灯台下の撫子
未成熟の恋
「だからやめろって言ったのに」
「……うるせぇ」
呆れ返った言葉に数秒唸ってから捻出した声は、我ながらほとほと疲れきっていた。今にも某ボクサーのように真っ白になってしまいそうなほど力ない。カウンターを決めることなく一方的にタコ殴りにされた気分だ。いや、むしろこれはあれだ。リンチだ。一対一だけど手足を縛られ転がされた俺に与えられる理不尽なまでの暴力だ。なんて言っているが実際に俺が肉体的暴力を受けたわけでも、どこかの誰かと命がけのボクシング対決をして自分の全てを出し切って真っ白になっているわけでもない。けれども、それでも、そう思ってしまえるほど今の俺は肉体的にではなく、精神的に多大なる被害を負っていた。
「今度は、今度こそは本当の愛を築けると思ったのに」
「だからあぁいう清純系の方がえげつないって言ったじゃん」
「だって大和撫子だった!!」
「その大和撫子に三股されて、挙げ句の果てには『え?私たち付き合ってたの?』って言われてフられたのはどこのどいつだよ」
「ここの俺ですよーだ!ばーか!ばーか!」
「いやいや。俺にばかっていわれても。それに引っかかったのはお前なんだし、ばかはお前の方だろうが」
「慰めろよ!労われよ!そこは二人三脚しなくていいの!そこは優しく俺を慰めるところなの!」
「あー…。めんどくせぇな、お前」
「ひとでなしーーーー!!!」
優しい顔してそんなことを言われても慰められるどころか心の傷は深まるばかりである。「はいはい。オレガワルカッタネー、ヨシヨシイイコダイイコー」傷心を抉るように感情の篭らない棒読みが追い打ちをかける。慰めてとは言ったけどさ、もうちょっとくらい心を篭らせてくれてもいいんじゃないかな。あからさまに棒読みだし、視線はもはや俺じゃなくて雑誌に向けられてるし、お前、全然、俺を慰める気がないだろ!
「でもまぁ、ことごとくフられるよなお前」
「やめて!そんなしみじみ。みたいに言わないで!どれだけ俺の傷をえぐる気なの!」
しみじみ言う時だけ俺のことを直視してくるとか最低だと思います!「ていうかその前によくお前に彼女できるよな」ぅおおおい?!これはあれですね!中傷罪の現行犯ですよね!これはお縄をちょうだいしちゃってもいいやつだよね?!自分がちょっと顔が整ってるからって、なんですかその全世界の平凡を下に見るような発言は!そういうの、ぼくは良くないと思います!
「なによ、なにさ!俺だって女の子とお付き合いしたっていいじゃないよ!ちゃんと俺なりに大切にしてたつもりだし頑張ってたのに、なのに……っ!うわぁぁぁぁぁん!」
「……はぁ。お前がちゃんとしてたのは分かってるっての」
だからやめろって、俺は言ったんだぞ?
泣き崩れる俺の頭を優しい手が撫でる。それと一緒に落とされた言葉に、でもさ、だってさと諦めの悪い俺は唇を尖らせた。中には向こうから告白してきたのもあったんだぞ。それなのに、あっという間に俺のお付き合いは終了してしまう。今回のは俺から告白したパターンだったけど、まさかお付き合い自体が無かったことにされていたとは思いもしなかった。あいつにブーイングを受けながら告白してOKをもらったのは、俺がみた白昼夢だったのかな。
彼女こそ俺の理想の『大和撫子』そのものだと思ったんだけどなぁ。今度こそ慎ましやかに愛を育んでいけると思ったのに。これまで同様奴の言う通りの結果に終わってしまうなんて…。
優しい手つきで頭を撫でられながらさめざめ。どうして俺を優しく撫でてくれるのはいつも彼女たちじゃなくて、こいつなんだろう。おかげで繊細な指先じゃなくて、節くれだった男らしい手の感触にすっかり慣れ親しんでしまった。
その事実にも絶望する俺の脳裏に今までの女性たちの顔が浮かんでは消えていく。前の子も、その前も、その前の前の子もやつの予言通りの結末に終わってしまうなんて…。もしかして俺はとてつもなく女性運が悪い星の元に生まれてしまったのだろうか。俺はただ、そっと寄り添ってくれる大和撫子と暖かな家庭を築きたいだけなんだ。なにも絶世の美女を求めてる訳じゃない。今俺の頭を撫でてるこいつみたいになんでも揃った文武両道美男子野郎に釣り合うような、そんな美女は求めていないんだ。ただ少し後ろに控えて、優しく微笑んでくれるような人と出逢いたいだけなんです。
「そんなに駄目なのか。そんなに俺が大和撫子を求めるのは許せないんですか神様」
「そもそも神様云々の前に、大和撫子とかもう絶滅危惧種だからな?いい加減目を覚ませ。現実の女はどこまでも肉食だぞ。お前なんか頭から丸ごとぱくんだぞ」
「アーアーアー。ナニモキコエマセン」
見ざる聞かざる聞かざる。
俺の夢を打ち砕こうとする悪魔の声には耳を傾けないぞ!
そんな心打ち砕かれそうな現実は、断固として拒否します。
「いい加減現実を認めろ。な?」
「き、キコエマセン…っ」
「泣くほどショック受けてるのにまだ認めないのかお前は」
「…ナイテマセン」
「あー…。そうだな。泣いてないな」
泣いていないと言っているのに、ぐしぐしと頬を拭われる。やめろ。やめない。やめろ。はいはい。そんなやりとりを数回してやっと離れた奴の指先はまるで水に濡れたように光っていた。
あれ、俺そんなに汗っかきじゃないのにおかしいな。なんであんなにあいつの指先が濡れてるんだろう。
男らしいと有名な奴の指先をぼうっと見つめていれば、指の持ち主がまたしても苦笑を浮かべる。
「仕方ないから、俺が可哀想なお前を慰めてやろう」
「可哀想っていうな…」
さっきまで雑誌に夢中だったくせに、しょうがないなって優しく笑うのは反則だと思います。なんだよそんなのただのイケメンじゃないかよ。ただのイケメンの犯行じゃないかよ。そうやってイケメンと平凡の差を見せつけようだなんて、問屋が許しても俺は許さないからな。
「ほら、何してほしい?」
だなんてイケメンに首を傾げても許さないものは許さないんだからな。甘い声と表情を浮かべればみんながみんなコロッといくと思ったら大間違いだぞ。俺は鋼の心を持つ男だから、お前の誘惑に負けたりなんかしない。
そこらへんの奴らと一緒にされちゃ困るんだぜ、ははん。
「今ならお前が食べたがってたハーゲンドッツも買ってやるぞ」
この年にもなってアイス一つで心の傷がどうにかなると思ってるのか。そもそも俺はそんなに安い男じゃない。断じて心が揺らいでたりとかしてないからな。
「朝までお前がやりたがってたゲームの相手もしてやるし、攻略法も特別に教えてやろう」
掲げられたあれは、あのゲームは、俺が愛してやまないシリーズものの最新作じゃないか。なんだよお前、興味ないって風を装っておきながら実はプレイヤーだったのかよ。それならそうと早く言ってくれればいいのに。ていうか、攻略法まで会得してるなんてなかなかのゲーマーじゃないか。
「それか欲しがってた漫画買うか」
最新刊、明日発売だろ?
そう続ける男は俺よりも俺のことを分かっているのかもしれない。
だって最新刊の発売日、俺すっかり忘れてたもん。むしろ今まで発売日覚えてたことないかも…。だって、いつもこいつが教えてくれてたから。
「どうする?」
なんだかんだ言いながら、こいつは結局最後には俺に優しくしてくれる。いつだって最後まで一緒に居てくれたのは他の誰でもない、目の前で微笑むイケメン野郎だった。時には厳しく、でも奴なりの優しさをもって励ましてくれるのは、憎むべきイケメン野郎なのだ。
本当にもう、この世って不公平すぎる。
俺の伸びるはずだった身長がこいつにいってしまったことも、神様の目隠しで並べられたちょっと残念な顔の配置も、体の健常さと引き換えに奪われた知力も、ほんのちょっと、ほんのちょっとずつ、俺にくるはずだったものを全て代わりに兼ね備えてるのに、俺の心の綺麗ささえお前はちょろまかしていたなんて、本当に、不公平すぎる。
俺の欲しいものをぜんぶ、持ちやがって。
「イケメンなんか滅んじまえ…」
「なんだそりゃ。でもそうすると俺も居なくなっちまうけど、いいのか」
たまらず出た恨み言にあいつは軽く笑う。笑って、自分がイケメンであることを肯定して否定しないところが恨めしい。ベットの上で胡座をかいてにやにやと、床に座る俺を見下ろしてくる。そんな物理的にもカーストを見せつけて傷心した平凡の心を八つ裂きにしたいのか。心がささくれ立った俺はついそんなことを思ってしまう。
バサリと、雑誌の落ちる音がする。俺は絶対に見ないような、男性のファッション誌。格好良いとはやし立てられる彼らよりも、今目の前にいる男の方が格好良いと感じてしまうのは身内のひいき目だろうか。
大きな音をたてて自分の膝の上から雑誌が落ちたのに、あいつは変わらずにやにやしながら俺を見ていた。慰めると言っておきながら、やはり人間の根本的な性格は変わらないということか。じとりと見上げる俺に、奴は「いいのか?」とまた首をかしげた。
あぁ、もう、
「ずるい」
俺の頭の中にはもう、今まで別れてきた女性たちの姿はなく、俺に背を向けてどこかにいってしまう男の後ろ姿で埋め尽くされてしまっていた。
今までの女性たちと同じように背を向けて、遠くへ行こうとしているあいつを想像した瞬間背筋を這う薄ら寒さに体が震える。歴代の彼女たちと別れた時にも感じたことのない、腹の底から凍えてしまうような感覚に俺は目の前の男を罵りたい衝動に襲われた。
「お前まで居なくなったら、俺は誰に慰めてもらえばいいんだよ」
「おばさんに慰めてもらうとか?」
「それなら死んだほうがマシだ」
「まぁ、そうかもな」
俺もそうなったら死ぬほうを選ぶな。とあいつは笑うけれど、俺はまったく笑えない。大学生になっても親に恋愛話をするなんてありえないし、そもそもそんな話しをしたことなんて一度もない。いつだって俺の恋愛話やフられ話を聞いてくれていたのはお前だったじゃないか。
今さらお前以外に恋愛トークをかませる友だちをつくれというのか。俺のコミュ障なめるなよ?
「お前だってフられたくせに、なんでそんなに平気なんだよ」
「俺のは別にいいんだよ。ーーー原因はちゃんと分かってるし」
せめてもの抵抗にと口にした言葉ものらりくらりとかわされる。どころか、逆に攻撃を受けてしまった。見事なカウンターパンチだ。俺のパンチは奴に届いていないけれど。
カウンターをくらって俺の口は重く閉ざされる。なぜなら俺はその原因に心当たりがありまくるからだ。
その原因はいたってシンプル。こいつが彼女よりも俺のほうを優先してしまうからである。今日みたいにフられてしまったときはもちろん、両親が共働きで一人家に残される寂しさに耐えきれず放課後、はてや休日もほぼこいつと行動を共にしてもらっていた。だって、誰もいない家に一人で居るの嫌なんだもん。俺以外いないのに、扉の隙間から見覚えのない顔に覗き込まれたらどうしたらいいんだよ。
そんな生活を彼女ができても続けていれば“特別”をもとめる女性たちは耐えきれずに別れを切り出す。彼女とは名ばかりで、まったく自分のことを優先してくれないのだから当たり前だろう。その原因をつくりだしている俺が言えたことじゃないけれど。仕方ないだろ、俺は俺が一番可愛いくてしようがないんだ。俺は自分の幸せにはとても敏感なのだ。でもよくよく考えれば、俺も彼女よりこいつを優先させてしまうことが多々あったような気もする…。
「…だって、仕方ないじゃん」
視線をそらして、口を尖らせる。
意味もなく手をもじもじさせてウォーミングアップが終われば、カーペットにベタではあるがのの字を書く。
「こんなワガママ言えるのって、お前しかいないんだもん」
ここまでなんでも言い合える友だちは、こいつしかいないのだ。
どうしても他人と線を引いてしまう俺が、唯一気兼ねなくワガママを言える相手は、こいつだけ。親にも言えないことが、こいつになら催眠術にかかったみたいにスラスラ言える。頑なな口も、こいつを前にすればぺらぺらと欲求を音にしてしまう。なによりこいつの側は安心する。本心を語れて、居心地もいい人の側を離れられる奴がいるだろうか、いや、いない。少なくとも俺には無理だった。理想の大和撫子を求めていながら、俺はこいつの側以上に心地よい場所を知らない。
「だからお前にいなくなられるのは困る。…だけどやっぱりイケメンは憎いから一度死んで蘇ってこい。そんで今言ったやつぜんぶやって、俺を慰めろ」
だからと言ってイケメンの存在が許せるかといえば、また別の話しだ。俺の中に深く刻まれたイケメンへの苦々しい想いはちょっとやそっとのことでなくなりはしない。それがたとえ俺を慰めてくれるイケメンだろうと。
俺の恨みは等しくイケメンの上に降り注ぐのだ。
「慰めてもらう側がなんでそんなに偉そうなんだよ」
「だって割に合わない」
「なにが?」
「誰が貴様などに教えてやるものか!」
「偉そうな上に心せまいな」
「おだまり!」
ケラケラと笑うあいつにビシリと言い捨てる。
心が狭いと言われても構うものかという姿勢を崩さない俺に、ますますやつは笑いを深めた。俺にくるはずだったかもしれない切れ長な目尻に涙を浮かべて、成熟する前のどこか危うさを漂わせる声で笑って、そして、俺のなまえをよぶ。
「さつき」
凡庸な見た目に反してつけられた俺には似つかわしくない響きの名前は、こいつに呼ばれる時が一番いきいきしているような気がする。まるで名前を呼ばれて嬉しいとでもいうように、キラキラと輝きだすのだ。
自分でも何をいってるんだと思うけれど、そう感じてしまうのだから仕方がない。他の誰かに名前を呼ばれてもこうならないのに、こいつの声は俺の名前をなにか違うものへと彩ってしまう。
「……ほんとうに、ずるい」
俺の欲しいものをぜんぶ持っていて、でもそれをひけらかすようなことはしなくて、いじわるだけど優しくて、最後の最後には俺の欲しいものを与えてくれる。
「なんだそりゃ」
そんなあいつがおかしそうに笑うから、だから俺は笑ったことに対しての罰として奴のみぞおちめがけてタックルをかましてやるのだ。
「……げふっ」
潰れたあいつの声を聞く頃には俺の心はすっきりと晴れわたり、女性たちの背中はどこにも見えなくなっていた。
END
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