ハロウィンのすゝめ

 『ペットのすゝめ』ハロウィンバージョン







 「ワンちゃん。トリックオアトリート」

 差しだされる両手といきなり言われたセリフにそういえば今日は世間一般的に言われる『ハロウィン』であったと思い出した。

 「トリックオアトリート?」

 「そう。トリックオアトリート」

 ずぅーと部屋の中にいるから曜日感覚が狂ってそういった行事に疎くなってしまうが、たしかに今朝方のテレビでハロウィンがどうのこうのトリックオアトリートとか言っていたような気がする。あくまでもBGMとしてTVを流していただけなのであまり気にしていなかったけど。そうか、今日はハロウィンなのか。
 10月31日。海外からやってきた風習で、お化けに扮した子供たちが『トリックオアトリート』つまりは、『お菓子くれないというイタズラするぞ』とお菓子をもらって回るやつである。まぁ、現代の日本社会においてはお菓子をもらって回るというよりは、仮装大会みたいなノリが多いような気がするけれど。俺も前までは仮装なんかをして友人にお菓子をせびったりしていたなと少しだけ過去を回想してしみじみ。合法的にお菓子を強奪できる素敵な催し、楽しかったなぁ。
 つまり俺の中でハロウィンとはお菓子を貰うという意味合いの方が大きく、ハロウィンイコールお菓子がたらふく食べられる日としてインプットされている。やっぱり人の三大欲求である食欲には勝てないのだ!まぁでも、今はハロウィンなんてこなくてもじゅうぶんお菓子食べてるんだけどね!
 なんて考えていたら、それちょうだい。と俺の返事を待たずに手元にあったマフィンを犬飼に奪い取られてしまった。「俺のマフィン…」追いかけるもむなしくマフィンは犬飼の口の中に消えていく。「さすがワンちゃん。マフィンも美味しいね」口をもふもふさせながら犬飼のタレ目が嬉しそうに笑う。その言葉に俺はマフィンを奪われた悲しみを忘れ、ちょっとだけ得意気になってふふんと胸をはった。それはそうだろう。なんたって養ってもらう気満々だった俺はありとあらゆるジャンルの料理を作れるよう修行をつんでいたのだから。友人には無駄な努力だと言われていたけど修行を重ねた結果、和洋折衷なんでもござれだ。もちろんお菓子作りもぬかりないぜ!
 そうじゃなくて、俺のマフィンだ。
 
 「うん。美味い」

 だからね、ワンちゃん。トリックオアトリート。

 なにが『だから』なんだろう?心の中で首をかしげる。そんな俺の心の声知らずな犬飼はにこにこ楽しそうに笑っている。思わず俺もつられて笑い返すけれど、やっぱりなにも『だから』じゃないと思うんだ犬飼。そんなことを思いつつ見つめていれば「ワンちゃんかわいい」そう言って犬飼に頭を撫でられた。当初から犬飼の撫でる腕前は一級品で、俺はなりもしない喉を猫のように鳴らしてしまう。チラリと見上げた犬飼は、そんな俺をやはり楽しそうに見ていた。
 笑う犬飼は、なんだか某紫色のシマシマ猫みたいだ。
 ニンマリと、笑う様は猫でありながら狐のような狡猾さを垣間見せ言葉巧みに相手を翻弄する。雲のように掴みきれなくて、でも浮かべられる表情から目が離せない。そんな不思議な魅力を、犬飼も持っている。けれどシマシマ猫と違うのは、そこに犬飼独特の色気みたいな物が加わるという所だな。
 犬飼がニンマリと楽しそうに笑うたび、なんだか彼からは得も言えぬ色気みたいなものが湧き上がる。ふよふよとそれが犬飼から出てくるたび、俺は蛇に睨まれた蛙みたいに体の動きが止まってしまう。重力の毛布を被せられたように体の動きが鈍ってしまうのだ。だけどそれが重くて煩わしいとかそういうわけではなく、程よく体にかかる重みはどちらかというと冬にくるまる羽毛布団のように心地が良いのであまり気にしてはいなかった。

 「トリックオアトリートって…今俺のマフィン食べてるじゃん、犬飼」

 「マフィンはお菓子に入らないから無効でーす」

 「なんて横暴な!俺からマフィンを奪っておいて、その上マフィンはお菓子じゃないなんてひどすぎるぞ!マフィンにあやまれ!」

 「あははー」

 「マフィンはお菓子です!」

 マフィンがお菓子じゃないならフィナンシェはどうなんだよ。フィナンシェはお菓子だね〜。ならマフィンもお菓子だろ。今日だけマフィンはおかずになりまーす。マフィンおかずなの?!
 わーわー。ぎゃーぎゃー。
 ベッドの上、シーツのしわを増やすように騒ぎ合う俺と犬飼。騒ぐと言っても俺が一方的に喚いているだけで犬飼は全く意に返した様子もなく笑ってかわしている。
 赤い布をひらめかす闘牛士のように俺をいなしていく犬飼。あっちにひらひら、こっちにひらひら。さながら俺は赤い布を目指して突進させられる闘牛だ。興奮しているのは自分だけ。
 なんだかそんな犬飼を見ているとだんだん言い返すのが馬鹿らしくなってしまう。これでは暖簾に腕押しだ。なので俺は言葉の代わりに大きいため息を吐き出し口を閉ざして真っ正面からもたれかかってやった。「どうしたのワンちゃん」この生活を初めてから増えた全体重をかけてもなんなくその腕の中に俺を受け入れた犬飼が楽しそうに笑う。ニンマリと、意地の悪い紫猫スマイルとは違うなんの裏もない無邪気な笑顔を見せる犬飼はなんていうか…年齢よりも幼く見えて可愛いと思う。
 いつも犬飼は人を食ったかのような笑い方ばかり浮かべているので年相応に笑う姿は珍しい。人をおちょくるのが楽しくて仕方がないって顔で笑うから。でも一緒に暮らすようになってから実は犬飼の無邪気スマイルけっこう見てたりするんだけどねー。と、犬飼の少し伸びた髪の毛に絡まっていたマフィンのカスを摘まんで口に入れあこがれの「おべんとついてる」を実行しながら優越感ににんまり。
 やはり誰も知らない一面を自分だけが知っているというのは心地が良いな。なんてむふむふしながら犬飼の腕の中で居心地の良い所を探してもぞもぞ体を動かす。「ワンちゃん膝食い込んでるー」という犬飼の主張はきれいに無視だ。痛いといいつつ俺をどかそうとはしないのだからそういうことなんだろうと一人完結して移動を続ける。そうして胡座をかいた犬飼の上に横向きで座るというベストな場所を見つけた俺はほぅっと一息ついて、

 「いった!ワンちゃんが飼い主に噛み付いたー!」

 「へへ!討ち取ったりー!」

 「そんな悪い子にはお仕置きでーす」

 ちょうど真上にある犬飼の耳朶を噛んでやった。噛むといっても甘噛みていどである。本気で噛んだりしたら流血沙汰になってしまうからな。噛まれた本人である犬飼も痛いと言いながら顔には笑みを浮かべているし。うん。今日も犬飼の耳朶は柔らかくて歯触りが最高だ。

 「怒った?犬飼怒ったー?」

 「ふふ。俺がワンちゃんに怒るわけないでしょー」

 噛まれた耳朶を片手でおさえてぶーたれる犬飼にしてやったりと笑えば、お返しとばかりに俺の耳朶も犬飼に噛まれる。はむはむと何度か歯を立てたかと思えば慰めるように舌を這わせられ背筋が震えた。
 ぶるり。犬飼の遊びに付き合っている時に感じるそれに、体の芯でかすかな熱が灯る。条件反射のように触れられたそこから体全体に流れ渡るのは、未だ人様の耳朶を舐めたり噛んだりしている飼い主である犬飼から教えられたもので―――。
 ちらりと覗き見た犬飼の顔にはもう無邪気な笑顔はなかった。代わりに犬飼と遊んでいる時のような意地悪で、でも色っぽい表情を浮かべている。その表情にも、ぞくりと背筋が震えた。うっかり最中の低く甘い犬飼の声まで思いだしてしまって大変だ。なによりも俺をぐずぐずにする、あの犬飼の声。
 犬飼のタレ目が楽しそうに三日月の形に歪む。薄い唇が緩やかな弧を描く。俺の動きを鈍くする笑みを浮かべた犬飼に抗う術を俺は持たない。いつだってお腹を出してされるがままだ。まぁ、仮にそんな術を持っていたとしても、飼い主に逆らおうなんて思わないけどな。だって犬飼が楽しそうなのが、俺にとっての一番だから。
 そんなことを考えているあいだに犬飼の唇は耳朶から首筋に移動して、可愛らしい音を立てて離れていく。そうして俺を見おろすその表情をみて、我が飼い主ながらエロいなぁと感心する。
 無邪気な笑顔がすぐに引っ込んでしまったのは残念だけど、こんな顔をして俺を見る犬飼も嫌いじゃないので俺は大人しく身を預けた。

 「どったのワンちゃん、借りてきた猫みたいに大人しくなって」

 クスクスと笑いながら犬飼が聞いてくるのに自分なりのニンマリ顔を浮かべて俺は両手を差し出しながら首をかしげた。少しだけあざとさも意識してみる。俺はいつでもサービス精神が満載なのさ。

 「んー…。犬飼、トリックオアトリート!」

 まさか俺からも言われるとは思っていなかったらしい。しばらくぽかんと間抜けな顔をしていた犬飼だったが、すぐに愛しくてたまらないといった風にふはっと吐息をこぼした。腰と腹の前に回されていた犬飼の手が俺の両頬に添えられる。僅かに上を向かされ鼻と鼻が触れ合うそんな距離まで犬飼は顔を近づけてきて吐息交じりの声でどうしようと呟いた。

 「俺、さっきもらったマフィン全部食べちゃったや」

 ねぇ、どうしたらいいかなワンちゃん。

 言葉とは裏腹にその表情は楽しそうだった。あれ?マフィンはおかずなんじゃなかったのか。というセリフは飲み込んで、なら仕方ないなと犬飼の首に腕を回す。上体をひねる体勢だからちょっと苦しいけど犬飼とくっついていられるならなんでもいいや。それは犬飼も同じなのか、すかさず体に巻きついてくる手に俺は満足気に息を漏らした。犬飼の首元にすりよって、大好きな香りをめいっぱい吸い込めばそれだけで俺は満たされる。
 やっぱり、犬飼に抱きしめられるのが一番安心するな。

 「じゃあお互いにイタズラし合っちゃおうか、犬飼」

 そうすれば万事OKだろ?
 だって俺が作ったマフィンは犬飼が食べちゃったし、他のお菓子は別の部屋にしかない。この拘束をほどいてまで俺はお菓子を取りに行くつもりはないから、必然的に犬飼もお菓子を取りに行けないことになる。
 だったら俺たちに残された選択肢は一つしかないよな?犬飼を見つめて、さっきの犬飼みたいに「ねぇ。どうする犬飼」と問いかける。さてさて。俺の飼い主様の答えはいかに。俺の中で答えは決まっているけれど、最終的に決めるのは犬飼の役目だから。
 そしてその問いに応えたのは言葉ではなく、代わりに与えられた犬飼の満面の笑顔とーーー甘い甘いキスだった。

 「トリックオアトリート」

  どちらからともなく言い合って、俺たちは悪戯し合うためベッドに沈んだ。




 END






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