君とつむつむ2


 「そーうた」

 「な、なにかな蜜夜くん」

 語尾にハートマークがつきそうな軽やかさで呼ばれた名前に俺は引きつった笑みで返事する。
 時間は移り変わり放課後。
 一限目から待ち受ける体育という強敵をなんとか乗り越え、一日中俺の意識をさいなんだ絆創膏の感触に精神をすり減らして、やっとこむかえた放課後である。
 あとは家に帰るだけだ。やっとこの緊張感から解放される。はずだったのだが、俺はその蜜夜の呼びかけに嫌な予感がして仕方がなかった。もっと詳しく言えば、体育の着替えの時から蜜夜のもの言いたげな視線に嫌な予感がばりばりでしょうがなかった。
 いつもだったら豪快に服を脱ぎ捨て着替える俺が今日に限ってこそこそと隠れるように着替えているのだから不思議に思うのも仕方がないだろう。なにより蜜夜は勘のいい男なのだ。教室の隅で着替える俺に蜜夜は当然の疑問として「なんでそんな隅で着替えてるんだ?」と投げかけてきた。それになんとか「ぼ、ボディビルダーの筋肉を見たら俺の貧相な筋肉をお見せするのが恥ずかしくなって!」と誤魔化したけど、「ふーん」とつぶやいた蜜夜の瞳がキラリと光ったのを俺は見逃さなかった。
 あの目は、ぜったいなにかに気づいていた。
 乳首絆創膏がバレたのか?いや、たぶんそこまでは気づかれていない。けど、なにか俺が隠していることには気がついただろう。じゃなきゃあんなチェシャ猫のような笑顔は浮かべまい。
 そんな俺の考えはあっていたらしく、放課後になりよし帰ろう!となった瞬間、とても機嫌の良さそうな声で蜜夜に呼ばれたのである。

 「今日俺の家に遊びにこねぇ?」

 「きょ、今日でございますか?」

 「そう。今日。どうせ暇だろ?」

 「…あ!そう言えば今日は、」

 「暇だろ?」

 「…はい。暇です」

 にこにこだ。キラキラだ。お伺いを立てておきながら、実質来ることを前提とした問いかけに逃げようとしても完璧な笑顔で封じられる。選択肢など俺には用意されていないのだ。あるのはイェスだけ。蜜夜の言葉に泣く泣く従う道しか俺には残されていなかった。だって、イケメンの笑顔の重圧から逃れる術を俺は知らない。
 心の中で涙を流す俺とは正反対に、蜜夜は「よし」と魅惑の笑みを深めた。
 
 「なんか飲み物買っていくか?」

 「いえ。おかまいなく」

 「そ?あー、でもなんかファンタ飲みたい気分だからやっぱコンビニ寄って行こうぜ」

 そう言って蜜夜は歩き出す。俺も机の横にかけてあったカバンをとって蜜夜の後に続く。後ろの方では「あぁ、薊くんが帰っちゃう」と女子たちが残念がっていた。みんなのアイドル薊くんは群れるのが嫌いなので基本的にクラスの誰かと放課後遊びに行ったりなどしないのである。お話しはしたりするけど、遊びには行ってくれない薊くんなので女子たちは少しでも学校にいるうちにアプローチしようと頑張っている。だけどリア充な見た目に反してお家が大好きな薊くんはすぐに帰宅してしまうので、彼女らのこのセリフで見送られるのはもはや定番となっていた。
 俺と同じで帰宅部だから、部活中の薊くん観察が出来なくて悲しいとも言っていたような気もする。イケメンが引き起こす現象って、本当に凄いんだなと蜜夜を見るたび思う俺なのである。
 だが今はそんなことよりも俺のことだ。
 蜜夜の輝かしいイケメン具合を説明している場合ではない。これから起こりうるであろう事態にどう対処するかを、この足りない脳みそで考えなければいけないのだ。
 さてどうするか。
 蜜夜はなにか疑問を持っているようだが、それが何かまでは特定には至っていないはずだ。それに、もしかしたら俺の気のせいで蜜夜は純粋に遊ぶために俺をよんだのかもしれないし。そうだ。この間出ると言っていた漫画の新刊を買ったから俺をよんだのかもしれない。あ、でもあの漫画の発売日は来週だったっけ?って、ことはやっぱりバレて…

 「なにさっきからブツブツ言ってるんだよ草太」

 「え?!あ、あれ?!いつの間にか着いてる?!」

 いきなりの蜜夜ドアップと、かけられた言葉にびっくり。なんだかんだ考えているうちに蜜夜の家に着いていたらしく、目の前の蜜夜は呆れ顔で俺を見ていた。片手にはコンビニの袋が握られている。なんてこった、コンビニに寄ったことにも気づいていなかったぞ俺。そんな状態でよく排水溝にも落ちずにここまでたどり着けたな…という疑問は左手を包む熱によって解決された。

 「やっぱり今日のお前変だぞ?排水溝には落ちそうになるは、車に突っ込んでいきそうになるは。俺が手繋いでなかったら今頃全身傷だらけだぞ?」

 「……お、オー」

 「どうした?今度は言語回路がイカれたか?」

 な、なんということでしょう。
 無い脳みそで考えるあまり自分の世界に入り込んでしまったあげく、周囲への意識が全く無くなってしまった木偶の坊のような俺が無事にたどり着けた理由が、まさか高校生にもなって友人と仲良くお手て繋いで歩いていたからなんて。いくらなんでも意識を飛ばしすぎじゃなかろうか、自分よ。ということはあれか?教室を出てからずっと、道中、コンビニでも、俺はこのイケメン様と手をつないで歩いていたということなのか?……なにそれどんな羞恥プレイだよ!
 蜜夜も蜜夜でお手て繋ぐんじゃなくて、俺の意識を覚醒させろよ!いや!自分の世界に没頭しすぎてた俺が悪いんだけどさ!でもそんな醜態を晒していたのかと思うと恥ずかしすぎてたまらない。ていうか、どこだ。どのコンビニに俺たちは寄ったんだ。もう俺そのコンビニに行けない。だって俺ぜったい変な顔してたもん!きっと白目とかむいて、阿呆みたい口を開けてたに違いないもん!
 
 「まぁ、草太の言語回路がおかしいのはいつものことか」

 ちょっと待てコラ。なんですかその聞き捨てならないセリフは。いくら俺が万年国語の成績が一だからって、言っていいことと悪いことがあるってもんだぜい?
 物申してやろうと口を開いた俺だったが、「ほらはやく」と蜜夜に手を引かれあえなく沈黙。それになにか文句を言ったところで、国語五の蜜夜に国語一の俺が敵うわけがないのだ。

 「お、おじゃましまーす」

 「今日は家に誰も居ないから気にしなくてもいいぞ」

 「え?誰もいないの?!」

 「おう。父さん母さんは結婚記念日で外で飯食べてくるって言ってたし、姉貴は今日もラボ泊まり」

 「そ、そうなのか」

 「だからなんの遠慮もしなくていいからな、草太」

 ひ、ひぃぃぃぃ!
 にっこり。蜜夜の笑顔におののく俺。
 器用に脱いだ靴を足で揃えて玄関の襟にあがった蜜夜に見下ろされ俺は脱兎のごとく逃げ出したくなった。だけどいまだに俺の右手は蜜夜に握られているし、ここで逃げたら蜜夜に隠し事をしていることを肯定してしまうのと一緒だ。服の下では冷や汗タラタラ。やだ。やめて。私の秘密を暴かないで!なんて三文芝居のようなセリフが頭の中をぐるぐる。

 「はやく靴脱げよ」

 「…うっす」

 ぐるぐるしてても不思議なことに蜜夜の声はちゃんと聞こえるので、言われたとおりのろのろと靴を脱いでいく。右足をまず脱いで、その次は左足。蜜夜のたつ縁に先に脱いだ右足から乗っけて、左足も乗っければさっきよりも近くなった視線に蜜夜が笑う。そのまま蜜夜のエスコートで二階の部屋へと連れて行かれる。その間も、なぜか俺の左手は蜜夜の手に握られたままであった。
 階段をのぼって突き当たりを左。そこが蜜夜の部屋である。右側はお姉さんの部屋。いつもならそこからひょっこりと顔を出して挨拶してくれるお姉さんも、ラボに泊まっているので今日はいない。
 俺と蜜夜しかいないこの空間。仕方がない。俺も腹をくくるときがきてしまったようだ。
 
 「どうした草太。借りてきた猫みたいにおとなしいな」

 「うるさい。俺は慎ましやかなんだよ」

 こちとらいつ君に秘密がバレてしまうかひやひやなんだ。
 そんな俺を知ってか知らずか笑う蜜夜は楽しそうである。まるで、全てお見通しだよ。と言われているようで落ち着かないったらありゃしない。

 「草太、慎ましやかなんて言葉知ってたんだな」

 なので今はその無礼極まりない発言も無かったことにしてやろう。べつにその笑みに恐れをなしたわけじゃない。
 ガチャリ。やけに大きな音をたてて部屋の扉が口を開ける。何度もこの部屋には訪れたというのにドキドキが止まらないのは、なんでだろう。
 手を引かれる。その姿はさながらどこかの英国紳士だ。もちろん英国紳士なのは蜜夜で、俺は英国紳士の住む庭園に迷い込んだ下町の小僧だな。蜜夜も俺なんかの手じゃなくて、もっと美人な女の人の手を引けばいいのに。その顔とルックスなら女性の方から膝をおって「お願いします」と手を差し出されそうなのに。
 そんなことを考えていれば背後で扉の閉まる音。いぜん左手は繋がれたままで、そのままベッドの方へと先導される。左手をくいっと下に引かれ、促されるままベッドに腰掛ける。そして一拍遅れて蜜夜も俺の左となりに腰かけた。蜜夜は長い足を組んで、俺の顔を覗き込んくる。左手はまだ、繋がれたままだった。

 「さてと草太。ーーー服、脱いでみようか」

 にぃっこり。
 さらっさらの黒髪の隙間から楽しげな瞳が覗く。わぁ、楽しそうでなによりです。なんて悠長に言えたらどれだけ良かったか。君が楽しそうで良かったよ。なんて色男みたいなセリフを言える状況でも心境でもない。だけど人としての防衛反応は働くらしく、俺は敵意はないですよと腹を見せる動物のように「は、はは」なんて乾いた笑みを無意識のうちに浮かべていた。叶うことならさっきのセリフは聞き間違いで、出来ることならおいとましたいな。そんな想いをこめて不恰好に笑う俺に、イケメン蜜夜くんは容赦なく追い討ちをかけてくる。

 「そーうーた」

 服、脱ぐよな?
 害はないですよ。みたいな笑顔を浮かべているけれど、その笑みの裏に隠されているのは絶対王政だ。イェス、ユアハイネス。あなたの言うことは絶対です。逆らおうものなら即刻打ち首にあいそうである。時代錯誤もいいところだが、蜜夜なら笑顔で命じそうだ。いや、さすがにそれはないか……と言い切れないところがなんとも複雑である。

 「し、下ですか……?」

 「下でもいいけど、今日は上。それとも全裸がいいのか?」

 「上だけでお願いします」

 光よりも速く返事した。
 物理的に無理だと分かっているが、俺の中で今の返事は光速を超えた。奴の目は本気だ。本気の目をしていた。冗談抜きでまっぱにされる。狩人の目をした蜜夜に逆らう術を母ちゃんの腹のなかに忘れてきてしまった俺はぷるぷると情けなく震えながら言うことを聞くしかないのだ。いや、もはや最初からそんなものは存在していないのかもしれない。だって彼は生まれながらの唯一の王!

 「なら、はやく、脱ぐ」

 「は、はい!」

 どうにかこうにか現実から逃避しようとするけど、蜜夜問屋はそうはおろさない。いまだかつてない暴虐に俺の乳首が暴かれそうになる。嫌だと思いつつ俺の手はセーターを脱ぎ捨てていた。ばさり。ベットの上に放り投げられた音を聞きながらどうしてこんなことになってしまったのかと俺は泣きたくなった。普通の状態であれば上半身を脱ぐくらい平気なのだが、でも今は普通じゃない。なんたって男子高生である俺が乳首に絆創膏を装備しているのだ。あぁ、もう、本当に、どうしてこうなった。考えるまでもなく原因は一つなのだが、それでも、こんな状況に陥ってもミケランジェロを責める気持ちは沸き起こらない。親バカもここまでくると憐れというかなんというか。
 傷を憎んでミケランジェロを憎まず。と言いつつ俺はミケランジェロにつけられた傷も憎んでなどいなかった。なぜなら俺にとってその傷はミケランジェロからの愛の証いがいのなにものでもないからである。故に俺が憎むのは蜜夜に隠し通せなかった己の力量の無さだけだ!猫バカとでも親バカとでも言いたいように言うがいいさ!

 「どうした草太?手が止まってるけど」

 「う、うぅ〜」

 セーターは豪快に脱ぎ捨てられたけど、ワイシャツを脱ごうとしたところで手が止まってしまった俺に蜜夜が尋ねてくる。その声はいっけん慈愛に満ち溢れているのに、促す内容はまったく慈愛とは程遠い。悪魔はきっと、蜜夜みたいな容姿をしているに違いない。
 人を誑かすために悪魔は見目のいい姿をしていると何かで読んだことがあるけど、なるほど。納得だ。

 「うぅ」

 唸りながらも俺はワイシャツのボタンを外していく。嫌なのに。本当に嫌なのに。蜜夜に逆らえない自分が恨めしい。ちくしょう。あとで絶対なにか奢らせてやるからな。

 「はは。なんかストリップみたい」

 「…っ」

 笑って言われた言葉にかっと顔が熱くなる。ストリップだなんてあんまりだ!この状況を生み出したのは蜜夜で、俺はこんなこと望んでないのに。まるで俺がエッチなことをしているみたいに言わないでほしい。という文句は羞恥のあまり喉の奥でからまって音にはならなかった。
 せめてもと顔をうつむかせて蜜夜の視線から逃れようとする。だけどそれでも感じる視線の強さに、顔どころか身体中が熱くなる。
 いつもなら第二ボタンまであけたらガバァッとスポーンと脱ぎ捨てるけど、状況が状況なので上品に全てのボタンを外したままから動けなくなった俺の名前を、

 「草太」

 蜜夜が呼ぶ。
 ただそれだけで動かなかった体が動くのだから、もしかしたら俺の脳には蜜夜の言うことをきくようにするための装置が埋め込まれているのかもしれない。なんて羞恥で定まらない俺は思うのである。
 はらり。肩からワイシャツが滑り落ちていった瞬間、俺を見つめる蜜夜の雰囲気が、変わった。

 「誰にやられた」

 かけられたのはそんな言葉。
 今まで聞いたことのない蜜夜の低い声。
 不機嫌さをまとったその声に、俺は羞恥も忘れてうつむかせていた顔をあげる。そうすれば無表情にこちらを見つめる蜜夜と目があって「ひぇっ」と情けない声をあげてしまった。
 なんか、怒ってる。
 なんかよく分からないけれど、蜜夜様が尋常じゃなくお怒りである。
 いまだかつてこんな風に怒りと不機嫌さをあらわにする蜜夜は見たことがない。ゆえに対処法が分からず俺は頭に大量のはてなを浮かべながら体を縮こまらせることしかできなかった。
 やだ。めっちゃ怖い。イケメンの無表情って怖すぎるだろ。いつも笑顔を浮かべているせいでそのギャップが際立ちまくっている。
 乳首に絆創膏を貼って引っかき傷まみれの上半身をさらす俺と、そんな俺を無表情で見つめる絶世の美男子蜜夜。それも二人ともベッドの上に座っているときた。本当に、なんだろうこの状況は。さっきからなんどなんども思っているけれど、飽きずに巡るのはそんなことだった。
 もう全てが謎すぎて俺の理解の範囲を超えている。なによりなんでそんなに怒ってるんだよ。迫力がありすぎてちびっちゃいそうなんだけど俺。

 「それ、誰にやられた」

 何も答えられずにいる俺に蜜夜は繰り返す。
 それとは、花の一本道みたいに引かれた引っかき傷のことだろうか、それとも乳首に貼られた絆創膏のことだろうか。萎縮してしまった脳では蜜夜のそれがどれを指しているのか分からない。分からないけれども、なにか答えなければ今すぐにでも息の根を止められてしまいそうだ。

 「えっと、それ?それは、あの、えっと、」

 「草太。怒らないから言ってごらん」

 もう怒ってるじゃん!
 そんなツッコミを口に出す余裕さえいまの俺にはなかった。理不尽といえば理不尽な蜜夜の襲撃にちゃんとした言葉が口から出てこない。だけどオレがちゃんと蜜夜に説明しないかぎり、この空気は続くのだ。そんなの、俺のハートが耐えられない。

 「み、」

 「宮田か?」

 「ちが!宮田じゃな…っ、」

 「じゃあ三池か?」

 それも違います。という思いを込めて頭を左右にふる。そもそも宮田も三池もクラスメイトだけどグループが違うからあまり喋ったことがない。それはいつも側にいる蜜夜が一番知っているはずだ。というか、そもそも犯人は人じゃない。

 「ミケランジェロ…!」

 「……は?」

 「ミケランジェロに、引っかかれました!」

 犯猫なのである。
 俺が愛してやまないにゃんこ、ミケランジェロが、やりました。

 「乳首を?」

 「っ!ち、乳首を」

 「この腹の傷も?」

 「腹の傷も!ミケランジェロに!やられたの!」

 「…じゃあ引っかかれて痛かったから乳首に絆創膏はってるのか?」

 「…っ、そうだよ!服に擦れるとめっちゃ痛いんだよ!だから貼ってるの!」

 改めて事実を述べられるとあまりの恥ずかしさに発火して燃えてしまいそうだ。今すぐにでもこの場から立ち去りたい。そんな気持ちでいっぱいになる。どうかお願いだ。今見たことはなかったことにしてお家に帰してくれ!
 だけどいつだって事態は俺の願いとは真逆へと転がっていくのだ。

 「…へぇ、そっか」

 そのそっかは、どんなそっかですか…?
 不自然なくらい無邪気に笑う蜜夜に、俺は自分の死を覚悟した。






 そして話しは冒頭へと戻る。
 薄ら寒い予感に身を震わせる俺をあろうことかベットに押し倒した蜜夜は、それはもう思いっきり乳首に貼られた絆創膏をはがした。「い゛…っ」痛みに声を上げる俺に「ホントだ、傷ついてる」と言う蜜夜は悪魔である。いきなり剥がされた痛みに涙を浮かべる俺を見下ろして、「ごめんな。痛かったよな」と蜜夜は笑みを浮かべた。その笑みに脳が警笛を鳴らすひまもあたえず、蜜夜はぎゅむりと俺の乳首を摘んできた。それほど強い力ではなかったが、傷ついた乳首にはその刺激でさえ痛みとして処理される。もたらされた別の痛みに、今度こそ目尻から涙があふれた。
 流れた涙を、乳首を摘んでいない方の手で拭われる。その手つきはひどく優しいのに、乳首を摘む手は意地悪だ。

 「やだ、やめろよ蜜夜ぁ」

 「ん。草太、大丈夫だから」

 なにが大丈夫なんだよ。
 無責任にも大丈夫だと言う蜜夜に嫌だと、やめろと首をふる。だけど蜜夜はもう一度大丈夫と繰り返すだけで止めてくれるつもりはないらしい。安心させる為にかおでこにキスを落とされたけど、そんなので安心できるわけがなかった。

 「いたい?」

 「いたい、いたいよ蜜夜」

 「本当に?」

 痛いだなんて当たり前のことを聞かれたから痛いと答えたのに、蜜夜は変なことを言う。「本当に?本当にいたい?」聞かれてそこで、俺は蜜夜の触り方が変わっていることに気がつく。乳首を摘んでいた指は、こんどは傷を癒すように優しく撫でるものへと動きを変えていた。絶妙な力加減で撫でられ、痛みとはちがうこそばゆさに襲われる。撫でられるたび体が小さく跳ね上がる。それも恥ずかしいのに「んっ、」とか鼻から抜けたような変な声も出てしまって、俺の恥ずかしさ指数はぐんぐんあがっていった。
 
 「ひ…っ」
 
 撫でていたかと思えば最初よりも強めに摘まれて息がつまる。痛みとこそばゆさが混合した不思議な感覚に襲われ脳内処理が追いつかない。
 痛いだけではないその感覚は、なんだかやばい。かろうじて考えられたことも乳首を摘まれる手に邪魔されて霧散していった。

 「なぁ、舐めてもいい?」

 「ぁ、な、なにを…?」

 「草太の乳首」

 「んぁあっ」

 ぎゅむー。と乳首を摘まれてひときわ大きな声を上げてしまう。なんだかとっても聞き逃してはいけないようなことを言われたような気がするのだが、乳首への刺激が強すぎて蜜夜の言葉がうまく頭に入ってこない。じんじんと、熱を持つ乳首の感覚だけに頭を、体を、支配される。
 強く、優しく、強弱をつけて摘まれて体から力が抜けていく。腰のところから這い上がってくるぞわぞわ感に俺はどうしようもなくなって、助けを求めるように声を上げるしかなかった。

 「みつやぁ、だめ、やだ…っ」

 「まぁまぁ、そう言わずに」

 うわ言のようにだめだと、やめてと繰り返す。だけど抵抗の手はベットに縫いとめられ、蜜夜の顔がゆっくりと下がってくる。左手だけで俺の両腕を頭の上でまとめあげ、右手では変わらず乳首をいじる蜜夜。痛いだけの行為であるはずなのに、背筋を震わせるのは痛みだけが理由じゃない。これ以上はダメだ。本当に新しい扉をノックしちゃう。むしろノックした扉がすでに開かれそうだ。
 
 「…ん、やだっ、ぁ、やめ、ろ…っ」

 「その割にはめっちゃ気持ち良さそうだけど?」

 「ひぃあっ、やだぁ、いたいっ、いたいからぁ…!」

 「嘘つきは泥棒のはじまりだぞー?」

 悪い子にはお仕置きが必要だよな?
 そう俺の耳元で囁いたかと思えば、視界から蜜夜が消えた。そして次の瞬間、俺の乳首は初めて感じる熱に包まれていた。

 「あぁぁっ!」

 「ん、いい声」

 「うそ…っ、やだ、蜜夜っ」

 舐めやがった。
 本当に人の乳首を舐めやがった。
 いや、舐められるというより口に含まれた。
 まるで母親の母乳をすすろとする赤ん坊みたいに乳首に吸いつかれた。ぢゅ。なんて卑猥な音を立てて口を離したかと思えばれろれろと乳首を舐められる。ひ、卑猥だ。蜜夜の赤い舌と俺の乳首というのが残念だが、この組み合わせは卑猥すぎる。思わずガン見してしまう俺の視線に気がついたのか、伏せられていた蜜夜の瞳が俺を見た。

 「…っ」

 は、孕む!これはやばい。孕んじゃう!
 目が合った瞬間とんでもねぇ衝撃に体を貫かれ、次いで思ったのはそんなこと。男の俺がそう思ってしまうほど、蜜夜の色気は凄まじかった。長めの前髪の隙間から俺を見てくる蜜夜のなんとエロいことか。こんなエロい顔をした蜜夜は初めて見る。男の色気全開で、女の子ではなく俺の乳首に舌をはわせる蜜夜に心臓は全力疾走だし、目が合ったことによってなぜかぞわぞわ感が増す。
 
 「草太、気持ちいい?」

 目を合わされたまま聞かれる。赤い、赤い舌が、傷ついた突起を舐め上げる。本来なら痛みを感じるはずなのに、舐められるたび体をつらぬくのは痛みとはちがうものだった。だけど俺はそれを認めたくなくて首をふる。ちがう。うそだ。そんなこと、あるわけない。
 男である俺が、乳首を舐められて気持ちがいいと思うなんて、そんなことあるわけがないんだ。
 否定する心とは裏腹に、俺の口からは意味のない言葉ばかり溢れ出し、閉じきれなくなった口の端からよだれがつたう。気持ちと心が乖離していく感覚に、俺はどうしようもなく怖くなる。
 こんなの知らない。こんなの俺じゃない。
 頭が混乱して、怖くて、俺は助けを求めてなんども蜜夜をよんだ。

 「蜜夜っ、蜜夜ぁ…、やだよ、たすけてっ、やだやだ!蜜夜…っ」

 「あー。ほらほら、大丈夫だから。な?」

 「んっ、みつや、みつやぁ」

 「そんなに呼ばなくても聞こえてるって」

 草太。大丈夫だから。
 こんな風にしてるのは蜜夜なのに、そう優しく言われると大丈夫なような気になってくる。乳首から顔を上げた蜜夜がさっきみたいにおでこにキスを落とす。今度はおでこだけじゃなくて涙をこぼす目尻にもキスされた。
 そんなことをしたってほだされないんだからな。と思いつつ俺の口は甘えた声で蜜夜を呼んでいた。

 「みつや、て…」

 「ん?離して欲しいのか?」

 俺の真意を汲み取ってくれた蜜夜の言葉にこくこくと頷く。しばし悩んだ様子を見せた蜜夜だったが「まぁいいか」と拘束していた手を離してくれた。ようやっと自由になった腕をのばして蜜夜に抱きつく。予想外の行動だったのか耳元で驚いた声を上げる蜜夜に構わず俺は思いっきり息を吸い込んだ。

 (みつやの、においだ)

 鼻孔を擽り肺をいっぱいにする匂いに安心する。香水もなにもつけていない、蜜夜自身の匂い。こんな状況を作り出している張本人の匂いだというのに安心するだなんて笑ってしまう。だけど安心してしまうんだからしょうがないじゃないか。誰に向かってか分からない言い訳を述べて、安心をより深く感じるため抱きしめる腕に力をこめる。
 そんな俺の耳元で、蜜夜は「はぁー」と大きく吐息をついた。
 弱い耳に吐息があたり体を震わせる俺を蜜夜が笑う。そうして俺の背中に腕を差し込んだかと思ったら、そのまま体を起こされた。起き上がり小法師みたいに起き上がれば、図らずも蜜夜と向き合って座る体勢になる。俗にいう大好きホールドみたいな格好だが、頭がまだはっきりしない俺は羞恥を抱くことなくその体勢を甘受していた。
 今になって思えば、上半身裸でイケメンの膝の上に座って抱きついているなんて状況恥ずかしすぎる。ある意味意識がはっきりしてなくて良かったと、後に俺は語る。
 
 「……あー。もういっそのこと最後までやっちまうか」

 蜜夜がなにかを呟いていたけれど、俺の耳にその言葉は入ってこない。俺はぼんやりとした頭で背中に回る蜜夜の腕の熱を感じながら、ある一つのことを考えていた。

 (もうぜったい、乳首はけがしない…)

 だけども決意を新たにする俺は知らない。
 今後乳首を怪我しなくても蜜夜に乳首をいじられる日々が続くことを。

 「………でもま、気長にいくか」
 
 そして最後には乳首だけではなく、あんなところや、あんなところをいじられてしまうことを。

 (…母さんにミケランジェロの爪きってもらおう)

 俺はまだ、知らない。





 END
 

乳首怪我したー、田村草太。(たむらそうた)耳の裏が弱い。触られるとふにゃふにゃになるぞ!

乳首いじったー、薊蜜夜。(あざみみつや)草太をいじくるのが大好き。とてもいい笑顔になるぞ!






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