夏悟り 1
 
 仲良し四人のある夏のこと。












 夏は人を馬鹿にする。
 なんだか開放的になってしまう空気も、露出度を増す肌の色も、暑さで低下する思考力も、夏のもたらす影響は莫大だ。俺的統計でも、その事実は確かである。
 そうです。
 夏は人を馬鹿にするんです。






 「花火をしよう!」

 夏休みまであと三日。きたる夏休みにどこかそわそわとした空気のなか、夏の暑さにも負けない元気馬鹿の声が鳴り響く。
 まるで選手宣誓のように右手をピンとあげてキラキラと宣言する倉田に、俺と木橋は「お、おう…」と毛押され気味に返事をし、隣に座る神栖は「いいねぇ〜!」と身を乗り出した。
 女子みたいにキャッキャといつにしようかー!なんて話し合う倉田と神栖に「元気だな、こいつら」と木橋と二人笑いあう。小柄な倉田と身長のある神栖が楽しげに会話している様子は仲の良い兄弟みたいでなんだか微笑ましい気分になる俺と木橋である。仲の良い兄弟って、見ているだけでもほっこりするからな。

 「やっぱりやるなら海がいいよな!海!」

 「だよねぇ〜。だとしたらあそこの海が一番近いから、そこでやろうよ」

 「よし、場所決定!木橋と京師も海でいいよな!」

 俺と木橋を置いて、話しはどんどん進んでいく。賛同の言葉を口にしたのは神栖だけで、俺と木橋は気圧され気味に相槌をうっただけなのに、どうやら俺たちも当然のように行くことになっているらしい。太陽も顔負けな輝く笑顔で親指を立てる倉田にまたしても俺たちは「お、おう…」と気圧され気味に返す。
 もうすでに夏バテ気味の俺に、倉田の押せ押せテンションはなかなかにきついものがあるがそれを嫌だなと思ったことはない。俺と同じ冴えない顔をしているのにいつも元気いっぱいな倉田のそばにいるとなんだかこちらも元気になる。言っていることはだいたいとんちんかんだったりするけれど、楽しそうに笑う倉田を見るとこっちまで楽しくなってくるから凄いと思う。俺には倉田みたいに誰かを元気にすることなんてできない。そんなことをぼんやり考えていたら肩に重みがかかる。

 「けいちんノリ悪ーい」

 「こら!くっつくな馬神栖!暑い!あーつーいー!」

 「暑いのは俺もだから我慢してよ」

 「暑いなら離せよ?!」

 そう矛盾したことを言って首元にまとわりついてくるのは、さっきまで倉田ときゃいきゃい騒いでいた神栖だ。
 ピントがずれるほどの近距離に顔を近づけて密着してくるものだから暑苦しくて仕方がない。密着したところからじわりと汗で湿っていく感触が不快度指数をあげていく。冬ならまだしも、夏にこの近距離はよろしくない。まったくもって、よろしくない。
 離せともがく俺の耳元で「いーやーでーすー」と間延びしてもそこなわれない美声が拒否の意を唱える。近すぎてピントがぶれぶれだが、きっとその顔はへらりとしまりのない表情を浮かべているに違いない。神栖は、人の嫌なことをするのが大好きで仕方がないひねくれ野郎だから。その中でもなぜか群を抜いて俺の嫌なことをするのが楽しすぎて仕方ないらしい。これは俺の推測ではなく本人から言われたことなので確かすぎるほど確かな情報である。
 あの時の神栖の笑みを俺は一生忘れないだろう。人生でもっとも人を殴りたくなった瞬間として。

 「なぁなぁ、いつにする?いつ花火する?今日?」

 「倉田。それは急すぎるだろ」

 「じゃあ明日?」

 「せめて夏休みに入ってからにしてくれ」

 待ちきれない子供みたいなことをいう倉田に優しくツッコミをいれるのは木橋である。
 短髪爽やかスポーツ青年な木橋はやれやれと手のかかる弟を見守るような優しさで単細胞倉田の舵を取ってくれる。きっと木橋がいなければ倉田は暴走列車のように周りなどお構いなしに駆け抜けていたであろう。さすが四兄弟の長男はやんちゃ坊主の扱いがうまい。
 それにくらべて、こちらの長男のだらしさはなんだろう。まとわりつく腕にため息が溢れる。
 自分から抱きついてきておいて「あー。今日もあついなぁ」とほざいてる神栖は完璧に長男詐欺である。二つ離れた弟君の方がよっぽど兄らしく、しっかりしている。礼儀正しくお辞儀して挨拶してくる姿には、本当に神栖と血が繋がっているのかと疑ってしまったくらいだ。神栖、お前どこから弟君をさらってきたんだ?とつい聞いてしまった俺を責められる奴は居ないだろう。
 神栖同様優秀な遺伝子を引き継いだ弟君は、その遺伝子の上にあぐらをかくなんてことはせずそれはもう誠実に接してくれる。神栖が人を馬鹿にして誘惑する悪魔だとすると、弟君はその誠実さをもって人を導く天使であった。美少年を経て美青年へと成長した天使さんだ。
 神栖ももっと弟君の誠実さを見習ったらいいと思う。何を考えているのかわからない笑顔を浮かべてあっちにそよそよこっちにそよそよせずに、弟君みたいにどどんと腰を据えればいいのに。
 俺は時々神栖は風に吹かれる綿帽子のようにどこか遠くへ飛んでいってしまうのではないかと、そんなことを考えてしまう。社交的といえば、社交的。だけど絶対に引かれた線の内側には誰も入れようとしない。暑い暑いとさわぐけれど、その肌は他人を拒絶するように体温が低いことを知っている。その肌が熱を持つ瞬間は、あまり知らないけれど。

 「変な顔してる」

 どうしたの、けいちん。

 耳元で声が鳴る。
 横目で見た神栖は、頭を抱えていつ花火をしようか悩む倉田を見ていた。口元にゆるく笑みを浮かべて、地団駄踏む倉田を面白そうに見ている。
 俺の方を見ていないくせに、どうして俺が変な顔をしているのだと分かるんだろう。いや、こいつのことだからどうせ適当なことを言って俺をからかって遊ぼうとしているに違いない。そう結論付けて頬っぺたと鼻先がくっついてしまいそうなほど近くにある顔に言葉を返す。

 「なんでもない」

 「餌をもらえると思ったのに貰えなかった犬みたいな顔してたよ」

 「なんだよそのたとえ…」

 神栖が笑う。あいつに抱きつかれている俺にもその振動が伝わってくる。こんなに密着しているのに、やはり神栖の体温は温まりきらない。
 そのことが少しだけ残念だなと思った。

 「俺はそんな物欲しそうな顔してねぇよ」

 「してたしてた。よだれ垂らしそうだったよ」

 「そんなに俺の口角筋はゆるくねぇ!」

 「うそだー。いつも授業中馬鹿みたいに口開きっぱなしじゃん、けいちん」

 「……ぐっ!あ、あれは、授業が分からないだけで……!不可抗力だ!」

 「そんなこと言ってるから成績が上がらないんだぞ」

 「えぇい!黙れ黙れ!」

 語尾に星マークでもつきそうなノリで言われて巻きつく腕を払いのける。「きゃー」だなんて棒読みの悲鳴と一緒に離れていった腕のおかけで一気に首元が涼しくなった。それと同時に、あっという間に神栖の温度が、消えていく。

 「すぐにキレる男はモテないよ」

 めげない腕は、払いのけられてもなお伸びてくる。逃げようと上半身を動かすも、いとも簡単に白い腕が絡んできて、そして笑いまじりの、一言。
 さすがイケメンの言うことは違いますね。たしかにモテ男神栖くんが短気を起こして怒ってるところなんて見たことありませんもんねー。なんて言うとでも思ったか。

 「俺が短気なのはお前にだけだ」

 「けいちん、いたい」

 なんのためらいもなくイケメン様のほっぺたをつねってやる。少しでも神栖の美形度が下がって女子に愛想をつかされてしまえばいいんだ。なのに「神栖くんかわいい」とか「神栖くんの顔になんてことしてくれてんのよ」という女子の声が聞こえてくるのだから、イケメンって本当に罪深すぎる。
 神栖の言葉が正しいのなら俺だってモテてもおかしくはないのに、現実は顔のいい奴らの方が圧倒的に有利ということか。だって俺は女子に対してはもちろん、男子に対しだってそんなに短気を起こしたことないもん。それなのに黄色い悲鳴がいっこうに俺に向けられないということは、つまりは、そういうことなのだろう。

 「こんなどっちつかずの男のなにがいいんだか」

 誠実さのかけらもないちゃらんぽらん男は俺にほっぺたをつねられたままなんの抵抗もみせない。みなさん、こいつはちゃらんぽらんプラスドMですよ。なんて声高らかに叫んでやりたい。こんな男より、こいつの弟君の方が何千倍も男としても、人としても良いですよ。とその間違った方向性を正してやりたい。
 だけどそんなことを実際にしようものなら女子たちの反感と「えー!神栖くん弟いるのー!」という大変面倒な状況になってしまうのが目に見えているので、俺は口にしないでいてやるのだ。なんて優しいんだろう俺って。
 そんな俺の優しの上にあぐらをかいて、神栖ときたらやりたい放題しやがって。

 「少しは見習ったらどうだ」

 「だれを?」

 「分かってるくせに」

 ほっぺたはつまんだまま、会話を続ける。最後の言葉に、神栖は何も返さなかった。ただ少しだけ、巻きつけられた腕がピクリと動く。
 頭上にある神栖のほっぺたを両手でつまんで会話を続ける姿はシュールだが、そのことにツッコミを入れられる人物は今は花火音頭を歌って踊るのに夢中な倉田の相手をしている。ぴゅーぴゅー、どっかーん。花火大爆発である。よく分からない花火の歌を歌う倉田に「倉田。もう少し声のボリュームを落とそう。な?」と木橋がさとす。一度はその言葉を受け入れる倉田だが、すぐにその声のボリュームはぐんぐん上がっていく。
 そのやりとりを遠巻きにみながらクラスメイトたちも笑っていた。

 「花火、楽しみだね」

 ぽとり。神栖は先ほどの会話などなかったかのように言葉を落とす。
 奇妙な沈黙の後に話しが巻き戻されたような、そんななんとも言えないもやもや感に苛まれながら俺は「そうだな」と返す。
 窓の向こうで蝉がなく。それは否応なしに夏を知らせ、夏の暑さをいろどる。神栖のほっぺたをつねる俺の腕は暑さに比例するようにじっとりと汗をまとい、少しでも体の熱を逃がそうと励んでいた。周りを見渡せばみんな同じように汗をかいたり熱を逃がそうと扇いだりしている。爽やか木橋でさえその額にしっとりと汗を浮かばせている。

 (不思議なくらい、サラサラだ)

 俺を抱き込むように回された腕は夏を知らないみたいに熱気をはじく。こんな腕で暗闇の中捕まえられた心底びっくりするだろうな。きっと大活躍だ。もちろんお化け役としてだが。

 「分かった!今日から毎日花火すればいいんだ!」

 「倉田……」

 あいも変わらず馬鹿なことしか言わない倉田と、名前を呼ぶしかできなくなっている木橋。いつも通りの風景に、自然とほおが緩む。毎日って、お前はどれだけ花火がしたいんだよ。さすがの木橋も笑うことしかできなくなっているじゃないか。
 でも夏休みが始まるからといって毎日花火は金銭的にも御免こうむりたいので、みんなで倉田の思考修正をかけるとしよう。頑張って木橋が倉田に言葉を砕いている姿を見ながら苦笑い。高校生にもなってすこし短絡的すぎる倉田の思考回路にはほとほと困らされるが、それが嫌だと思わないのは倉田の人柄のせいだろう。なんだかんだいいつつも倉田と一緒にいるのは、楽しいと思う感情があるからだ。それは俺だけではなく、他の二人もそう思っているはずだ。
 倉田によって引き寄せられたといっても過言ではない俺たちは今日も元気一杯な倉田を見て笑ったり苦笑したり。
 神栖のほっぺたをつまんでいた手を下ろす。代わりに未だ離れない腕をつまめば「痛いよ、けいちん」と神栖が訴えてくるけど、俺はそれを無視してやる。見ないふりをするのは、俺もお前もお得意だから。

 「楽しみだな、花火」

 「…そうだね」

 夏休みまで、あと三日。



 




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