恋の狢
 ヤンデレ(というか、メンヘラ?)×平凡









 「付き合おうか」

 そう言いだしたのは藍嶋の方だった。俺と付き合ってよ。と続いた言葉が白い空間の中に吸い込まれていく。
 真っ白なシーツの敷かれたベッド、窓から入ってきた風にはためく白いカーテン。白、白、白の中で藍嶋の黒曜石の瞳が俺をジーッと見つめる。何を溶かし込んだら、そんな瞳の色が出来上がるのだろう。今まで俺が見てきたどれよりも深くて暗い、その色は。夜の闇よりも暗くて、夜に見た海よりも深い。
 白の中で唯一落とされた黒。ともすれば汚れだと言われそうなそれは、けれどなによりも俺の目を惹く。
 染められた髪よりも、多くの女子たちに騒がれる整った顔よりも、いつだって真っ先に俺の目をひいたのはその瞳だった。

 「ねぇ、聞いてる?」

 藍嶋が首を傾げながら聞いてくる。その拍子に、彼の腕につながれた管も揺れた。

 「…聞いてる。ちゃんと」

 「なら、付き合うよね」

 「……」

 「どうしてそこで黙るのさ」

 俺の沈黙に、藍嶋は不機嫌そうに体を揺らす。小さい頃だ。一度だけ入院した時につけた管は不用意に体を動かすと血が逆流していった事を思い出した俺は、その藍嶋の行動に心配になってしまう。あんなに動いて血は逆流しないだろうか、なんてはらはらする俺の不安をよそに藍嶋の血液が逆流することはなかった。もしかしたら医療器具の進歩で、逆流しない作りになっているのかもしれない。なんて医療に詳しくない俺は推測してみる。
 不機嫌を顕にする藍嶋の腕には、細長い管が繋がっている。その管から藍嶋に流れ込んでいるのは、俺には名前も効果も分からない薬で。そしてそんな得体の知れない液体を流し込まれている藍嶋の左手首には、綺麗に綺麗に白い包帯が巻かれていた。
 数分前に取り替えられたそれは綺麗な白をたもち、先ほどまで赤色を滲ませていた事が嘘みたいだ。だけど俺は知っている、その包帯の下に真一文字の傷が隠されている事を。大量に藍嶋から流れ出していた真っ赤な液体を。直接脳裏に焼き付けられたようにその光景は今も鮮明に俺の記憶を塗り替える。

 「藍嶋は、どうして俺と付き合いたいの」

 それは、俺の純粋な疑問だった。
 藍嶋みたいな人間が、どうしてこんな俺なんかと付き合いたがるのか不思議で仕方がない。彼みたいな才にあふれる人間は、もっとその才に見合った人間と付き合うったほうがいいと思う。なのに、彼が選んだのはなんの才も持たない俺だった。それが、俺には不思議で仕方がないのである。
 彼が今ここにいて、その腕に管を繋がれているのも全ては彼が俺を好きになったせいで引き起こされた現象だ。
 一体どいう事かと言うと、俺は昨日、この目の前にいる男に好きだと告白された。けれどさっき言ったことを理由に俺は「付き合えない」と答えたのだ。俺なんかがこれからものうのうと藍嶋の隣に居るわけにはいかない。俺がそばにいることで、彼の評価が下がってしまうし、なによりそれを良しとしない人間があまりにも多かったから。だから俺はそう答え、彼は「そうか」と返事した。
 それで、その一言で全てが終わるはずだった。終わったはずだった。
 俺の返事に表情を無くし踵を返したその背中になんだか嫌な予感を抱きながら、俺も帰路につくため彼に背を向けて歩き出した。
 その日の夜だ。藍嶋から「俺の家にきて」とメールが入ったのは。さっき別れたばかりなのに、どうしたのだろうか。告白された事もありあまり気は乗らなかったが、帰り際の彼の様子がどうも気になって俺は家族に一言告げて藍嶋の家へと向かった。
 藍嶋が一人暮らしをするマンションに着いて呼び出し音を鳴らしても一向に出ないので、もらっていたスペアキーでロックを解除して彼の住む階へと上がった。
 そして部屋に上がり、風呂場に血まみれで倒れる藍嶋を見つけたのだ。
 その瞬間俺はどうしてか「そうか」と一言呟いて踵を返した藍嶋の後ろ姿を思い出していた。無表情に俺の前から去っていった彼の事を思い出して、どうしてあの時感じた直感のままに彼を引き止めなかったのだろうかと後悔した。
 それから急いで救急車を呼んでなんとか彼は一命を取り留めたけれど、あれからずっと俺の心はもやもやと晴れない。
 今こうして目を開けている藍嶋を目の前にしても、そのもやもやはおさまるどころかどんどん増していく一方だ。

 「どうしてって言われても、付き合いたんだから仕方ないじゃん」

 「だから、なんで」

 それじゃあなんの答えにもなっていない。俺はなんだか躍起になって藍嶋を見つめる。そうすれば同じように見つめ返してくる真っ黒い瞳。その瞳はいつだって俺を真っ直ぐに見据える。時折背筋が震えてしまうほど、彼の視線は真っ直ぐに貫く。
 その瞳が、力なく閉じられているのを見たときの事を思い出して、背筋が震えた。

 「…なんでもなにも、そう思っちゃうんだから仕方ないじゃん。どうしてもお前だけは欲しいって、俺だけのものにしたいって思っちゃったんだから」

 まるで駄々っ子だ。我儘をいう子供みたいだ。本能的な欲求に従うだけしたがって、自分勝手な行動で心配をかけて。

 「でもお前にはっきり断られた時頭が真っ白になった。そんで思ったんだ。お前に拒絶された世界で生きる意味なんてないなって。一緒になれないならいっその事死んじまってお前の記憶の中だけでもいいから遺りたいなって」

 「…だから、そんな事したのか」

 「まぁ、それもどうやら失敗に終わったみたいだけどね」

 自分の左手首を見て藍嶋が笑う。死ねなかったと自嘲するように。そうしてしばらく笑っていたかと思えば、一切の表情を無くしてこてりと首を傾げた。

 「ーーーなんで俺を助けたりしちゃったの」

 それは、とても平たい声だった。

 「…ッ」

 「なんで俺を拒絶したのに、来てくれたの」

 「それは、だって…」

 「なぁ、なんで?」

 問われる言葉に、二の句がつげない。
 逃れようと浮いた腰の下で丸椅子がガタリと音を立てる。逃げ出したい。そう信号を送ってくる脳に従おうとした体は、しかし伸びてきた腕によって阻まれた。

 「おま、そっちは…!」

 「また逃げるの」

 俺の腕を掴んだ手に血の気が引く。だってその手は傷を負っている。まだ真新しい傷がその手首には刻まれているのだ。そんな手で力を入れたらまた血が出てしまうし傷にさわってしまう。そう思った瞬間あの真っ赤な光景が頭をよぎって、俺は慌ててその手を掴んだ。けれどもかなりの力を入れているのか、なかなか藍嶋の手は離れてくれない。それどころか傷ついているというのにその力は増していき、彼の指がどんどん俺の腕に食い込んでいくほどだった。

 「ちが…!そうじゃなくてっ、手が!」

 「手なんてどうでもいい。なぁ、また逃げるの」

 「逃げない!逃げない、からっ!だから手を離せ…!」

 藍嶋が逃げるとか逃げないとか言っているけれど、俺は正直それどころじゃなかった。力をいれたせいで包帯に赤色が滲んでいるのが見えて俺の頭は混乱しまくりだ。ただただ早くこの手を離さなければという考えに支配されもがくけれど、俺がこの場から逃げたい一心で抵抗していると勘違いしているらしい藍嶋も負けじと拘束の力を強めてくる。
 血は滲んでいるし、暴れているせいで管も大きく揺れ液体が繋がれた本体もうるさい音を立てている。このままでは駄目だ。このままではお前の傷に触ってしまう。だから今すぐにでもこの手を離して欲しいのに、どうして現実はこうも上手くいかない。
 大体、なんでよりにもよって怪我をしている方の手で俺を掴むんだよ。
 そんな逆ギレにも似た思いが頭をよぎる。それに逃げないって言っているのに、どうしてその手を離してくれないんだ。
 逃げない。本当に?本当に逃げないから。という問答をその後も繰り返してようやく藍嶋は唸るような低い声で聞いてきた。

 「……本当に、逃げない?」

 「逃げない。逃げないから早く手を離せ!」

 離せと叫ぶ俺に藍嶋はどこか信用ならないといった風な視線を向けてくる。そして信じてもらおうと抵抗をやめて椅子に腰を落ち着かせた俺を見て渋々といった感じで腕を掴んでいた手を離してくれた。藍嶋の手が離れた瞬間、俺は傷に触れないように彼の手をそっと掴み確認する。

 「傷、大丈夫か?ちょっと血が滲んでるみたいだけど、痛くないか?」

 結構暴れてしまったので、血管に差し込まれた針が抜けてしまっていないかも確かめる。ちゃんと綺麗に血管に埋まっている針に良かったと胸をなで下ろしていれば、惚けた顔でこちらをみる藍嶋と視線がかち合った。その様子にどうしたのかと不思議がる俺に、彼は表情と同じような声で言う。

 「俺のこと、心配してるの」

 呆然。まさにそんな感じの藍嶋に何を言っているのだと憤慨する。
 心配してるの。だと。なにをそんな当たり前のことを聞いてくるのだろうか、こいつは。信じられないなんて顔をして、信じられないのはこちらの方だ。いつだって、いつだってそうだ。お前は自分のやりたい事だけやって、言いたい事だけ言って、俺の事を置き去りにしてしまう。
 俺の事を好きだと言いながら、一番逃げているのはお前の方じゃないか。

 「心配するに決まってるだろ!お前は俺をどんな冷徹人間だと思ってるんだ!」

 「じゃあ、なんで俺のものになってくれないの?」

 「っ、それとこれとは別の話しだろうが…」

 「別じゃない。全然別じゃないよ。同じだ。俺を拒絶しといて、受け入れる気も俺のものになる気もないのにそんな思わせぶりな態度をとるのは狡い。そんなんじゃ俺はいつまでたっても死ねないし、それなのにお前は手に入らないなんて、あんまりだ。我儘すぎるよ。俺を受け入れられないなら俺を死なせて。それが嫌なら俺のものになって。じゃないと、俺は生きてる意味が分からないし、生きてる意味も無い」

 「なんでお前はそんなに極端なんだよっ!それこそお前の方が我儘だろうが!なんで死ぬとか簡単に言うんだよ…なんで俺なんかのためにそこまで必死になるんだよ…」

 真っ直ぐに投げつけられた言葉に感情が昂り視界が歪む。一度死にかけたとは思えない強い目でハチャメチャなことを言ってくるその言葉の全てが彼の本心から発せられていた。それが痛いほどに分かっているからこそ、俺は目尻から溢れ出そうとする雫を止められない。
 嫌だ。やだ。やめてくれ。溢れるな、溢れてくれるな俺の想い。
 彼は、藍嶋は、神に愛され多くの人間に愛される人間なんだ。ゆくゆくは彼の家の会社を継いで、人々の頂点に立つようになる男なんだ。想像もできないほど厳しく煌びやかな世界で生きて行く事になる彼の道を、俺なんかが邪魔していい訳がないんだ。だから友達で、親友のままでいられたらそれで、それだけで良かったんだ。

 「ごめん。あぁ、泣かせるつもりなんて無かったのに。でも俺にも分からないんだよ。どうしてこんなにお前の事が愛しくて、自分のものにしてしまいたいと思うのか。…本当にごめん。好きなんだ。どうしようもなく。だから、お願いだから俺の未来を勝手にお前が決めないで。お前の思うそれは、俺の望む未来じゃない。本当に俺の事を想ってくれているんだったらーーーお願いだ、俺を一人にしないで」

 「…っ」

 最後の言葉はひどく小さくて、震えていた。
 彼は、知っていたのだ。俺が一人でずっと抱えていた想いに、その結果はじき出した結論に。知っている上で俺に告白をしてきて、それでも俺の中に遺りたくてあんな事をしたのである。彼ほどの人間なら、俺一人どうとでも出来ただろうに。だけど彼は俺に無理強いすることはせず、一人で逝く事を選んだ。せめて俺の記憶の中だけでは生き続けられるように願いながら。
 ただひたすら不器用なまでに真っ直ぐ、俺の愛を彼は請うていた。

 「泣かないで。お前を困らせてるって分かっているけど、それでもやっぱり俺はお前と一緒に居たいんだ。周りがなんて言おうと関係ない。俺がこの先ずっと一緒に居たいと思うのはお前だけだよ。これは断言できる。他の誰でもない、お前だけだから」

 滲む視界では、藍嶋がどんな表情をしているのか分からない。けれども耳に届く声はどれも真剣で、助けを求める子供みたいに今にも泣きだしそうだった。
 俺と藍嶋しかいない空間に、今にも溶けてしまいそうなか細い声。
 さっき俺の腕を力強く掴んだ手は、行き場を無くしたかのように力無く彼の体の両脇に垂れている。もしかしたら、彼も俺と同じように目元を濡らしているかもしれない。セーブのきかない感情に踊らされて、痛みを溶かし込んだ雫を零しているかもしれない。
 もし、もしそうならば、俺はどうするだろう。どうしたいだろう。
 藍嶋が、俺なんかのために涙を流していたら、俺は。

 「あいしま…」

 気づけば俺は、手を伸ばしていた。
 離せと言ったその手を自ら藍嶋へと伸ばしていく。
 椅子に座ったままでは彼に届かないと分かると立ち上がり、それでも遠いと彼の座るベッドに乗り上げる。ギシリ。膝をついたベッドが短く鳴く。藍嶋の足の間で片膝をついて、彼の頬へと触れる。

 「…なくな」

 やっぱり藍嶋は、泣いていた。
 濡れた頬の感触に、間近になって見えた藍嶋の表情に、自然と眉尻は下がり、口からはそんな言葉が出ていた。
 真っ黒な瞳からはらりはらりと流れるそれに、我が事のように胸が締め付けられる。そういえば彼が泣くところは初めて見たなと思いながら、その涙の跡を指で辿っていく。綺麗なその肌に、痛みを含んだ涙が染み込んでしまわないように。優しく、慈しみながら、指先で拭っていく。
 
 「俺だって、お前の事泣かせたくないんだ」

 大の男二人が泣きながら見つめ合って一体何をしているんだか。
 そうは思うけれど泣いてしまったものは仕方がないよな。と考えられるくらいには、どうやら俺の心は落ち着きを取り戻したらしい。落ち着いたついでに、腹も決まった。
 お前を泣かせてしまう決意なら、お前を一生失ってしまう決断なら、俺に残された道は、ただ一つだ。

 「付き合おうか、藍嶋」

 そこまでしてお前が俺を求めてくれるのならば、俺も覚悟を決める。
 藍嶋の為だなんて言って逃げるのは、もうやめだ。だからお前も、二度と俺を置いていく選択なんかするな。

 「……いいの?」

 「あぁ」

 「もう、逃げない?」

 「絶対に逃げない」

 「っ、おれのものに、なってくれるの…?」

 「なる。なるし、藍嶋ももう、俺のものだ」

 変わらず涙を流しながら一つ一つ確認してくる藍嶋に、俺も一つ一つ頷いて肯定する。
 そうして最後に大きく頷けば「うそみたいだ」と藍嶋はまた新しい雫を流した。「嘘じゃない。これからはずっと一緒だ」俺は答える。その言葉にやっと藍嶋は安心したのか、泣きながら笑みを浮かべた。それまで沈黙を保っていた両腕をそろそろと動かし、俺の背中に回してくる。そして縋り付くみたいに背中の服をぎゅーっと掴まれた。それがまるで「離さないで」と言外に彼の心情を語っているようで、胸が苦しくなる。
 受け入れてしまえば彼の気持ちに応えずにいた過去の自分に憤りさえ感じてしまい、その気持ちの変わり様に呆れてしまう。

 「やっと、やっと俺だけのものになった…」

 けれど心底嬉しそうにそう言って笑う藍嶋が見られるのであれば、そんな事はどうでもいいのだ。
 藍嶋が俺を求めたように、俺もまた藍嶋を求め、なによりも彼の幸福を願ったのだから。その彼が命を賭して、いつもは流さない涙を流してまで俺を求めているのならば、その想いに応えないという選択肢は俺の中に存在しない。



 「大好きだよ、藍嶋」



 結局俺には藍嶋の居ない人生を送るなんて事、出来る訳がないのだから。



 END



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