君とつむつむ1

 虎視眈々美形×逆えない平凡










 どうしてついているのか分からない突起二つ。

 乳児の命をつなぐための液体が出るわけでもなく、お飾りのようについた二つのお宮。「本当になんでお前ついてるの?」と日頃疑問を投げかけていたその二つの頂を、

 「…ん、やだっ、ぁ、やめ、ろ…っ」

 「その割にはめっちゃ気持ち良さそうだけど?」

 「ひぃあっ、やだぁ、いたいっ、いたいからぁ…!」

 「嘘つきは泥棒のはじまりだぞー?」

 なぜか友人である男に弄られています。









 日頃まったく意識しない乳首を負傷した。

 どうして負傷したのかというと、その原因は我が愛猫のミケランジェロにある。
 ミケランジェロとは俺が小学生の時に拾ってきた雌猫である。野良猫なので雑種だが、三毛猫柄だったのでミケランジェロと俺が名付けた。
 車の影、ミーミーとなく声に気づいて覗き込んだのがミケランジェロとの運命的な出会いだった。小さな体をぷるぷる震わせながら必死に声をあげて鳴くミケランジェロに俺の小学生ハートは撃ち抜かれた。連れて帰らなきゃ。そんな天命にもにた想いにかられ、ペットは飼わんと父に豪語されていながら家に連れ帰ったのだ。

 子猫を抱えて帰宅した俺に母親は「あらあら」と困った表情を浮かべた。「にゃんこは飼えないのよ?」猫は俺の腕の中でぷるぷる震えていた。「お父さんが駄目って言ってたでしょ?」腕の中で震える猫は俺温かい。この生き物の温かさをあの寒い場所に戻すなんてことしたくなかった。だから俺は訴えた。震える猫を深く抱きしめ、無言で母親を見上げる。外は寒かった。冬がきていたから。俺だってこんなにたくさん着込んで外にでるのに、何もきていない子猫を外においやらないで。
 数分間。無言で見つめあって先に口を開いたのは母親だった。「…ちゃんと面倒みるのよ?」しょうがないわねと、母親が笑う。お母さんも一緒にお父さんに頼んであげる。続いた言葉に俺はそれはもういい返事をかえした。やった。これで俺はこの温もりを離さなくてすむ。そんな俺の気持ちが通じたかのように、それまで弱々しく震えていた子猫がどこか嬉しそうに鳴いた。

 そんな感動的なストーリーを経て、子猫を改めミケランジェロは我が家の一員となった。
 もちろんあれだけペットは飼わんと豪語していた父親もミケランジェロの愛らしさに一発KOされた。そりゃそうだろう。あんな愛くるしい姿でミーミー鳴かれたら頑固親父の一つや二つころっと絆されるに違いない。
 現に今ではいちばんミケランジェロに甘いのは他の誰でもない、父親だった。
 家族の愛情をうけ、ミケランジェロはそれはもう大きくなった。
 すくすくと健やかに、はてんこ…じゃなくて、じゃじゃう…じゃなくて、おてんば…じゃなくて、そう。元気一杯に、大きくなった。
 人の顔を見ながら壁で爪を研ぐのも、朝早く枕元に座り込んで餌くれコールをかますのも、人の上を容赦なく走り抜けていくのも、トイレに入ってると扉を全開にして開け放ったままにして去っていくのも、外に出せと窓に突撃するのも、ミケランジェロが健やかに元気一杯に成長した証である。良かった。元気に成長して。
 そんな風に涙ぐむ飼い主の心、飼い猫知らずな感は否めないが、まぁ、可愛いので全て許す。本当にウチの子可愛い。

 とまぁそんな風にデレデレと過ごしていたら、ついにやられたのだ。
 そう、ついに。
 乳首をガリっとね!
 いつもはつんけんと俺のところに来てくれないミケランジェロが、恐ろしいほど甘えてくるなとひけ腰になっている俺に、何を思ったかミケランジェロが飛びついてきたのだ。足元からいきなりジャンプしてきて、おれの体に爪をたてながら落ちていった。その時の俺の着用服、Tシャツ一枚。そのことがさす未来は悲惨なものであった。俺の胸から太ももまでミケランジェロの爪痕が赤く残り、突起で引っかかりが良かったのか乳首が受けた被害は甚大だった。ちなみに家族全員からの愛情を受けてすくすくと育ったミケランジェロの体重は五キロの大台に乗っていた。
 この年になって自分の乳首を搾乳することになるとは思わなかった。いや、搾乳ではなくただ単に猫の爪のバイキンを出すために血を絞り出していただけなのだが。今思うとかなりシュールというか、イタイ絵面である。まさか両乳首から血を流す日が来るなんて。さすがミケランジェロ。お前はいつも俺の予想斜め上をいく。
 体前面の痛みに悶えながらも、それでも俺の心はミケランジェロの仕打ちを許していた。俺のミケランジェロに向ける愛はとても深く、無条件に許し受け入れる。
 そんなこんなで乳首を負傷しなんとか止血に成功したた俺であるが、あら困った。
 いつもは全く気にならない乳首と服とが擦れる感触が想像を絶する痛みとなってやってきたのだ。
 俺は、あまりの痛さに声をなくした。
 膝からくずおれる俺の横では、何してんだこいつ。という表情でミケランジェロが俺を見上げていた。うん。本当にお前は可愛いな。
 襟もとをぐいっとひっぱって確認した乳首は、新たな血を流していた。せっかく着替えたTシャツについた赤い点々。どうしよう、これ。頭を悩ませる俺の横で、ミケランジェロが楽しげに鳴いた。まるで「どんまい」とでも言うように。いや、どんまいって、こんな風にしたのは君だからね?君のその鋭い爪が犯人…いや、犯爪だからね?ミケランジェロは、何食わぬ顔で俺の横を過ぎて行った。
 とまぁそんなかんじで乳首を負傷した俺なのである。
 ミケランジェロに相手にされない悲しさと乳首の痛みに涙を流しながら、俺はどうやってこの痛みと向き合っていこうか考えた。健常ではない乳首と服との接触が、まさかここまでの痛みを生みだすとは。俺はあの頃の乳首が恋しくなった。傷ひとつない、あの乳首

 そしてたどり着いた答えが…

 (やっぱり違和感がひどいな…)

 傷ついた患部を守るため、両乳首に絆創膏を貼ることだった。
 またの名をバンドエイド。傷口から細菌が侵入してくるのを防いでくれる、あのアイテムだ。最近は治癒力を高めてくれるものもあるらしいが、我が家にはオーソドックスの絆創膏しか常備されていないのでそれを装着した。右にぺたり。左にぺたり。鏡で確認した自分の姿は、まごうことなき変態だったと後に俺は語る。思春期真っ盛りの男子が両乳首に絆創膏貼ってるなんて、みようによっては性癖を拗らせちゃったとしか思えない。
 でも今は非常事態。これを貼らないでいると傷ついた乳首と服がこすれる摩擦によってとんでもない痛みが起こってしまうのだ。そう、これはすべて痛みから己を守るための苦肉の策なのだ。だから、断じて、俺が、性癖を拗らせてしまった変態さんとか、そういうことではない。腹や太ももについた傷にもペタペタ貼り付けたかったがそれをすると恐ろしく絆創膏を消費してしまうので、節約家の俺は我慢する。あまりにも痛みがひどい乳首だけでもカバーできれば大丈夫だろう。なんたって俺は、乳首以外の引っかき傷の痛みには慣れっこだからな。
 だてにミケランジェロから愛の鞭を受けていたわけじゃない。その愛の鞭は着実に、俺の引っかき傷への耐久度を上げていた。
 だけどまさか乳首を負傷するとここまで痛いとは…。まだまだ俺も修業が足りないということだろうか。なんて馬鹿な考えは置いといて。俺は鏡の中両乳首に絆創膏を貼り付けた自分を見つめる。

 「……これで学校いくのやだな」

 その上今日は月曜日。一週間は始まったばかりである。

 あぁ、二重の意味で憂鬱だ。







 

 (だめだ。すっげぇ違和感。乳首がめっちゃ気になる)

 どれだけ嫌でも乳首に絆創膏をつけているからという理由で学校が休めるはずもなく、どんより曇り空よりもどんよりな気分で登校した。
 セーターとワイシャツの下で身につけた絆創膏が気になって仕方がない。いつもと違う感触に落ち着かないし、そわそわする。あぁ、もう。なんで乳首なんて負傷してしまったんだろう、俺は。だけどミケランジェロを責めることなんてできないし…。うう。愛とは複雑だ。
 落ち着き無く椅子の上でもぞもぞ。セーターとワイシャツで隠れて見えないとはいえ、いつもと違う状況に小心者である俺の精神は冷や汗を流し続ける。大丈夫。見えてない。見えてないんだ。何度も繰り返して言い聞かせるけれど、俺の言い知れぬ緊張はほどけなかった。
 あぁもうやだ。おうち帰りたい。
 弱音百パーセントで机に突っ伏した瞬間、聞きなれた声が背後から聞こえた。

 「なにお前そわそわしてんの?うんこ?」

 「うわ!び、びっくりした…!いきなり背後から現れるなよ!びっくりするだろうが!それと別にうんこじゃない!」

 「背後って、普通に声かけただけじゃん」

 お前ビビリすぎ。と笑うのは艶やかな男だ。
 姓を薊、名を蜜夜という。
 薊蜜夜。中学からの俺の友人である。
 そしてこの男、艶やかと称したとおりとても見目麗しい容姿をしていた。
 まず第一に、身長が高い。この間の身体検査のときには179センチをたたきだし、その上今でもまだぐんぐん身長が伸びているというのだから驚きだ。俺なんか169からなかなか伸びないのに。この男はいつまで成長気分から抜けきらないのだろうか。別に、死ぬほど羨ましいとか思っていない。断じて。
 高い身長に加えて手足も長いから、同じ制服を着ているのに蜜夜が着るとまるでパリコレモデルが着る衣装みたいに姿をかえる。憎たらしい。なんて思っていない。断じて。

 「俺の背後から忍び寄るお前がわるい」

 「お前はゴルゴかよ」

 にかりと笑う歯並びは完璧だ。そして白い。お前は歯磨き粉のCMに出る芸能人か。というくらいそれはもう真っ白な歯がこれまた形の良い唇の間からこんにちは。今日もまぶしい歯ですね、本当に!
 歯だけではなく、顔の作りも極上だから蜜夜が笑うたびクラスの女子はまるで熱にうかされたようにため息をこぼすのだ。「眼福」だなんて中にはよだれを垂らす女子もいるのものだから、恐ろしいったらありゃしない。仮にも女の子なんだからよだれ垂らすのはどうかと思うが、そうさせてしまうほどの美貌を蜜夜は持っているから仕方がないのかもしれない。男の俺から見てもこいつのイケメン具合はやばいと思う。世に騒がれているイケメン俳優も目じゃない。
 襟足長めの髪型も俺がしたら笑えるけれど、蜜夜がするとそれはもう格好良い。首筋に流れる髪の毛がなんだかエロいのだ。あと、髪の隙間からみえるピアスもやばい。チラ見せっていうのがこれまたエロいと女子の間でも好印象をうけている。
 そんな男が俺みたいな平凡野郎と中学からの腐れ縁なのだからびっくりだ。
 イケメンは、同じイケメン同士でつるむものだと思っていたが俺のそんな偏見はこの絶世のイケメンによって塗り替えられた。イケメンは、平凡とも友達になってくれるんだぜ。

 「で、うんこじゃないならなんでそんなにそわそわしてんの?」

 「そわそわしてない」

 「嘘つけ」

 「嘘じゃない!」

 「あー、はいはい」

 完璧に子供扱いだ。下の子にするみたいに頭をぽんぽんと撫でられる。その眼は雄弁に語っていた。「お前がそう言うなら、そういうことにしておいてやろう」と。おい、なんだその目は。たしかに乳首に絆創膏貼っているせいでそわそわしてるのを隠したのは俺だけどさ、そんな目をむけられるとなんかあれだ、負けた気がする。
 だからと言って乳首絆創膏のことを打ち明ける気は全くないけどな。
 悪戯好きの蜜夜には口が裂けても乳首怪我して絆創膏貼ってるんだ!なんて言えない。言おうものならきっと悪逆の限りを尽くされるに決まっているのだ。その未来だけはなんとしても阻止しなければいけない、俺のためにも。

 「草太は今日も元気だなー」

 「えぇい、頭を撫でるな!」

 「なんだよ、俺と草太の仲だろ?そんな冷たいこと言うなよなぁ、反抗期か?」

 俺は寂しいぞ。なんて言葉と一緒に伸びてきた手に俺の背筋がゾクリ。なぜならその指が俺の弱点でもある耳裏をなでてきたからである。

 「うひゃぁ!?み、耳はやめろ馬鹿蜜夜!」

 「可愛くないこという子にはお仕置きです」

 「ひぃっ、やめ、やめろってば…っ」

 こしょこしょこしょ。なんども撫でてくる指先にぞくぞくが止まらない。昔から耳の裏が弱い俺はそこを触られると体の力が抜けてへにゃへにゃのふにゃふにゃになってしまう。そのことを知っているからこそ、蜜夜はとてもいい笑顔で俺の耳の裏をいじる手を止めない。

 「ん?どうした草太?」

 「やだぁ、やだってば蜜夜ぁっ」

 切れ長の目尻を下げて首をかしげて微笑む姿は文句なしにイケメンだ。きっと女の子達もうっとりと頬を赤らめることだろう。だが、今この瞬間の俺にとってその微笑みは悪魔の笑みいがいのなにものでもなかった。
 やめろと言うのに「まぁまぁ」なんて意味の分からない返しをされ懇願は沈没。難波船はふかく沈んでいきました。
 なにが悲しくて友人に、それもみんながいる教室内でこんな情けない姿を晒さなければいけないのか。憤慨しつつ体の力が抜けてしまって抵抗らしい抵抗ができない。
 なんでこんなに耳の裏が弱いんだろう、俺。己の弱点が恨めしくてしかたがない。それ以上に、人の弱点をそれはもういい笑顔でいじくりまわす蜜夜が憎たらしくてしようがない。
 この、顔だけイケメンめ!

 「……マジでくそ可愛すぎだろ」

 ぞんぞわに耐える俺は気づかない。蜜夜がそんな末恐ろしいことをつぶやいていたことに。背筋をかける感覚に耐えるのに精一杯な俺に、蜜夜の様子を伺い見る余裕なんてない。本当にもうやめてくれ。なぜか絆創膏の下の乳首までもがぞわぞわしだしているような気がする。なんだかこれ以上続けられると開いてはいけない扉を開いてしまいそうだった。
 やめて欲しい。その一心で蜜夜を見上げる。
 変わらずいい笑顔を浮かべる蜜夜と音が鳴るほど目が合う。片耳だけにかけられた耳がなんともエロい。じゃなくて。同性の俺まで誑かしてしまう蜜夜の美貌、恐るべし。じゃなくて。

 「蜜夜ぁ、ほんとにっ、やめろ…っ」

 「……」

 なんで無言なんだよ!
 なんとか目を見てやめろと言うことには成功した。俺の想いが届いたのかピタリと蜜夜の指が止まるけれど今度は無言でじーっと見つめられ俺はいたたまれない気分になる。イケメンにまじまじと見つめられるのはたとえそれが友人でもどぎまぎしてしまうというものだ。それに蜜夜は滅多にお目にかかれないくらいの極上のイケメンだ。その破壊力は想像を絶する。

 「……はぁ。これだから天然は」

 あざとすぎなんだよ。
 なんて意味の分からないことをぶつぶつ言いながらやっと蜜夜はその手を俺の耳裏から離した。
 念願の解放に俺はへなへなと机に倒れこむ。ただでさえ乳首絆創膏のせいで精神をすり減らしているのに、朝からこの仕打ちってないと思う。おかげでまだ朝のホームルームさえ始まっていないというのに俺の精神力体力ともに底をついてしまいそうだ。
 
 「もうやだ。蜜夜なんか賞味期限切れの牛乳でも飲んで腹下しちゃえばいいんだ」

 「地味に嫌な呪いだなそれ」

 ははは。なんて笑う蜜夜はどこまでも爽やかだった。「薊くんかっこいい」隠す気もないのかそこかしこから女子たちのそんな声が聞こえてくる。
 まぁ、たしかに格好良いけどさ。でもみなさんにはさっきのでお分りいただけただろう。俺が頑なに乳首絆創膏の事実を蜜夜にばれたくないと思うのか。
 今でさえこれなのだ。もし乳首に絆創膏を貼っているなんてバレようものなら、

 (絶対とんでもないことになる…!)

 だから俺はこの秘密をこの友人である男にバレないようにしなければいけないのだ。何度も言うように、それは俺の保身へとつながる。頑張れ俺。見事な演技力で蜜夜を騙し通すのだ。

 「それにしても一限目から体育とかダルいよな」

 「……え?」

 「え?って、昨日言ってただろ?時間割の変動で一限目が体育になるって」

 マジか……。
 告げられた言葉に冷や汗がたらり。
 俺はなんで今の今までこんな重大なことを忘れてしまっていたのだろうか。そうだ。そういえばそんなことを昨日担任が言っていたような気がする。四限目の体育と一限目の数学が逆になると。なにより、高校には「体育」という着替えを必要とする授業があることを。
 なんてこった。やばいやばいやばい。え、マジか。

 「…なんで胸隠してるんだ?」

 「べ、別に?!」

 冷や汗たらたら。心臓ばくばく。
 不思議そうにこちらを見る蜜夜と視線を合わせられない。大丈夫。俺はやれば出来る子。
 
 「乳首でも腫れたか?」

 「……!」

 ちょっとやだ!この子鋭すぎて怖いんだけど!




 




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