちも暇じゃないんだよねー」

 「そうそう。俺ら忙しいの」

 だったらはやく俺を見つけることは諦めて帰ってくれ。暇じゃないなら俺なんかに構う必要もないだろう。掃除用具入れの中聞こえてくる声に心の中で返すけど、いっこうにあいつらがどこかにいく気配はない。忙しいなんて見え透いた嘘だと分かっているけど、それが本当だったらよかったのにとつい思ってしまう自分が惨めで仕方がない。
 あいつらのクズみたいな遊びに、逆らえず逃げることもできず、こうして息をひそめるだけしかできないことが死んでしまいたくなるくらい悔しかった。
 だけどそんな俺の思いとは裏腹に、この体は恐怖に震え、この心はあいつらに怯えている。
 嫌だ。苦しい。悔しい。……恥かしい。
 どうして俺はこうなんだろう。どうしてあいつらは俺を選んだのだろう。
 他のやつでもよかったはずなのに、よりにもよってどうして俺が。
 埃っぽいせまい空間に体を押し込めて、こっちに来るなと祈るしかできない。最初は、こんなんじゃなかったのに。あいつらだってクズなことはしていたけど、ここまでひどい遊びはしていなかった。それどころか以前は普通に言葉を交わしたことだってあったんだ。挨拶をすれば一言多かったけど返してくれていたのに。いつのまにか、気がついたときにはこの最低最悪の遊びの標的にされていた。
 なんの前触れもなく振るわれた暴力に俺は最初は自分に何が起こったのか理解することができなかった。
 昨日まで仲がいいとは言えなかったけど、普通に挨拶を交わしていたクラスメイトに放課後教室に残っていたところを呼び止められ殴りつけられたのだ。理解しろというのが無理な話である。なんで?どうして?殴りつけられて床に転がる俺を見下ろして、楽しそうに笑うクラスメイトは「俺らの暇つぶしにつきあってよ」と言い放った。人を殴っておいて平気で笑っていられるクラスメイトたちに恐怖を覚えた。でもそれ以上に俺は、ショックだった。
 仲は良くはなかったけど、ただの挨拶を交わすくらいのクラスメイトだったけど、まさか、こんな人に暴力をふるっても笑っていられるなんて信じられなかったし、信じたくなかった。
 だけどそれ以降もあいつらの遊びは続き、俺の体には常に癒えない痣が残されるようになった。漫画とかでよくあるみたいに顔以外を殴られるので親にも先生にも俺が何かを言わない限りバレることはなかった。さすがに一番近くにいる他のクラスのやつらには、俺があいつらの標的にされて暴力をふるわれているということがバレてしまったがこれといって助けようとしてくれる人はいなかった。みんながみんな、次の標的にされたくなくて俺に与えられる暴行を見て見ぬフリだったから。
 そのせいかせっかく居た友人も離れていき、俺は一人この恐怖に耐えるしかなかった。
 なんど過去を思い返してみても、どうして俺がやつらの標的にされてしまったのかは分からない。
 俺みたいなやつは他にもクラスに居たのに、どうして俺が選ばれたのか。
 でも今となってはそんなことどうでもいいことなのだ。
 何がどうであれ選ばれてしまったのは俺なのだから、いまさら嘆いたところでこの現状が変わるわけでもない。
 
 (お願いだから。どっかいけ…っ)

 許しを請う罪人はこんな気分なのだろうか。
 身が焼ききれそうだ。体は情けなくも震え、緊張に酸味のある液が味覚をよごす。

 (お願いだから…っ!)

 けれども悲しいかな。今にも張り裂けてしまいそうな心臓を抱えて願う俺の想いは、今日も天には届かなかったようだ。

 「やっと見つけたー」

 明るくなる視界と愉しげな声に俺の視界は絶望で塗りつぶされた。





 「ほらゆたかくん、あーそびましょ」

 「うわ…っ」

 俺を見つけてにたりと笑ったそいつは、絶望の色を浮かべているであろう俺の腕を掴んで無遠慮な力で床に投げつけた。
 いきなりのことにうまく受け身なんてとれるわけもなく、思いっきり肩から床に倒れてしまい走り抜けた痛みに顔をしかめる。そんな俺をやつらが気遣うなんてことはなく、痛みに顔を歪める俺を楽しそうに見下ろしていた。

 「たく。いい年して隠れんぼとか、お前ガキすぎるだろう」

 「や、やだ…。俺、かえる…、いたっ!」

 「は?人に手間かけさせといて、帰れるとか思ってんのかよ」

 「やだっ、いたい、ごめっ、ごめんなさい…!かえらない、かえらないから離してっ」

 思わず帰りたいと口走ってしまった瞬間掴まれた髪の毛に痛みが走る。力加減なんてしてくれるわけがないから、ぶちぶちと何本か髪の毛が抜ける音が聞こえた。床についたお尻が少し浮いてしまうくらい髪を掴まれたまま引き上げられあまりの痛みに涙が浮かぶ。泣き声まじりに離してくれと頼めば「いい加減学習しろよゆたかくん」と下卑た笑いとともに手を離される。
 引きつれた痛みはなくなったけど、頭皮が熱をもったようにジンジンする。容赦なく掴みやがって…。滲む視界で今まで髪の毛を掴んでいたやつを見たら「うぇ。髪の毛ついてるし、気持ちわりぃ」と汚いものをはらうような素振りで手についた髪の毛を床に落としていた。その言われように奥歯を噛みしめる。
 本当に、こいつらはどこまで俺を乏しめれば気がすむのだろうか。

 「ゆたかくんが無駄に逃げるから時間かかっちまったじゃねぇか」

 やつらのリーダー格でもある男が、俺の体を踏みつけながら言う。わざとなのか、昨日つけられたばかりの痣の上を踏みつけられている。なんとかやり過ごしていたのに、そのせいで痛みがぶり返していく。
 脳天を突き抜けるような痛みに恐怖とは違う理由で体の動きがにぶくなる。こいつらのおかげで全身痣だらけで、夜寝るとき横になるのもきつかった。どんな体勢でもつけられた痣を圧迫して痛みがはしる。お風呂に入るときなんて傷口に沁みてしかたがない。
 だからどうにかこれ以上痣を増やさないようにと思うのだけれど、どうしたってこいつらは俺を傷つけることをやめないのだ。

 「本当だよなー。まぁ、獲物追い回してるハンティングみたいな感じで面白かったけど」

 「たしかにー。狩猟本能?ていうやつ」

 「そうそう。ビビりながら逃げてるやつ追い回すのウケるよな」

 「……っ」

 頭上で繰り広げられる会話に悔しさと嫌悪が沸き起こる。
 やっている側は楽しいかもしれないけれど、やられている方からしたらたまったものではない。多勢に無勢で一人の人間を追い込んでさも自分たちには力があるのだと言わんばかりだが、どうせお前たちも集団でなければ行動を起こすことができないくせに。たった一人だったなら、きっとお前たちも俺のように黙って身を丸めていることしかできないはずだ。と、そんなことを思っていなければやってられなかった。
 たび重ねる暴力に俺の精神も体力も疲弊しきっていた。
 今にも崩れ落ちそうなのを、ギリギリのところで踏ん張っているような状態だ。
 心配をかけたくないのと、こんな弱い自分の姿を知られたくなくて親にも言えず。ずる賢いやつらのせいで先生にも気づいてもらえず、俺がやつらに暴力を振るわれていると知っているクラスメイトたちには見て見ぬ振りをされる。
 救いのないまま痛みと絶望だけが与えられるだけの日々に、よく生きていられるなと自分のことながら他人事のように思ってしまう。

 「てかさー、なにいまさら逃げてんの」

 「ぐ…ッ」

 内履きのつま先で無防備だった腹を蹴り上げられる。
 お腹を圧迫されせり上がってくる胃液に口元を押さえたら、今度は頭を踏みつけられた。

 「お前が逃げるから俺たちの予定くるっちゃったんですけど」

 「ご、ごめ…っ」

 「謝ればなんでも済むと思ってんのかよ。人生そんなに甘くねぇからな」

 「そーそー。仕方ねぇから、俺たちが人生の厳しさをお前に教えてやるよ」

 「…っ」

 ぐりぐりとこめかみのところを踏み潰され痛みと惨めさにとうとう目尻から涙が滑り落ちる。
 こいつらの前なんかで泣きたくなかったけど、一度あふれだしたそれは新しい雫を誘発する。それを見て「男のくせに泣くとか、ゆたかくんは泣き虫ですねー」と笑うあいつらなんか、死んでしまえばいいのに。
 もしも俺に不思議な能力があったら、もしも俺にこいつらを蹴散らすほどの力があったら。そしたら今ここで床に押し付けられているのは俺じゃなくて、こいつらの方だったのに。辛酸を舐めるのは俺ではなく、こいつらの方だった、のに。

 (…しね、シネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!)

 お前らなんて、今すぐ死んでしまえばいいのに。
 見て見ぬ振りをするクラスメイトも、気がつかない先生も、みんなみんな、消えて居なくなってしまえばいい。
 どうして俺なんだ。どうしてお前たちじゃないんだ。
 助けろよ。助けてくれよ。
 今日もかと恐怖に怯えるのにも、痛みに十分な眠りがとれないのにも、無力な自分に絶望するのにも…もう、俺は耐えられそうにないんだ。

 「ゆたかくんは黙って俺らの言うこと聞いとけばいいんだよ」

 「あ゛ぁぁ…っ!いたい、いたい゛…!」

 「やべ。こいつこのまま漏らすんじゃね」

 「まじかよ。もし漏らしても自分で片付けろよゆたかくん」

 「やだぁっ!いだいっ、やめて…っ、やだっ、ごめんなさっ…!」

 「ぎゃーぎゃーうるせぇよ。大げさすぎだっつーの」

 大げさなんかじゃない。
 ひときわ強く頭を踏みつけられたうえに、まだ治っていない痣の上を容赦なく蹴り上げられて、痛くないわけがないだろうが。
 踏みつけられたときに床でも頭をうったのかぐらぐら視界も揺れだした。もしかしたら頭の中の血管が切れてしまったかもしれない…と背筋が冷たくなる。人の頭をなんのためらいもなく踏みつけるなんてどうかしている。それを見て笑っている他のやつらも頭がおかしいとしか言えなかった。
 このままではこいつらに俺は殺されてしまうかもしれない。
 ふいに浮かんだ考えに身を震わせた時だった。

 「ずいぶん楽しそうなことしてんじゃねぇか」

 下卑たあいつらの笑い声とはちがう、静かな声が聞こえたのは。
 艶のある低い声はそんなに大きな声じゃなかったのに、驚くほどはっきりと俺たちの耳に届いた。
 いきなり現れた第三者に俺を蹴り上げていたやつらの動きがとまる。
 それによって俺はようやく息をつけることができたが、さっきの頭を蹴られた後遺症が残っていて頭を持ち上げることができなかった。なので俺の背後から聞こえてきた声の主が誰なのか確認できぬまま、やつらと声の主の会話が始まってしまった。

 「あ?なんだお前。なんか用かよ」

 「べつに?ただ通りかかったらあんたらの馬鹿みたいな声が聞こえたから覗いてみただけ」

 「ぁあ?ケンカ売ってんのかテメェ」

 「そんなにつっかかんじゃねぇよ。雑魚っぽく見えるぞ」

 「てめぇ、やっぱふざけてんだろ」

 「だとしたらなに?あんたらに関係あんのかよ」

 「テメェ…!」

 声を荒げるやつらに比べて、後からきた男の声はその静けさを保っていた。
 耳触りのいい低音に、こんな状況であるというのについ聞き惚れてしまう。この声の主は、いったい誰なのだろうか。俺のクラスのやつでは絶対にない。こんなにいい声だったら一度聞いたら忘れないだろうし、なによりあのクラスにこういう状況で声をかけてくるような人間はいない。じゃあ、ほかのクラスのやつらだろうか。同じ学年とはいえ全員の声を聞いたことがあるわけではないので断言はできないし、そもそも他学年という線もある。やつらの反応から、はじめて会うような雰囲気だと分かるけどそれだけでは特定するのには情報が少なすぎる。
 けど、何はともあれこの声の主の介入により暴力が中断されたことには感謝しよう。「面白いこと」と彼は言っていたけど、それからの会話を聞くとどうやら一緒になって危害を加えてくる気はなさそうだ。

 (…頭、ぐらぐらする)

 やつらが彼に意識を集中させているうちに、痛みを軽くするため息を吐き出す。蹴られ慣れてしまった体は、どうやれば痛みが軽減できるかを知っている。息に痛みを混ぜるイメージで深く長く吐き出せば、少しだけ体の痛みが減ったような気がした。

 「ていうか、いまだにこういうことしてる奴っているのな。しょうもなさすぎてつい声かけちまったじゃねぇか」

 「ああ?」

 馬鹿にしたような…いや、まさに馬鹿にした響きを含ませた男の言葉に、やつらの空気がより剣を増していく。自分に向けられたものじゃないと分かっていてもやつらに植えつけられた恐怖のせいで勝手に体が震えてしまう。頭はぐらぐらするし、身体中痛いし、身体は小刻みに震えるし、敵か味方か分からない乱入者は現れるし。いったいこれからどうなるんだ。無様に床に転がることしかできない俺は、ただことがどういう風に動いていくのか耳をすまして聞いていることしかできなかった。
 願わくは、彼がやつらをボコボコにしてくれたらいいな。
 そんなこと、今までの経験上から起こり得ないと分かっていながらも望んでしまうのは俺の弱さだ。行動も、声も出さないのに心の中ではこの不条理に対しての恨み言と助けばかり叫んでいる。死を願うのも口先だけで、じっさいにそういう機会が与えられても俺はその道を選び取ることはできないだろう。
 しょせん俺もこいつらと同じ、たった一人ではなにも行動を起こすことのできない臆病者でしかなかった。




 



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