僕らのアンチノミー
 一般人(?)×殺し屋(?)







 「なんで殺してくれないの」

 とても不満そうな、でもどこか糾弾するように言われた。
 その声に立ち去るはずだった足を止めて後ろを振り返れば、片足をおかしな方向に曲げた男が声通り不満そうな顔でこちらを見ていた。足が折れ曲がって激痛に襲われているであろうに、その顔に痛みに耐える色はない。ただ思い通りにならなかった事にへそを曲げる子供みたいにじとりとした目を向けてくる。

 「あー…。それよりもさ、それ、痛くないの?」

 だからそんな男の様子にちょっとだけ興味がそそられてしまった優しい俺はそのお喋りに付き合ってやる事にした。

 「痛いに決まってるじゃん。よくもまぁここまで綺麗に折ってくれたよな、アンタ」

 「まぁ、人体破壊は得意分野なもので」

 「みたいだな」

 そう言って男はむすっと口を引き結ぶ。
 今の会話のどこにむすりとする要素があったのか分からないが、分からないからこそ思う。この男は変わり者だ。と。
 俺なんかに変わり者だと言われるのは心外だろうけど、自分の足を折られて痛がる素振りを見せるどころかフラットなテンションで会話を続けるとか普通の人間ではありえない。俺の場合はそういう痛みを感じにくい体質プラス職業柄怪我を負うことに慣れているので今更足が折れたところで痛がりはしないが、この男は違う。俺の記憶が正しければ今日の職場になったこの場所には俺とは真反対の、つまりは普通の人間達しか居なかったはずだ。
 俺とは違う表の世界で生きる、堅気と呼ばれる人間のはずなのに。

 「あー、くそ。まじでいてぇ」

 まるで機会が話すみたいな感情のなさで痛みを訴えてくる男はどう頑張っても堅気っぽく見えない。
 あんだけ俺が暴れていた所を見て、かつ足まで折られているというのになんだってんだその落ち着き具合は。ちょっとは怖がってくれないと悲しいな、俺。これじゃまるで一方的に癇癪を起こして彼氏に全く相手にされていない彼女みたいじゃないか。
 あまりにも男が動じないものだからそんな馬鹿みたいな考えがつい頭に浮かんでしまった。その上例えもいまいちピンとこないし。なんだか知らぬ間に男の独特な雰囲気にのせられているような気がして、いやいやそれはないと首を振る。この、俺が、こんな変てこりんな男に呑まれる訳がない。

 「足。綺麗に折ってはいるけど、早く救急車でも呼んで治療してもらった方がいいよ?」

 いくら綺麗に折っているとは言え時間が経てば変な風に骨がくっついてしまうし。という親切心から言ってやったのに不審物を見るような目を向けられた。
 あれ?俺なんか変な事言った?
 予想外の反応に心の中で首を傾げる俺の耳に、それはもうわざとらしいほど大きなため息が飛び込んでくる。
 もちろんそのため息の主は目の前の男だ。まぁ、それ以前にこの空間に生きている人間は俺と男しか居ないので誰かなんて考えるまでもないのだが。

 「そんな心配するくらいなら殺してくれない?」

 やはり男の声は不満そうだった。
 頑ななまでにその言葉を繰り返す男に興味と不思議が増していく。今までたくさんの人間をその言葉の通り動かぬ物へと変えてきた俺であるが、ここまで自ら死を望む人間に出会ったことはない。皆一様にその顔に恐怖を浮かべ、助けてくれと手を伸ばす。死にたくないと断末魔をあげながらも息絶える。
 けれども、この男は全くの逆を俺に望む。
 俺の所業を目の当たりにしてもなおその顔に恐怖は浮かばず、殺してくれと言葉を紡ぐ。折れた足を痛がる素振りも見せないし、助けてくれと手を伸ばすこともない。全てがあべこべ。変てこりんすぎる。
 そんなにこの男は命が惜しくないのだろうか。自殺願望者?いや、でも、この男からは世捨て人のような雰囲気は感じられないし、生を投げ出しているようにも見えない。
 ならば、どうして。
 どうしてこんなにもこの男は死を望むのか。

 「やだ。ていうか無理。お前はリストに入ってねぇもん」

 「じゃあ今すぐ俺もリストに入れてよ」

 「はぁ?それこそ無理だっての。そんな事したら契約違反で俺が金貰えなくなるし」

 「じゃあ俺が依頼するから俺を殺して」

 「…オォ、ナンナノキミ」

 思わず片言になってしまった。
 俺ここまで潔い死にたがりはじめてみたよ。自分の死を依頼するって、なんじゃそりゃ。そんなイカれたこと、俺でも考えないぞ。一体どんなプレイですかそれは。本当にもう、どうしてそんなに、そんななの。もう少し自分の命を大切にしてあげなよ。なんてお門違いな説法をはじめてしまいそうだ。
 男の横に転がっている物体の喉を掻き切って絶命させたのは俺だけどさ、もっと命は大切にした方がいいぜ。なんたって一人一個しか持っていない希少なものなんだから。失くしたらそこで終わりなんだから。ゲームとは違う。リセットボタンを押しても死んだ事が無かったことになんてならないんだから。

 「くそ。こういうのって普通皆殺しが定番じゃないの。目撃者は一人残さず始末するのが定石じゃないの」

 そんな風に恨みがましく言われて少しだけたじろいでしまう。そんな殺戮の天使みたいに言われてもこちとらビジネスでやっているのだから契約外の殺しはしないのだよ。なんて言ったところでこの男は納得しないんだろうな。

 「えー…。ちょっと君映画とかドラマとか見すぎじゃない?現実とフィクションがごっちゃになってない?大丈夫?」

 「大丈夫だから今すぐ殺してよ。ほらね、怖くない」

 「だから無理だってー。何度言えばわかるの。なぎはらうぞ」

 「え?本当に?」

 「…言葉の綾だからそんなに目をキラキラさせないでくださーい」

 「チッ」

 顔に似合わずお下品な舌打ちをして男は深く息を吐き出し浮かせていた背を後ろの壁に預ける。
 表情には出ていないけどその額に浮かぶ汗の粒を見つけて、骨折の痛みはちゃんと男を襲っているのだというのが分かった。あまりにも普通に言葉を返してくるから足が折れていることを忘れてしまいそうになるが、そうだよな、足、折れてるんだよな。よくもまぁ痛みに意識を持っていかれることなく耐えているものだ。他人事じゃないけど(そもそも男の足を折ったのは俺だし)他人事のようにその忍耐力と耐久力には感心してしまう。
 死にたがりなのはもう少し控えめにした方がいいと思うけれど。

 「ていうかさ、なんでそんなに死にたいの?いじめ?それならみんなやっちゃったからもう大丈夫だぞ?」

 「……」

 「ははは。というのはジョークだよ、ジョーク」

 だからそんな可哀想なものを見るような目はやめようね。壊すのは得意だけど、俺自身はガラスのハートの持ち主だからさ。すぐパリーンってなっちゃうの。

 「…だって、会えなくなる」

 「ん?」

 ガラスのハートを抱きしめ耐えていたら、小さく男が何かを呟いた。
 上手く聞き取れなくて促すように声をあげれば、今度はしっかりとした声が鼓膜を揺らした。

 「もうアンタに会えなくなるから」

 だから殺してよ。
 そう続いた言葉に俺の疑問は解決するどころか深まる一方となった。全くもって理解が及ばない。まるで異国語を耳にしているように脳がその意味を理解出来ずに流していく。

 「んー?なんで会えなくなるから死ぬの?」

 「だってこれからアンタに逢えずに生きていくなんてありえない」

 「…おぉ?」

 「何処に居るかも分からないアンタを求めて苦しむくらいなら、今ここでアンタの手で殺されたい」

 「…オォ」

 なんだか予想外の展開になったぞ。
 予想の斜め上すぎて俺ともあろうものが言葉を詰まらせてしまったじゃないか。誠に遺憾である。まさか、まさか、まさかとは思うが、今俺は熱烈な告白をされてしまったのだろうか。死の匂いがただようこの空間で、よもや愛の告白を受けたとか、そんな腹がよじれるほどおかしな事が起こったとか言わないよな。

 「ほ、本日ノ営業ハ終了シマシタ」

 いやいや。まさかね。そんな七不思議現象起こるわけないだろう。
 そう結論付けて下手くそな日本語まで使ってこの場を去ろうとする俺の顔の横を何かが横切って、鈍い音を立てながら背後の壁に激突した。
 ビュオンって。ビュオンって音したよ今。空を切ってたね、今のは。空、切っちゃってたよね。
 えー。俺の動体視力によりますと、今横切ったのは鮭をくわえた木彫りの熊さんでした。それもかなりの大きさの、だ。…はは。なかなかの剛腕だね、君。お兄さんびっくりだよ。

 「終了したんなら今すぐ開店してよ。じゃなきゃ俺に殺されて」

 「え、えぇえー?なんかさっきと言ってること変わってない?なんで新たな選択肢が増えてるの?ていうか、死ぬのが駄目なら殺すって極端すぎじゃない?」

 今の若者は極端すぎておじさんついていけないよ。いや、まだまだおじさんっていう年でもないんだけどね。それにしてもなんでこんなにこの子は選択肢が一か百しかないんだろう。日本人特有のどっちつかずな選択肢はどこにいった。古き良き日本の奥ゆかしさはどこにやった。まぁ、たしかに日本人っぽくない顔つきしてるけどさ、もうちょっと日本人らしい心を身につけて欲しかったな。
 つまり何が言いたいのかといいますと、死ぬか殺すか以外の選択肢はないんですか。と言うことです。

 「ぐだぐだ言ってないで俺を殺すか、俺に殺されるかどっちか選んでよ。はやく決めてくれないとそろそろ痛みで意識飛びそうなんだけど」

 「そんなに耐えてたの?すごい忍耐力だね。俺の後輩にも見習って欲しいくらいだよ」

 ちょっとした事ですぐぴーぴー言うんだよな、あいつ。

 「あんたの後輩事情はいいからはやくどっちか決めて」

 「そんなご無体なー。救急車呼んであげるから大人しく俺を見逃してはくれないの?」

 「ダメ」

 「うーん。やっぱり駄目なのか。揺るぎないね」

 これは困った。
 痛みに意識が飛びそうだと言いながら爛々とした目でこちらを見てくる男にどうしたものかと頬をぽりぽり。いやはや本当に困ったな。
 そんなの知らねえぜ!と踵を返してしまえばいいのだが、どうしてか男を納得させようと言葉を探している自分が居た。いつもならすたこらさっさと現場から立ち去るのに、なんで俺はまだここに居て、ましてやその現場に居た人間と言葉を交わしているのだろうか。普段ならどんなに言葉を投げかけられたとしても反応しないし、むしろ標的以外の人間と接触してしまうなんてミスは起こさない。こんなうっかりははじめてだ。

 「……」

 「なに、どっちにするか決めたの」

 「……」

 「だからなんなのそんなにガン見してきて」

 問題解決の為元気にわんわん吠えている男を見遣る。折れ曲がった足。痛そうだ。壁に背をつけて浅い呼吸を繰り返している。苦しそうだ。その額には汗の粒が浮かんでいるのに、痛そうな素振りは一切見せない。この子、本当に普通の子?ただ、むすっと、拗ねた子供みたいな表情を浮かべて可愛らしくない選択肢を突き付けてくる。
 じーっとじーっと見つめて、男が居心地悪そうにもぞもぞするくらい、じーっと見つめ観察してみる。
 …せっかくのイケメンなのに、勿体無いな。
 観察した結果一番に思ったのはそんな事だった。
 これ位のイケメンならもっと楽な人生が送られただろうに。この顔なら女の子を侍らせ放題だったろうに。いいな。羨ましい。じゃなくて。こんな場面に巻き込まれて、俺なんかと出逢ったしまったが為にネジのぶっ飛んだ人生設計をすることになってしまったとか、なけなしの良心が痛んじゃうじゃないか。どうしてくれる。俺の貴重な良心が今、この瞬間、全て使われてしまったぞ。良心残高はもうゼロよ。

 「よし分かった。君、ウチの子になりなさい」

 「……は?」

 ここにきてはじめて、男はむすっと拗ねた以外の表情を浮かべた。うんうん。なかなかにそのお間抜けな表情も可愛いぞ。なんて呑気に思う。
 連れて帰ると決めた途端目の前の男がなんだかとても愛らしい存在に思えてきて、知らず俺の顔は緩んでいく。はじめてペットを迎えた時のような高揚感にワクワクさえしてくる。けれどワクワクしているの俺だけのようで、男は理解できないといった表情を浮かべていた。
 さっきまで散々訳のわからないことを言っていた男のその表情に思わず小さく笑ってしまったのは仕方のないことだろう。

 「…なんで連れて帰ることになるの」

 しばらく固まったままだった男が心底不思議そうに聞いてくるものだから、本当に彼の中には殺されるか殺すかしか選択肢が無かったのだと分かり呆れてしまう。
 若いんだからもっと生きることに貪欲になろうぜ。という説教は後でたんまりしてやろうと心に決めて理解できないって顔をしている男に説明してあげた。

 「だって俺は君を殺す気はないし、ましてや殺される気もさらさらない。じゃあもういっそのこと俺が君を連れて帰ってずぅーと一緒に居れば万事解決大団円ー。みたいな?うん。我ながらナイスなアイディアだ」

 「………」

 「あれ?もしかして嫌だった?」

 「…いや、予想外すぎて言葉が出なかった」

 「…オォ」

 呆然とそう呟く男になんだか俺は頭を抱えたくなった。もー、君どんだけ後ろ向きにポジティブなの…。もっと楽しいことに向かってポジティブになろうよ。
 殺してとか殺すとか言わないで、一緒に生きて楽しいことしようぜ。そんでもういっそのこと俺のお仕事の手伝いしてよ。なんてね。
 半分本気で半分冗談な事を思いながらやれやれと肩をすくめる。これはまた教え甲斐のありそうな子だよまったく。ポジティブシンキング王の異名を持つ俺の技を目一杯伝授してやるから覚悟しておくんだな。

 「もう決めた。決定だ。君が嫌がっても俺は君をウチの子にするもんね」

 「…別に嫌とは言ってないし」

 「そ?ならこれでめでたく君はウチの子だ。これからよろしくねー」

 にへらと笑って手を振れば困惑顔からまたなぜか拗ねた顔に戻ってしまったけど、これがウチの子だと思えば可愛く見えてくるのだから不思議だ。あはは。困ったな。もう親バカの兆しが出てきちゃってるよ俺。でも仕方がないじゃん。可愛いものは可愛いんだから。

 「でもあんたを殺すのは俺だからね」

 「って、まだあきらめて、」

 「で、俺を殺すのも、あんただから」

 「……」

 言われた言葉に、揺るぎないねと思ったと同時に俺胸きゅん。
 これはあれかな。俺より早く死ぬのは嫌だけど俺より遅く死ぬのも嫌だから死ぬ時は同時に死にたいって事なのかな。え?違う?まぁ、でもそういうことでいいや。もうなんだか懸命にこっちを見つめてそんな事を言ってくる男が可愛いめんこい愛い奴めとしか思えないくらい俺の頭はぱーちくりんになってしまったみたいなので、違ったとしても関係ないや。あぁ、もう、本当に可愛いなぁウチの子は。の一言で全てを片付けてしまおう。

 「あーもー。仕方ないからそれでいいよ。それでいいから俺が殺せるくらい強くなっちゃえなっちゃえ」

 それで俺のお仕事の手伝いをしてよ。
 そう続けようと思った言葉は、けれど続くことなく喉の奥へと引っ込んでいった。目の前の彼の表情に、言葉を奪われてしまった。

 「……分かった」

 そんな小さな呟きと、彼の顔に浮かんだ今日はじめて見る嬉しそうな微笑みに俺のハートは射抜かれた。鮭をくわえた熊の置物が壁に叩きつけられた時のよりも凄まじい音を立てながら俺のハートは撃沈したね。
 あぁ、もう、本当に、本当の、本当に、

 「ウチの子が可愛すぎる…ッ」

 「は?目腐ってるの?」

 そんな悪態さえ可愛く思えてしまう俺はもう、完璧な親バカになってしまったのだろう。まさかこの俺が女子みたいに可愛いを連呼する日が来ようとは。それこそ予想外すぎて笑ってしまう。
 けれどもまぁ、自分のことを笑うよりも前に彼の足の手当てをしなければ。折ってしまったのは俺だから責任もって処置をしないとね。そうして彼を連れて帰って俺のポジティブシンキングを教え込んでやらないと。

 「むふふー。じゃあ帰る前に足の応急処置をしないとだな」

 「…今触られたら痛くて意識飛ぶかも」

 「飛ばしちゃってもいいよ。ちゃんと俺がおぶって帰るから安心しなさい」


 それ位どうってことないからね。と笑えばわずかに彼の頭が上下する。その小さな意思表示にさえ頬を緩ませ、俺はこれから訪れるであろう毎日を想像して一人胸を高鳴らせるのだった。



 END



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